研究ブログ

2015年1月の記事一覧

【開催報告】法政大学国際日本学研究所アプローチ(1)2014年度第5回研究会

昨日、18時45分から20時30分まで、法政大学国際日本学研究所研究アプローチ(1)「<日本意識>の変遷―古代から近世へ」の2014年度第5回研究会が開催されました。


今回は、田中仁氏(学習院大学)が「女が歴史を詠むとき--近世女性歌人と日本意識」と題して報告しました。


田中氏は「江戸時代の女性と和歌--賀茂真淵の作歌指導」、「幕末、明治の詠史和歌」、「明治宮中における詠史和歌」の3点から報告を行いました。


その結果、まず、江戸時代には賀茂真淵の古学の浸透による自国の歴史への顧慮の度合いの高まりと外国勢の接近により「歴史を詠む和歌」が流行したこと、歴史的な題材を好んで取り上げ、『新古今和歌集』から出発して『古今和歌集』を経て『万葉集』に至った賀茂真淵が作歌指導を行う場合、男性に対しては『万葉集』を勧め、女性に対しては『古今和歌集』を手本とするように助言したことが指摘されました。


また、幕末から明治にかけては、歴史の転換期にあって時代に翻弄された知識人が自らの心情を表現する方法として歴史を題材とした和歌を詠んだこと、明治天皇が率先して和歌を詠むとともに、宮中の歌人は薩摩閥と桂園派とが中心であったこと、さらに明治時代になると詠史に期待された役割が「自国の歴史の認識」から「教育の手段」へと変化したことなどが示されました。


田中氏の報告によって、詠史和歌の歴史的な展開が明らかになるとともに、女性が歴史を主題として和歌を詠む際に果たした役割や女性による詠史の特徴などが示され、意義深い研究会となりました。
 

<Executive Summary>
The 5th Research Meeting of 2014 of Research Approach (1) of HIJAS (Yusuke Suzumura)

 

The 5th Research Meeting of 2014 of Research Approach (1) of Hosei University Research Center for International Japanese Studies was held on 30th January 2015. Speaker was Dr. Hitoshi Tanaka (Gakushuin University) and theme was "When a Woman Composes the History: The Female Poets in the Early Modern Japan and the Japan-consciousness".

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大リーグ選手としての正念場を迎える「マーリンズのイチロー」

昨日、大リーグのマイアミ・マーリンズと契約したイチロー選手の入団会見が東京都内で開催されました。


大リーグで最年長の野手として開幕を迎えるイチロー選手は、15年目にして初めてナショナル・リーグの一員、そして、マーリンズが迎える最初の日本人選手となります。


過去14年間、イチロー選手はレギュラーシーズンに交流戦でナショナル・リーグの球団と対戦し、255試合に出場して打率.324、13本塁打、75盗塁という成績を残しています。


しかし、現在のマーリンズには20歳代の正外野手が3人いること、あるいは年俸が200万ドルであることは、イチローの置かれた環境の厳しさを物語ります。


とりわけ、大リーグにおいて年俸は球団が選手に対する期待の高低を相当の程度で反映するため、2014年の大リーグの年俸が平均381万ドルであったことを考えるなら、その約52%に相当する200万ドルの契約を提示したマーリンズが、イチロー選手を控え選手として見なしていることは明らかです。


かつて一時代を築いたイチロー選手も、マーリンズでは4人目の外野手として出発しなければならないという点は、大リーグの過酷さを物語ります。


それだけに、守備と走塁の正確さ、そして故障による離脱がないという特長を最大限に発揮しなければ、ヤンキース時代の過去2年間と同様に、出場の機会が減ったために打撃の調子を維持できず、打撃が物足りないために出場の機会がさらに制限されるという悪循環に陥りかねないでしょう。


大リーグ通算3000本安打まで156本ではあるものの、2015年は文字通りイチロー選手にとって進退を賭けた年となるのです。


<Executive Summary>
Ichiro in the Marins: Is It the Last Year of Ichiro as a Big Leager? (Yusuke Suzumura)


Mr. Ichiro Suzuki, an outfielder of the Miami Marins, had a press conference at Tokyo on 29th January 2015. The season of 2015 would be the moment of truth, since he should take a role of the fourth outfielder in the Marins.

