研究ブログ

2009年1月の記事一覧

東京フィルハーモニー交響楽団第764回定期演奏会

昨日は、19時からサントリーホールで東京フィルハーモニー交響楽団の第764回定期演奏会を聞きました。


今回はペーター・シュナイダーの指揮で、ベートーヴェンの交響曲第4番と、ヴリーガーの編曲によるワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の抜粋を聞きました。


寸評は以下の通りです。


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東京フィルハーモニー交響楽団の第764回定期演奏会は、ペーター・シュナイダーの指揮で、ベートーヴェンの交響曲第4番と、ヴリーガーの編曲によるワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』の抜粋を演奏した。


ベートーヴェンは第1楽章の序奏が、腰の重い、それでいて気の弱い演奏であったため、冒頭で曲全体の性格が決まった。その後もほとんど惰性といってよい平板な演奏が続き、「冷たい音楽」(ワーグナー)を空寒いものにしてしまった。


"An Orchestral Adventure(オーケストラによる冒険)"と題された『ニーベルングの指環』の抜粋は、「いいとこ取りはできない」という普遍的な真理を裏書する内容。ヴリーガーの抜粋の方法にも問題があろうが、それを演奏する楽団の水準の方がさらに問題で、力不足のホルン、勢いだけの他の金管楽器と存在感に乏しい木管楽器、そして音の飛ばない弦楽器、という組み合わせは、あたかも手近な食材を鍋に入れて煮立てたようなもので、われわれの鋭敏な舌には耐え難いものであった。


小さくまとまった音楽からは、"adventure"の肯定的な要素を見出すのは難しいが、身の丈に合わない選曲をすること自体が"adventure"であるとするなら、それはそれで大いなる皮肉というべきであろう。

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東京交響楽団第563回定期演奏会

昨日は、19時からサントリーホールで東京交響楽団の第563回定期演奏会を聞きました。


今回は指揮に東京交響楽団の桂冠指揮者である秋山和慶を、ヴァイオリン独奏に渡辺玲子のふたりを迎えて行われました。


寸評は以下のとおりです。


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桂冠指揮者秋山和慶を迎えて行われた東京交響楽団の第563回定期演奏会は、シューベルトの5つのドイツ舞曲、 バーバーのヴァイオリン協奏曲、そして、デュティユーの交響曲第1番を取り上げた。
 

シューベルトは、第1曲のヴィオラによる独奏の足元が覚束なく力不足の感が強かったが、それ以外は無難にまとめられていた。また、後半のデュティユーは大胆さの背後に緻密で繊細な構成をもつこの曲を秋山が丹念に読み解き、明晰な演奏に仕立て上げていた。


概して優等生的な演奏であったこの日の圧巻は、渡辺玲子を独奏に迎えてのバーバーのヴァイオリン協奏曲。約4分で終わる第3楽章が疾走感と安定性を両立していたのは注目すべきだが、それ以上に第1、第2楽章を手堅く演奏した独奏者とオーケストラの用心深さが終楽章の華やかさを一層際立たせる結果となったのは、楽団と渡辺の特性を熟知した秋山の手腕の妙といえよう。


残念だったのは客足の悪さだが、こうした「現代的な」曲目で6割の入りだったのは、むしろ意外というべきであろうか。

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【追悼】リカルド・モンタルバン氏

去る1月14日(水)、メキシコ人の映画俳優リカルド・モンタルバンさんが死去しました。享年88歳でした。

モンタルバンさんといえばメキシコが生んだ最大の映画俳優として知られる存在で、近年でも『スパイキッズ』シリーズでアントニオ・バンデラス演ずる主人公グレゴリオ・コルテスの父親「グランパ」を務めるなど、スペイン語圏出身の俳優の大立者として活躍していました。


現在まで多くの人の印象に残っている代表的な役といえば、"Star Trek"で演じた優性人種カーン・ノニエン・シンでしょう。


特に、1982年の映画Star Trek II: The Wrath of Khan (邦題:『スター・トレックII カーンの逆襲』)でテレビ以来15年ぶりにカーン役を務めた際には、冷酷さと精悍さを同居させた知的な演技を披露しました。


日本人(Sayonara,1957)から優性人種まで幅広い役どころを演じ分けられる確かな力量を備えた現代の名優のご冥福を願うばかりです。

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NHK交響楽団第1638回定期公演

昨日は、19時からNHKホールでNHK交響楽団の第1638回定期公演を聞きました。


今回は、デーヴィッド・ジンマンを指揮に迎え、ウェーベルンのパッサカリア、マーラーの交響曲第10番から「アダージョ」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」の三曲が取り上げられました。


寸評は次の通りです。


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その名声が長い間喧伝されているにもかかわらずなかなか日本の楽団に登場しない音楽家、というのは案外と多いもので、ボルティモア交響楽団の育成やベーレンライター新版のベートーヴェン全集の録音で名を上げたデーヴィッド・ジンマンも、そうしたなかのひとりであった。


今回、ジンマンを迎えて行なわれたNHK交響楽団の第1638回定期演奏会は、しかしながら、その名声と実力が発揮されたものとはいえなかった。


ウェーベルンのパッサカリア、マーラーの交響曲第10番から「アダージョ」、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはこう語った」の三曲で構成された公演において、ジンマンの基本的な態度は「レッセ・フェール」といいうるもの。垂直的な統一感にはほとんど注意を払っておらず、パッカサリアの冒頭などは見切り発車の連続となり、最後まで中心点の定まらない演奏となる原因を生み出していた。


それでは水平的な展開に全力を尽くしたかといえば、こちらも怪しいもので、「アダージョ」も譜面の時系列的な流れを追うだけの、間延びした演奏となってしまった。


そして、この傾向が極点に達したのは「ツァラトゥストラはこう語った」。もしこの作品がニーチェの"Also spracha Zarathustra"の内容に即しているというなら、この日の演奏が示したのはゾロアスター流の善と悪の二元論的世界ではなく、むしろ享楽と放恣を勧めるバッカス信仰的なあり方だった。ただし、こうした演奏を披露することで「音楽による暴力(Gewalt durch Musik)」を体現化し、それによってニーチェ的な「力への意志(Wille zur Machat)」の世界を描き出そうとしたのならそれはそれで納得の行くものだが、ジンマンにそこまでの考えがあったかどうか。


いずれにせよ、会場の一部から発せられた賞賛の掛け声ほどには、屹立とした演奏でなかったことだけは確かだ。

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