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2011年10月の記事一覧

西の魔女が死んだ

今日2回目の投稿です。映画『西の魔女が死んだ』を観ました。内容は、

 

主人公のまいが、自らを魔女と呼ぶおばあちゃんと過ごしていた頃を回想する形で物語は進む。まいは傷つきやすい少女として描かれ、今の現代社会に対しておばあちゃんが暮らす自然にあふれた生活が対照的に描かれる。また同時に一つの重要なテーマとして、人のというものを含んでいる。

注意として、この作品に登場する魔女が使う魔法とは、ファンタジーの世界のようなものではなく、ちょっと不思議なことが分かる程度のものである。現実に魔女と呼ばれた人達のように、物語中でもこの力により迫害を受けたような描写もある。(Wikipediaより)

 

ということです。まいはクオーターでおませな不登校児として描かれていて、不登校になった間をイギリス人のおばあちゃんと過ごした時の事が作品の多くを占めています。作品中は他者との付き合い方や受容についてのことが、魔女としてのイギリス人のおばあちゃんの生き方を通じて描かれています。おばあちゃんはどう見ても日本の森なのにそこでイギリス的な主張を心の中に持って密かに主張していて、それがまいのママの「信念は揺らがない」という言葉に現れてきています。見せたくないものは大人になるとたくさんできるけど、それとどう付き合っていくのかなどはまいにとっては最後のシーンまで分からなかったのですが、おばあちゃんは至る所でそれとなく指摘しています。

 

「魔女」という言葉の持つ意味は、超自然的な力で妖術を行うということの他に、「自分たちが望む人々に豊穣と富と力を授け、自分たちの敵を病気と死で打ちのめすことができる」というシャーマニズムや魔術師の概念も含んでいます。現実の人間としては「魔女狩り」の対象ともなっています。魔女狩りとは、中世末期から近代にかけてヨーロッパや北アメリカにおいて見られたWitchWitchcraftに対する追及と、裁判から刑罰に至る一連の行為です。これは人々がサバト(魔女集会)なるものが現実に存在していることを信じ、かつ拷問を伴う裁判権の行使の自由が保証されていることにより成立しえたものです(拷問を行わなければサバトが実在しているかのような証言は普通得られません)。イングランドでは拷問が普通は許容されていなかったため魔女狩りは不活発でした。

 

魔女狩りに会うのは社会的疎外者の人々が多く、民間療法で薬物の調合や病気の治療を行っていた「魔女」たちが作物の豊凶や災厄に影響を与えているとのことで処罰されたのでした。これは魔女が悪魔と結託したことによりそのような能力を得たのだという迷信に起因するもので、現在のヨーロッパでも未だにそういう考えに捉われやすい人々がいるのは私も知っています。

 

この「魔女狩り」は、要するに「差別」や「いじめ」と同じ構造を持ったものの極致にある訳です。「敵をでっち上げることで一致団結する」ということが作品中で触れられていますが、それは魔女狩りと同じことです。

おばあちゃんは、「魔女には周りを視るアンテナと自分で決める思考力がいる」「魔法や奇跡を起こすには精神力がいる」「魔女でも直感から妄想を膨らませて破滅する人もいる(つまり直感で得た情報を理性によって判断して真理を見究める必要がある)」と機会がある度にまいにsuggestionすることで、自分の意志を明確にしないまま、まいを力強く導いていきます。このような静と激が一体となった感覚が、魔女としての生き方の一つなのでしょう。静かな良品とも言える作品でした。途中道路とまいの境遇がリンクしているなどの古典的な映画の表現法も秀逸でした。

 

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岩波書店(1999/09/07)
値段:¥ 4,200


 

 

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モジュール構造

柳田充弘先生が文化勲章を受章されたらしい。先生は日本の分子生物学・分子遺伝学の一時代を築いた方であり、染色体の伝達・分配・継承の概念は先生が第一人者として世界に先駆けて研究されたものだ。心からお祝いを申し上げるとともに、今後とも益々の研究のご発展をお祈りする。

 

この間のシステムズバイオロジーの輪読会で木村暁先生がご興味を持たれていたことに関連するが、生物ネットワークのモジュール構造というのは大変興味深い問題だ。コンピューターシミュレーションでのネットワークの進化はネットワークのノード(結節点、ネットワーク上で某かの物質的基盤を持つもの)が普通はランダムに繋ぎ合わさっていくものだが、生物のネットワークではそうではなく一連の機能が一纏まりになったモジュール構造を取ることが多い。環境の変化に対しては使用するモジュールの組合せで対処するということで、この方がランダムでなくある目的に沿ったネットワークが形成される可能性が高くなる。生物の環境に対する適応に関してはモジュール性の理解なしには深い洞察は得られない。生物の階層構造、分子ネットワークから細胞内小器官・細胞・組織・器官・個体・個体群・種・群集・生態系・景観へとつながる人間に認識できる全ての単位についてこのモジュール性という概念は適用できるはずであり、各モジュール間の関係が重要になってくる。