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【開催報告】法政大学国際日本学研究所2014年度第9回東アジア文化研究会

昨日の18時34分から20時15分まで、法政大学市ヶ谷キャンパスボアソナードタワー25階B会議室において、法政大学国際日本学研究所アプローチ(3) 「<日本意識>の現在―東アジアから」の2014年度第9回東アジア文化研究会が開催されました。


今回は、足立原貫氏(特定非営利活動法人農業開発技術者協会・農道館)をお招きし、「"日本現象"を追う一つの視座--人類の行方を見据えて--」と題して行われました。


講演では、まず、1964年に外国の農村を調査するために半年にわたって北米と南欧を訪問した際に「日本と日本人が外国人からどのように理解されているか」という点に興味を持ち、帰国後に「日本学研究所」を設立するとともに懇意にしていた朝日新聞の木村繁氏の助言によって「国際日本学研究センター」と「日本学研究所」の商標登録を行ったことや、1970年代に廃村問題に直面した際に、廃村の中に希望を見出す一つの方法として、世襲制ではない農業従事者を増やすために農業開発技術者協会を発足させたことが紹介されました。


また、東京大学の在学中に文学部教授だった山崎正一氏の薫陶を受けたことや、様々な教えの中でもとりわけ「言い方をやさしくするのではなく、考え方をやさしくしないとだめだ」という助言により、一般の人に情報を発信する際には寓話や小話、詩を用いるようになったことなども言及されました。


さらに、日本研究については、日本が育んできた文化の中に人類が共有すべき知恵があれば、世界に広めるべく努力してきたこと、日本人や日本文化は「万葉文化の精神」を基盤とする多層的なものであり、仏教が流入した際に神道が折り合いを付けたように、互いに反発する事柄であっても排除せずに融合しようとしてきたことが指摘されました。


そして、日本に独特な事象を世界に向けて発信するという意味での「日本現象」の事例として、足立原氏が1974年に開始した草刈り十字軍の取り組みが紹介されました。


1930年に墨田の職人の家に8人兄弟のひとりとして生まれ、1945年3月10日の東京大空襲の際には、関東大震災で被災した両親の「火事が起きたときは、どんなに怖くても火から逃げてはいけない。風向きを見て、風上に逃げろ」という教えに従って命拾いした逸話も披露されるなど、「地べたの哲学」を標榜する足立原氏の人柄のしのばれる、意義深い報告となりました。


<Executive Summary>
The 9th Research Meeting of East Asia Culture Research Meeting of 2014 of HIJAS (Yusuke Suzumura)


The 9th Research Meeting of East Asia Culture Research Meeting of 2014 of Hosei University Research Center for International Japanese Studies was held at 18:34-20:15 on 28th January 2015. Speaker was Professor Toru Adachihara of the Association for Agricultural Development Engineers and theme was "A Viewpoint to Seek a "Japan Phenomenon": Look ahead the Future of the Human Being".

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「イスラム国日本人人質事件」に続く人質事件は起こるか

いわゆる「イスラム国」を名乗る組織が後藤健二氏、湯川遥菜氏を人質とした事件は、1月24日(土)に湯川氏を殺害したと思われる画像がインターネット上に公開され、1月27日(火)には後藤氏とみられる音声が「私の命は24時間しか残されていない」と通告し、組織が後藤氏の釈放の条件として求めているヨルダンに収監されているサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を急ぐよう求めるなど1、予断を許さない状況が続いています。


後藤氏とみられる音声は「引き延ばし工作をこれ以上すれば、2人とも殺される」、あるいは「ボールはヨルダン政府側にある」として日本政府に事態の迅速な解決を求めています1


