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2014年11月の記事一覧

On Liberty

John Stuart Mill “On Liberty” (WHITE CRANE PUBLISHING) を読みました。「自由」という政治的概念について述べたエッセイです。功利主義を社会や国に当て嵌めたもので、国家の権力に対する諸個人の自由を提唱した物ですね。これを妨げるのは他人に実害を与える時のみというのがこの自由のみそです。功利主義における利益とされる個性や、多様性、天才の保証が文明の発展の為に必要ともしています。Tocquevilleの著作に比べると具体性が欠けて分かり難い点もあると思いますが、今尚読み継がれ吟味されている古典です。Millが精神疾患に倒れた時に支えてくれた奥さんの影響でMillは倫理観や女性の権利についての考えを改め、奥さんと協力してこの本を書きましたが、奥さんは本の発行の直前に突然亡くなったので、Millにとっては奥さんとの思い出となっていたそうです。

 

Millは国家が全て同一種の人々で構成されている訳ではないことから、政府の専制や、Tocquevilleも指摘していたそれよりもさらに事態を悪化させる多数派の専制は市民の自由に依りコントロールされなければならないとしています。特に多数派の専制はそれが適切とは限らないのに「空気」を醸成し法による保護が効き難いため危険だとしています。その為に思想や発言の自由は常に保証されるべきで、個性も創造性や多様性の保持のために必要としています。ただ最終章にある経済への政治の介入は良くないとしていたのは前ケインズ主義的ですね。最終章の応用の話は現代人には同意出来ない部分も多々あると思います。

 

Millの功利主義的な指摘をゲーム理論や協調性の進化の視点から考えてみると、Millは多細胞生物の個体とは異なり個人を単位とする比較的穏やかな連合体を国家として考えているようで、環境への適応は多様性による維持で対応するべきだと見ていたようです。他人に実害を与えないと言うのは協調性の維持に必要で、それ以外は自由にすることで多様性を担保することを考えていました。Millは社会の進化の初期段階では社会は少ない人口と恒常的な戦争に曝されており、首長の専制化に置かれているとしましたが、それが発展に従って個人の自由が大きくなっているとしました。社会的協調性の進化では次のモデルがTraulsen and Nowak (2006) PNAS 103: 10952-5. で提唱されています。ネットワークによる利益をb、コストをc、ネットワークに含まれる最大集団サイズをn、集団数をmすれば、

$\frac{b}{c} > 1 + \frac{n}{m}$

でないと社会的協調性は安定ではありません。つまり、初期社会のようにまだbが小さくcが大きい状態では、mが大きくnが小さい少人数社会が多数存在している状態しか許されないのです。少人数を上手く纏めるには専制しかないでしょう。社会が発展してbが大きくcが小さくなれば、mが小さくnが大きい少数の大社会も可能になってきます。このモデルには現れていませんが、社会がある程度大きい方がbが大きくcが小さくなる場合、大社会化が加速します。一方、社会のクローン性をF(がん細胞のような自分だけの利益を追求するチーターを排除するために重要な指標)、有効集団サイズをNe(遺伝ではないので一倍体と同様に考えます)、変異率をµとすれば、

$F = \frac{1}{\sqrt{1+4N_{e} \mu } } > \frac{c}{b}$

でなければネットワークが安定でないこと(Ohta and Kimura 1973, Genet Res Comb 22: 201-4.; Nowak and Sigmund 1998 Nature 393: 573-7.)より、bが大きくcが小さくなれば環境が安定していてもクローン性は低くともよく、利益率の良い社会では多様性が担保されやすくなります。環境が激変している時はこの議論は成り立たず、多様性が高い方が生き残り易くなるので進化の揺り籠が保障される訳です。これらのモデルは問題を極度に単純化すると同時にMillの議論の多くの部分を反映出来ていませんが、その一部は以上の議論で理解しやすくなります。

 

今の日本で行われている格差拡大政策は国家が将来コントロールの効き難くなる巨大企業にテコ入れして貧民をさらに貶めるという、国民国家的には持続可能性が低そうな政策で、国家でなく巨大企業が支配するグローバル化社会の形成が加速されるでしょう。絶対主義のように貴族を貶めて市民にテコ入れし、互いに憎悪させることで国家の統制をコントロールしていたのとは逆の政策ですし、ここに挙げた(所得再分配の欠如に依り)格差は徐々に産まれていっても市民の自由が保証された世界とも違う訳ですが、どうなのでしょうね。

 

On Liberty (English Edition)
John Stuart Mill(2011/03/30)


自由論 (岩波文庫)
J.S. ミル
岩波書店(1971/10/16)
値段:¥ 842


 

 

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仁徳天皇

古事記下巻の最初の方には大雀命(大鷦鷯尊、仁徳天皇)に関して次の記述があります。

ここに天皇、高き山に登り四方の國を見て詔らさく、「國の中に烟發たず、國、皆、貧窮し。故、今より三年に至るまで悉く人民の課役を除け。」 是を以ちて大殿破れ壞れて悉く雨漏ると雖ども都て修理うこと勿し。はこを以ちて其の漏る雨を受け、漏らぬ處に遷り避りき。
 後に國の中を見るに國に烟滿ちき。 故、人民富めりと爲て、今は課役を科せき。 是を以ちて百姓榮え、役使に苦しまず。 故、其の御世を稱えて聖帝の世と謂う。