 

進化学において昔はよく言われていたのは個体の上のレベルでの自然選択、群選択は通常は起こり得ないということだった。しかしこれは自然選択に関わるパラメーターが平均場近似という空間的に一様であると近似できる場合のみで、空間の対称性が破れていることを考慮すればマルチレベル選択として個体より上のレベルの自然選択も起こり得る。ちょっと考えてみれば、人間が「個体」と呼んでいるものも細胞を単位として見れば細胞たちの社会性の産物であることは分かると思うので、「個体」に自然選択がかかるのならその上のレベルで自然選択がかかるのは明らかに間違っているとは言い切れない。メタ個体群やメタ群集の概念にも当てはまるが、要は対称性がどの程度破れているかが問題になってくるのである。

 

このようなスケールのシステムの構造に関しては物理学からの解析が今まであまり行われてこなかったので、生物学の面から構造解析するのは実に興味深いテーマだ。反応や物性的な解析は統計力学の理論があまりにも進歩していてそれを実際に実験的に確かめるのが難しいくらいだが、構造的な解析は何がどうなっているのかもまだよく分からない範疇に入るので、今後の展開が大いに期待できる。

 

 

 

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三島の休日

私のMacBookは今週の二日間にわたって何回かサイバー攻撃を受けたようだが、遺伝研で義務付けられている対策ソフトのおかげで攻撃側のアクセスを無事遮断できたようだ。遺伝研は日本の機関にしては事務がきっちりとしているのが特徴的なことだと思う。

 

今週末は土曜が雨、日曜も早朝に雨が降っていて午後の半ばまで空に雲がかかってどんよりとしており、山の方にも雲があっておそらく雨が降っていると思われるので、土のサンプリングには行かなかった。土のサンプリングの際に雨滴が混入すると定量的なサンプリングが出来なくなるし、GPS・温度・湿度・pH・勾配の計測器は水に濡れても大丈夫だが照度計はそうもいかないからである。そこで週末は休息と実験の日に充てた。昔は我武者羅に実験をしていたものだが、世の中には仕事をしていると「あいつは仕事しかしない気違いだ」と言っていろいろ妨害をしたり変な噂話を流す人も出てくるので、最近はそのような仕事をせずに文句ばかり言っている人と同じ土俵で生産性を高めることを目標においている。遺伝研にはそのような人はいないが、ケチをつけたがる人はどんなことにもケチをつけるし、そういう人の方が大勢いる環境というものも世の中には存在する。

 

芦原妃名子『砂時計』という漫画を読んだ。内容は

主人公の植草杏(うえくさあん)は、12歳の冬に両親の離婚を機に母親 美和子の実家・島根に越してきた。田舎独特の雰囲気をなれなれしくプライバシーが無いと感じた杏。だが、近所に住む北村大悟(きたむらだいご)と知り合い、徐々にその田舎の雰囲気に慣れていくようになる。

そんな中、彼女を支える母親が仕事中に倒れてしまい、自分が「がんばれ」と言って母親を追い込んでしまったと責任を感じた杏は、母親を少しでも助け ようと仕事を探す。そして大悟と共にお手伝いに行った村の地主「月島家」で、杏は同い年の月島藤(つきしまふじ)と妹の椎香(しいか)に出会う。

4人はいつしか行動を共にするようになり、杏は嫌で嫌でたまらなかったこの村に居場所を見つける。

しかしその後近くして、杏の母 美和子が生きることに疲れ、自殺をする。杏は葬式の席で、島根に来る途中に仁摩サンドミュージアムで美和子に買ってもらった砂時計を、悲しみのあまり美和子の遺影に投げつけ壊してしまう。そんな杏に大悟は、壊れた砂時計と同じものを杏に渡し、ずっと一緒にいることを約束する。杏も大悟とずっと一緒にいられ るよう願う。

やがて時が経つと、杏と大悟の間には恋心が芽生えていき、2人は付き合うようになる。

しかし、杏の父親が杏を迎えに来た為、杏は高校の3年間は東京に住むことになり、2人は遠距離恋愛になってしまう。始めのころはうまくいっていた2 人だったが、東京と島根という遠距離、藤のずっと募らせてきた杏への想い、椎香の大悟への想い、更に、杏の心の奥底にはいつも母親の影が存在していて……2人の間はゆっくりと拗れていくようになった。そして、ある事件をきっかけに、杏は大悟と別れることを決意する。

少女から大人へと成長する中で、様々な恋や別れを繰り返してゆく杏。しかし、杏の心の中は常に母親の存在で支配されたままでもそんな中に、ずっと心の支えとなっている大悟の姿も確かにあった。

周囲が徐々に新たな幸せを見つけ出していく一方、独り、杏は幸せを求め奔走していく。(Wikipediaより)