ただし、リシャウィ死刑囚の釈放の可否はヨルダン政府の主権に関わり、しかもヨルダンは「イスラム国」を掃討しようとする米英主導の有志連合に加わっています。そのため、もしヨルダン政府がいわゆる「イスラム国」側の要求を受け入れてリシャウィ死刑囚を釈放すれば、「たとえ自国民が人質となってもテロリストとの交渉は行わない」という態度を貫いている米国や英国との関係が悪化しますし、ヨルダン政府が「テロリストとは交渉しない」という原則に従ってリシャウィ死刑囚の釈放を拒んだ結果後藤氏が殺害されれば、日本政府との間に溝が生じることになりかねません。


いずれの場合も、米英の有志連合と関連国の関係に間隙が生じるという意味で「イスラム国」にとっては収穫であることは用意に理解されます。その点で、リシャウィ死刑囚の釈放を求めた「イスラム国」と推測される組織の着眼点は残酷であるだけでなく戦略的であるといえます。


「イスラム国」とみられる組織の戦略性は後藤氏と湯川氏の殺害を予告した最初の画像において、身代金として2億ドルを要求した点にも現れています。


すなわち、後藤氏と湯川氏の殺害を予告し、2億円の身代金を提示したことは、人質の誘拐によって「イスラム国」が得ている身代金の額が年間で3500-4500万ドルであること2を考えるなら、現実味に乏しいといえます。


しかしながら、安倍晋三首相が「イスラム国」の脅威を少しでも食い止めるため、地道な人材開発、インフラ整備を含め、「イスラム国」と闘うにトルコ、レバノンなどの周辺各国に総額で2億ドル程度の支援を約束したこと3を理由に挙げることにより、いわゆる「イスラム国」側は、一面において「敵対行動への報復」であるとして今回の殺人予告を正当化しようとするともに、実現の期待の薄い金額を要求し、多面において日本側が支払いに応じられない環境を作ることで、「悪いのはわれわれではない、交渉に応じなかった日本側の責任だ」として、人質の殺害をも正当化しようとしていると考えられるのです。


その意味で、後藤さんについては2014年11月から日本政府が「イスラム国」とされる組織との交渉を行っている可能性があること4を勘案するなら、安倍首相の「2億ドルの支援」という演説は、事態が進展しないことに不満を覚えた「イスラム国」側にとっては無理矢理にでも状況を有利に導くための格好の材料となったといえるでしょう。


そして、日本側との交渉のための大事な持ち駒であるはずの人質のうち、湯川氏を殺害したとみなされ、後藤氏にも同様の措置を下そうとしていることは、すでに本欄の指摘するとおり、「イスラム国」側に湯川氏、後藤氏以外にも3人目、4人目の日本人の人質がいることを推察させます5

確かに、安倍首相は湯川氏、後藤氏以外に日本人の人質がいるという情報はないと述べています6


しかし、目の前で進行している事件が収束する前に次の事件が発生する可能性を示唆することは事態の解決に有利に働くものではないことを考えるなら、安倍首相が意図的に他の人質がいるという情報はないと述べたか、あるいは日本政府の当局者が首相に情報を提供していないということが推測されます。


それ故、「イスラム国」を名乗る集団の示す戦略的な行動が徹底しているのであれば、たとえ今回の一件が解決したとしても、類似の案件が引き続き生じるであろうということを、われわれは注意しなければならないのです。


1 後藤さんか、新画像、「残されたのは24時間」、死刑囚釈放要求. 日本経済新聞, 2015年1月28日朝刊1面.
2 油収入細り、資金難か、「イスラム国」身代金で補う?. 日本経済新聞, 2015年1月25日朝刊5面.
3 日エジプト経済合同委員会合における安倍内閣総理大臣政策スピーチ. 首相官邸, 2015年1月17日, http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0117speech.html (2015年1月28日閲覧).
4 「日本人2人殺害」脅迫. 毎日新聞, 2015年1月21日朝刊1面.
5 鈴村裕輔, 「湯川氏殺害画像」が示唆する「イスラム国邦人人質事件」のある側面. 2015年1月25日, https://researchmap.jp/jo6ppbaoy-18602/#_18602.
6 「ほかの人質情報ない」、衆院代表質問で首相答弁. 日本経済新聞, 2015年1月27日夕刊3面.


<Executive Summary>
Will the Next Incident Occur?: A Calculation on the ISIS Japanese Hostage Crisis (Yusuke Suzumura)


An acute situation of the ISIS Japanese Hostage Crisis implies that their attitude is not only so ruthless but also strategic. In this meaning we shall pay our attention carfully that similar crises or incidents should occur in the near future.

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「「イスラム国」邦人人質事件」に際して野党はどのように対応すべきか

昨日、第189通常国会が開幕しました。


政府と与党が今年4月の統一地方選挙に向けて2014年度補正予算と2015年度予算の成立を目指すのに対し、最大野党民主党は岡田克也代表の下で対決の姿勢を強めるとともに、他の野党も統一地方選挙を見据え、存在感の発揮を念頭に置いた国会戦略を取ることが予想されます。


一方、先週から国内外の耳目を集めている、いわゆる「イスラム国」と思われる組織による2名の日本人の誘拐事件については、与党側が、政府が事件の解決に万全を期するため、安倍晋三首相や関係閣僚の国会への出席に柔軟に対応すること野党側に申し入れ、双方が申し合わせに合意するとともに、野党各党は当面は事件の解決を優先し、政府の対応の追求を控える見通しです1


確かに、「人質の解放」というより大きな目的を前にしながら、自らの存在感を高めるために政府の対応を批判したり独自の解決策を提示するのは小さな欲に従うことであり、「イスラム国」と思われる組織に対して「日本の国内はわれわれへの対応を巡って意見が分かれている」とい誤った情報を与えるだけでなく、今後、類似の事件が発生する場合にも、犯人たちに「日本はこっちが強硬な態度に出れば弱腰になる」という不適切な印象を抱かせかねません。


その意味で、事件の解決に向けて政府の対応に協力するという方針は妥当といえるでしょう。


しかし、事件の解決に向けて政府に協力することが、事件が終息した後に政府の対応の検証とを妨げることにはなりませんし、適切な検証なしでは、今後類似の事件が発生する際により効果的に対応することは難しくなるでしょう。


実際、誘拐された後藤健二氏と湯川遥菜氏のうち、後藤氏については2014年11月に「イスラム国」側から後藤氏の家族に対して約10億円の身代金を要求する連絡が届いていた、という政府関係者による指摘があり2、また、インターネット上に湯川氏と思われる人物を殺害したとされる画像についても、政府は事前に情報を把握していた可能性が推測されています3


もし政府関係者による指摘が事実であるとするなら、日本政府はすでに2か月近く「イスラム国」と人質の解放について交渉を行っており、交渉に進展が見られないことを嫌気した「イスラム国」と思われる組織が「身代金2億ドル」という現実味の薄い要求を掲げて事態の打開を図った可能性があります。


また、「湯川氏殺害」の画像についても、政府が事前に情報を入手しながら適切な対応を取れなかったため、「イスラム国」と思われる組織がインターネット上に公開したことが推察されます。


このように考えるのなら、日本政府は事件の初動に手こずり、その後も対応策が後手に回ったことが予想されますから、状況を適切に把握し、よりよい対応策を講ずるためにも、事件の真相だけでなく、政府の対応の実相も解明される必要があり、その役割には政府や与党のみではなく、野党も参画する必要があるでしょう。


何より、事件の解決を優先して首相や閣僚が国会に出席する義務4を免除されるのですから、事後に自らの行動について検証を受けることは、首相や閣僚が負うべき当然の責務といわねばなりません。


それ故、野党は、今のうちから来るべき検証のときに備えて、「邦人人質事件」についての政府や与党の対応についての情報を入念に収集しなければならないのです。


1 「邦人人質」は全面協力. 日本経済新聞, 2015年1月27日朝刊4面.
2 「日本人2人殺害」脅迫. 毎日新聞, 2015年1月21日朝刊1面.
3 「湯川さん殺害」画像 政府、事前に認識. 日本経済新聞, 2015年1月27日朝刊4面.
4 日本国憲法. 第63条.