 

ということだが、少女漫画らしくちょっとした言葉のすれ違いが関係の破綻にまで発展していくことが瑞々しく描かれている。普段は少女漫画などを読んでも絶対に有り得ない展開だなどと思ってしまうのだが、現実でも人間関係のトラブルになるのはちょっとした誤解が当事者の間で大きな妄想として膨らんでいくことが原因であることが多いので、そういった意味ではこういう少女漫画特有の瑞々しさも馬鹿にしたものではない。川端康成の初期の作品も、思春期や青春期の不安定な感情が瑞々しく描かれており、こういった繊細な情動の描写は眺めていて深く感じ入られるものである。少年漫画の筋肉系のノリにはもうついていけないので、こういう漫画の方が肌に合う。

 

映画は『真昼の決闘』を観た。内容は、

 

ウィル・ケインはハドリーヴィルという町の保安官。彼は結婚したばかりで、その日を最後に退職する予定であった。そのウィルの元に、以前彼が逮捕し た悪漢フランクが釈放され、正午の列車でハドリーヴィルに到着するという知らせが舞い込む。フランクは彼の仲間と共に、ウィルに復讐するつもりであった。

ウィルはエミイと共に逃げようとするが、思い直して引き返す。父と兄を殺された経験を持つクエーカー教徒のエミイは、正義よりも命の方が大事だと説得するが、彼の意思は固い。ウィルは仲間を集めに奔走するが、誰も耳を貸さない。判事は早々に町から逃げ出した。 保安官補佐のハーヴェイは腕はいいが精神的に未熟な若者で、ウィルの後任に自分が選ばれなかった恨みと、かつてはウィルやフランクの恋人だった婚約者のヘレンとの因縁もあって協力を断る。酒場の飲んだくれ達はウィルよりもフランク一味を応援している始末。教会では意見が分かれて議論になるが、結局ウィルが 町を去るのが一番良いという結論が出る。保安官助手たちは居留守や怪我を理由に辞退する。結局一人も集まらないまま、フランクの乗った汽車が到着し、4人 の悪党相手にウィルの孤独な戦いが始まった。

ヘレンはハーヴェイにも町にも愛想を尽かし、エミイを連れて汽車に乗ったが、銃声が鳴り響くと、エミイは飛び出して戻っていった。ウィルは建物に隠 れながら応戦し、2人を倒したが、肩を撃たれてしまう。そこへエミイが来て1人を撃ち倒すが、フランクに捕まってしまう。フランクは彼女を人質にとってウィルを誘い出すが、エミイが抵抗してひるんだ隙にウィルに撃たれる。住民が集まるなか、ウィルはバッジを投げ捨てると、エミイと共に去っていった。(Wikipediaより)

 

となる。この映画のエッセンスは

 

“If you think I like this it is crazy!”

 

というウィルの台詞に集約される。「正義の味方」という役割は好き好んでやるものではないし、仕方なくやるものだ。子供の時に抱いていたヒーローへの憧れが現実の悩みと変わったウィルの心情がこの一言に集約されている。ウィルは最初、幸せの中でバッジを捨てて旅立とうとするが、最後は本当の意味で保安官としての身分を象徴するバッジをかなぐり捨てて去っていく。

 

映画二本目は『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』。内容は

 

1918年のニューオーリンズ80歳の姿で生まれた赤ん坊はある施設の階段に置き去りにされていた。黒人女性のクイニーはその赤ん坊を拾い、ベンジャミンと名付け、自身が働く老人施設でベンジャミンを育てる。ベンジャミンは成長するにつれ若返っていった。

1930年の感謝祭で ベンジャミンは少女デイジーと出会い、ふたりは心を通わせた。仲が親密になっていくにつれベンジャミンの若返りとデイジーの成長は進み、やがて同じぐらいの年格好となった。しかし、この後も普通に年をとっていくデイジーに待っているのは「老い」。ふたりは共に同じような人生を送れることはないのだ。成長を するにつれ、ベンジャミンは彼女や周囲の人々を通じて、「生きること」とは何かを深く考えていく。(Wikipediaより)

 

ということだ。監督のデヴィッド・フィンチャーさんは『エイリアン3』『セブン』『ゲーム』『ファイト・クラブ』などを手掛けてきた有名な方だ。ベンジャミンの成長と若返りが普通の人と異なることによるギャップと許容が自分と異なる人との付き合い方への問題としてクローズアップされる。そのような基本コンセプトの上にベンジャミンの人生を象徴する逆回りの時計と世界的な大事件の数々、意味があるとは言えないが人々の小さな偶然と運命の連なりが絡み合っていく様から静かな時間が提供されていく秀作であった。雷に七度打たれた男の話も要所要所に挟まれていて面白い。クイニー役のタラジ・P・ヘンソンさんの演技も秀逸だった。

 

 

 

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