<Executive Summary>
Opposition Parties Shall Collect Infromation about Government’s Actions for the IS Japanese Hostage Crisis (Yusuke Suzumura)


The 189th Ordinary Diet Session of Japan convened on 26th January 2015. On this occasion, the opposition parties shall collect information about government’s actions for the IS Japanese hostage crisis, since after the crisis, such actions must be varified.

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【追悼】アーニー・バンクス氏――「ミスター・カブ」は永遠に

現地時間の1月23日(金)、米国大リーグのシカゴ・カブスの遊撃手であったアーニー・バンクスさんが死去しました。享年83歳でした。


幼少期から野球に親しんでいたものの、ブッカー・T・ワシントン高校時代には学校に野球部がなかったためバスケットボールや陸上競技を行っていたバンクスさんは、高校を卒業した1950年にニグロリーグのカンザスシティ・モナークスと契約し、1951年から2年間の兵役を経て、1953年にカブスに入団しました。


1953年から1971年まで19シーズンにわたってカブスに在籍したバンクスさんは、1962年に一塁の守備に移るまで遊撃手を務めました。


当時の大リーグでは、遊撃手に比較的小柄で敏捷な選手が多く、打力よりも守備力が重視されていました。その中で身長185センチ、体重81キロというバンクスさんは遊撃手としては大柄であり、実際にMVP2回、本塁打王2回、打点王2回、オールスター戦14回選出など、打力のある遊撃手として実績を残しました。


そのため、大リーグの歴史的展開から眺めれば、バンクスさんはカル・リプケン・ジュニアやデレック・ジーターら「大型遊撃手」と称される1980年代後半以降の遊撃手の先駆的存在であったといえます。


バンクスさんが残した主な記録には、次のようなものがありました。


・ナショナル・リーグ史上初めて2年連続でMVPを獲得(1958年、1959年)
・シカゴ・カブスの歴代最多出場(2528試合)
・シカゴ・カブスで最初の永久欠番(背番号14)
・シカゴ・カブスで唯一通算の長打の合計が1000を超える(合計:1009[二塁打:407、三塁打:90、本塁打512])
・シカゴ・カブスで最初のゴールド・グラブ賞受賞選手(1960年)


1999年に大リーグが「オールセンチュリーチーム」を選出した際、カル・リプケン、ホーナス・ワグナーとともに遊撃手として選ばれるなど、1950年代、1960年代を代表する選手として活躍したバンクスさんは、カブスを代表する選手として「ミスター・カブ」の呼び名を与えられ、長らくシカゴで最も著名なスポーツ選手として周囲の尊敬を集めました。


そのバンクスさんが残した名言の一つは"Let's play two"(もう一試合やろうよ)です。


この言葉が象徴するように、野球を愛し続けたバンクスさんのご冥福をお祈りします。


<Executive Summary>
Mr. Ernie Banks, Mr. Cub Is Forever (Yusuke Suzumura)


Mr. Ernest "Ernie" Banks, a former shortstop and the first baseman of the Chicago Cubs, passed away at the age of 83 on 23rd January 2015. He is one of the most remarkable players in the history of the Major League Baseball and recognised as a representative player of the Cubs. So he is called as "Mr. Cub".

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「湯川氏殺害画像」が示唆する「イスラム国邦人人質事件」のある側面

1月24日(土)、いわゆる「イスラム国」を名乗る一団が湯川遥菜氏と後藤健二氏の殺害を予告した事件について、湯川氏が殺害されたとする画像と音声がインターネット上で公開されました1


画像では後藤氏と思われる人物が、湯川氏に見える写真を持ち、湯川氏が殺害されたこと、身柄が解放される条件が従来の身代金の支払いからヨルダンで捕らえられているサジダ・リシャウィという「同胞」の解放に代わったことなどを伝えています2


この画像について、菅義偉官房長官は「現時点において、殺害を否定する根拠は見いだせない」と発言し、後藤氏と思われる画像の信憑性が高いという認識を示しています3


1月23日(金)に「72時間」と通告されていた交渉期限4が過ぎていただけに、「イスラム国」を名乗る一団も、日本政府ないし日本政府の代理となる組織や人物と交渉を行っているとしても、何らかの譲歩を引き出すための具体的な対応策が求められていたことは想像に難くないところです。


そして、「イスラム国」を名乗る組織が、日本について、米国や英国のように、「イスラム国」などに人質となった自国民がどれほど犠牲になろうとも身代金の支払いを拒み続けるのか、あるいは、フランスなどの欧州諸国のように、表面上は身代金の支払いを拒否しながら、第三国を仲介するなどして水面下で身代金を支払う国5であるかを考えた際、日本はフランスなどのようにやがては要求に従うであろうと判断し、今回の画像の公開に至ったものと思われます。


このとき、われわれが注意しなければならないのは、後藤氏については2014年11月に「イスラム国」側から後藤氏の家族に対して約10億円の身代金を要求する連絡が届いていた、という日本政府高官の指摘6です。


もしこの指摘が事実であるとするなら、日本政府はすでに2か月近く「イスラム国」と人質の解放について交渉を行っていた可能性があります。


それでは、11月から交渉を行っていたいたとして、何故「イスラム国」を名乗る一団は、湯川さんを殺害したかのような映像を公開したのでしょうか。


殺害を行った情報を発信することで自らの存在感を誇示するとともに、日本政府との交渉を有利に進めようとする思惑があることは容易に推察されます。


実際、後藤氏の身柄を拘束している組織の要求が身代金からヨルダンで捕らえられているサジダ・リシャウィ死刑囚の釈放へと代わったことは、組織側が事態の膠着に焦燥感を覚えていることを示唆します。


それとともに、実はこの組織が手元に置いている日本人は湯川氏と後藤氏だけではなく、次なる人質がいる可能性も否定されえません。その場合、組織側が湯川氏の殺害を仄めかす画像を公開することは、身代金の入手を困難にするというよりは、むしろ「自分たちは言ったことは必ず行う」という実例を作ることで、今後の日本側との交渉で優位に立つことを可能にするでしょう。


人質誘拐により年間で3500-4500万ドルの身代金を手に入れている「イスラム国」7であることを考えるなら、成り行きではなく、計画的に人質誘拐事件を起こしている可能性が高く、それだけに、日本政府の対応もより困難になることでしょう。


そのように考えるのなら、「政府としても、関係各国等の協力も得て、あらゆるチャンネル、ルートを最大限生かしながら、全力を尽くす所存です」あるいは「関係閣僚にあっては、引き続き強いリーダーシップを発揮して、正確な情報収集と集約に努めること。人命を第一に、迅速な解決に全力で取り組むこと。関係各国との連携を強化し、国内外の日本人の安全に万全を期すことをお願いします」という安倍晋三首相の発言8はいかにも悠長であり、われわれに、緊迫の度合いを増す事態に対応し切れていない印象を与えるものなのです。


1 湯川さん殺害か. 日本経済新聞, 2015年1月25日朝刊1面.
2 後藤さんとみられる画像の音声. 日本経済新聞, 2015年1月25日朝刊3面.
3 内閣官房長官記者会見. 首相官邸, 2015年1月25日, http://www.kantei.go.jp/jp/tyoukanpress/201501/25_2a.html (2015年1月25日閲覧).
4 「イスラム国」日本を標的、2邦人殺害警告、2億ドル要求、中東政策に試練. 日本経済新聞, 2015年1月21日朝刊1面.
5 有力部族の仲介カギ、身代金要求、各国で対応に差、政府、糸口つかめず. 日本経済新聞, 2015年1月23日朝刊3面.
6 「日本人2人殺害」脅迫. 毎日新聞, 2015年1月21日朝刊1面.
7 油収入細り、資金難か、「イスラム国」身代金で補う?. 2015年1月25日朝刊5面.
8 シリアにおける邦人殺害予告事案に関する関係閣僚会議. 首相官邸, 2015年1月25日, http://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/actions/201501/25syria_kakuryou_kaigi.html (2015年1月25日閲覧).


<Executive Summary>
Why Was Mr. Yukawa Killed?: A Hidden Structure of the ISIS Japanese Hostage Crisis (Yusuke Suzumura)


On 24th January 2015, a video was uploaded on the Web and purported to show Mr. Haruna Yukawa executed and second hostage Mr. Kenji Goto with new terms for his release. By this video, we shall examine a hidden structure of the ISIS Japanese Hostage Crisis.

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【開催95日前】青山フィルハーモニー管弦楽団第30回定期演奏会

2014年12月29日(月)の本欄でもご案内しましたが、来る4月29日(水、祝)、杉並公会堂大ホールにおいて青山フィルハーモニー管弦楽団の第30回定期演奏会が開催されます。

今回は、1997年の第12回定期演奏会以来18年ぶりとなるチャイコフスキーの交響曲第2番を取り上げるほか、グリーグの『ペールギュント』組曲を定期演奏会で初めて演奏するなど、1986年の第1回以来30回目の節目を迎えるにふさわしい演目が予定されています。

東京都の高等学校管弦楽団を代表する青フィルが1年間の活動の集大成を披露する第30回定期演奏会への、皆様のご来場をお待ちしております。

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青山フィルハーモニー管弦楽団
第30回定期演奏会


開催日
2015年4月29日(水、祝)

開場時間
未定

開演時間
未定

会場
杉並公会堂
(東京地下鉄丸の内線、JR中央線「荻窪」駅下車)

入場料
無料、全席自由

曲目
チャイコフスキー/交響曲第2番「小ロシア」
ブラームス/大学祝典序曲
グリーグ/『ペールギュント』組曲より「朝」、「アニトラの躍り」、「ペールギュントの帰郷」、「ソルベイグの歌」
スッペ/喜歌劇『軽騎兵』序曲
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<Executive Summary>
Second Announcement: Aoyama Philharmonic Orchestra 30th Regular Concert (Yusuke Suzumura)

The Aoyama Philharmonic Orchestra holds the 30th Regular Concert at Suginami Kokaido Main Hall on 29th April 2015. It is the 30th Anniversary Concert of the Regular Concert Series since 1986.

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東京都立青山高等学校創立75年によせて:創立記念日はいつか?

去る1月18日(日)、東京都立青山高等学校が創立から満75年目を迎えました。


1940(昭和15)年に「紀元二千六百年」を記念した東京府の教育振興策の一環として東京府立第十五中学校が設置され、その後、東京府の都政への移行、戦後の東京市多摩中学校との合併による東京都立青山中学校の設置、さらに1949(昭和24)年の学制改革による新制高等学校への改組など、青山高校は幾多の過程を経て今日に至っているのは周知の通りです。


ところで、現在、青山高校の創立記念日は1月18日と定められています。


しかし、公式の記録を参照すると、東京府立第十五中学校の設置の告示がなされたのは1940年1月12日であり1、入学者を募集する告示が出されたのは1940年1月16日です2


これらの記録に従うのなら創立記念日は1月12日ないし1月16日になり、1月18日という日付は導くことができなくなります。


また、一説では東京府立第十五中学校の初代校長に沢登哲一氏を充てる事例の発令された日が1月18日であるという指摘があるものの、別の資料では1月23日となっており3、やはり1月18日を創立記念日とするための確かな根拠とはなりません。


いずれにせよ、今や青山高校の創立日が「1月18日」として定着していることを考えるなら、これも一つの「青山高校の伝説」ということになるでしょうか。


1 警視庁東京府公報. 号外, 1940年1月12日.
2 東京府告示第三十五号. 1940年1月16日.
3 東京都立青山高等学校創立四拾年誌. 東京都立青山高等学校, 1980年, 98.


<Executive Summary>
When Is the Anniversary of Foundation of the Tokyo Metropolitan Aoyama High School? (Yusuke Suzumura)


On 18th January 2015, the Tokyo Metropolitan Aoyama High School celebrated it 75th anniversary since the 18th January 1940. On this occasion we examine the exact date of the anniversary of foundation of the Aoyama High School.

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【追悼】陳舜臣氏--対象への豊かな理解と確かな着眼点

1月21日(水)、作家の陳舜臣さんが死去しました。享年90歳でした。


推理小説の作家として出発した陳さんが中国の歴史に取材した歴史小説家として一家をなし、20世紀後半の日本を代表する国民的作家として多数の作品を上梓したことは広く知られる通りです。


私が初めて陳さんの作品を読んだのは中学校2年生の夏休みに母方の実家の山口県宇部市に帰省した1990年8月のことで、祖父が私に蔵書の一部を譲ってくれた際、司馬遼太郎の作品とともに多数収められていたのが陳さんの単行本や文庫本でした。


祖父は、私が小学校6年生から中国の古典思想や古典文学に興味を持ち始めたことを知っていたため、私に譲る蔵書の中に陳さんの書籍を50冊ほど入れてくれたのでした。


中学校を卒業するまでに譲り受けた陳さんの本を読み終えると、その後は自分で既刊本や新刊本を買い求め、当時入手しうる陳さんの書籍の大部分を手元に置くことになりました。


いずれも興味深い作品ではあったものの、とりわけ印象深いのは、『秘本三国志』(文春文庫、1983年)、『中国の歴史』(講談社文庫、1990-1991年)、『阿片戦争』(講談社文庫、1992年)、『太平天国』(講談社文庫、1988年)、『唐詩新選』(新潮社、1989年)でした。


陳さんの作品は、一見すると大きな展開の中にあってささやかな支流や地下水脈を形成する出来事や人物を丹念に追及し、あらゆる断片は置換可能な等質的なものではなく、その一つひとつに異なる性格や要素が備わっていることを描き出す点に特徴がありました。


例えば、『阿片戦争』における、迫りくる英国艦隊に対して関天培の指揮する清軍の奮戦ぶりや、『太平天国』において、翼王を名乗った石達開が清軍を包囲した際、降伏を迫る石達開に対して清軍側が「清の皇帝は知っているが、翼王などは知らぬ」と徹底して抗戦する構えを見せた場面の描写などは、歴史という大きな流れにおいては顧慮されない挿話ながら、一人ひとりの人間のあり方を読者の目の前に生きいきと蘇らせる、陳さんの優れた筆致の典型といえるでしょう。


この他にも、陳寿の『三国志』や羅貫中の『三国演義』では限られた記述しかない張魯と架空の人物である母の少容を中心に描く『秘本三国志』や、『中国の歴史』における「人物を描くためにはその人が没してから50年程度を経なければならない。何故なら、それまでの間は関係者が生きている可能性が高く、公平な描写ができないからだ」という趣旨の記述などには、陳さんの小説に対する態度や歴史への眼差しが垣間見られるといえます。


このように、日本の文学界で独自の地位を占めた陳さんではあったものの、1994年に脳出血を発症したために、作家として大成の時期を迎えるはずであった70歳代以降の執筆活動が停滞したことは、仕方がないとはいえ残念なことでした。


しかも、近年は新刊書がほとんどなかったこともあり、書店でも文庫本の扱いが減り、書棚にその名前を見出すことが難しくなったことは、世の移ろいが実感され、寂しく思われたものです。


それでも、取り上げる対象への理解の豊かさと着眼点の確かさ、そして誠実さと諧謔の精神とが同居する陳さんの作品は、これからも読み継がれてゆくことでしょう。


私が体系的に読書を行った初期に大きな位置を占めた改めて陳さんのご冥福を、改めてお祈りいたします。


<Executive Summary>
Mr. Chin Shunshin, a National Author with a Multifaceted View toward Objects (Yusuke Suzumura)


Mr. Chin Shunshin, an author, passed away at the age of 90 on 21st January 2015. He is one of the most important authors in Japan after the second half of the 20th century and published many remarkable pieces with a multifaceted view toward objects. By such efforts, he is recognised as a national author.

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