ちなみに聖帝と言ってもサウザーではなくひじりのみかどと読みます。この時代はまだ貨幣経済ではないので財政出動などが出来なかったことも頭に置いておいて下さい。民が貧窮している時には租税を免除し、豊かになっている時に課税するという当たり前のことが4世紀頃?には行われていたようです。金融緩和で景気が上向いて来たとは言え景気が良いとはとても言えない状況で増税して景気の腰を折ったZ務省はおそらく1600年以上前からタイムスリップしてきた超古代人の集団なのでしょう。尚、仁徳天皇は日本で最初に大規模な土木工事を行ったともされています。

古事記や日本書紀で大雀命と並んで有名なのが宇遅能和紀郎子(菟道稚郎子皇子)です。宇遅能和紀郎子は大雀命の弟で、父の品陀和氣命(譽田天皇、応神天皇)は宇遅能和紀郎子を皇太子としたのですが、早世(古事記)、もしくは兄に帝位を譲るために自殺(日本書紀)したために大雀命が天皇となったとされています。一説には天皇として即位していたという話や、仁徳天皇に毒殺されたという話もありますが定かではありません。名前の通り現在の宇治との関係が深く、大雀命の兄に当たる大山守命が品陀和氣命の死後に帝位を簒奪しようとした時に大山守命を宇治川で謀殺し、その時の心境を

ちはや人 菟道の渡に 渡手に 立てる 梓弓檀 い伐らむと 心は思へど い取らむと 心は思へど 本辺は 君を思ひ出 末辺は 妹を思ひ出 悲けく そ こに思ひ 愛しけく ここに思ひ い伐らずそ来る 梓弓檀

と詠っています。莵道の山に葬られた(日本書紀)とも散骨された(続日本後紀)ともされていますが、宮内庁は丸山古墳を整形して菟道稚郎子が葬られている宇治墓としています。私の実家の対岸にあって、繁殖期にはアオサギのコロニーと化しています。大雀命には速総別命(隼総別皇子)という弟もいましたが、自分が求婚した女鳥王(雌鳥皇女)と通じて背いた為に共に誅殺されます。仁徳天皇は鳥の名に深く関連した天皇だったのです。

宇治の宇治神社の祭神は莵道稚郎子、宇治上神社の方はそれに加えて応神天皇と仁徳天皇となっています。古社や古墳には付き物のアラカシの森も周りにありますよ。

古事記
西宮一民
おうふう(2003/06)
値段:¥ 2,052




続日本紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
宇治谷 孟
講談社(1992/06/05)
値段:¥ 1,350








日本後紀(上)全現代語訳 (講談社学術文庫)
森田 悌
講談社(2006/10/11)
値段:¥ 1,404



日本後紀(中)全現代語訳 (講談社学術文庫)
森田 悌
講談社(2006/11/10)
値段:¥ 1,274


日本後紀(下)全現代語訳 (講談社学術文庫)
森田 悌
講談社(2007/02/09)
値段:¥ 1,242


続日本後紀(上) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
森田 悌
講談社(2010/09/13)
値段:¥ 1,350


続日本後紀(下) 全現代語訳 (講談社学術文庫)
森田 悌
講談社(2010/10/13)
値段:¥ 1,296


 
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ボルツマンの原子 理論物理学の夜明け

デヴィッド・リンドリー『ボルツマンの原子 理論物理学の夜明け』(青土社)を読みました。ルートヴィッヒ・エードゥアルト・ボルツマン(1844-1906)は原子(分子)が個々には無秩序な振舞をしても、集団に統計学と確率論の技法を用いれば秩序だった振舞をすることを提唱した最後の古典物理学者であると同時に理論物理学者の先駆けですね。エントロピーを現すS= klogWの式はあまりにも有名です。

 

ボルツマンが研究をしていた時代は、原子などイメージし難く見えない物がどうして認識されるのか、そもそも原子説は本当なのかが疑問を呈され、科学者の間でも意見が割れていた日々でした。マッハなど科学哲学に傾倒した学者は「原子という概念は必要ないし、原子のことを考えるのも憚られる」と主張していました。物質の構造・状態・変化を知る上で無くてはならない概念を考えてはいけないというのですから、ウィーンの学界などに与える悪影響は甚だ大きいものでした。ボルツマンが統計力学を用いて理想気体のエントロピーが原子(分子)論的にも不可逆過程では増大することを示したH定理は今でもきちんとした証明は為されていないのですが、そのH定理に対する疑念もこのような見解から激しくなっていました。ボルツマンは熱力学を確率論的に捉えていたのですが、マクロな熱力学の法則を絶対化して考える学者にはボルツマンの熱の運動説などは理解出来なかったのです。統計力学の基礎には確率論的なマクスウェル分布があり、そこにボルツマンが原子(分子)の存在を前提とした運動論的なボルツマン方程式を導入したのです。ギブズは見かけ上は運動説に拘らず別の角度から相律や自由エネルギー、ギブズーヘルムホルツの式を提唱し、統計力学の大成を見たのです。運動説に最初は反対していたプランクが1900年の量子論で変節するまでは、ボルツマンには辛い時代が続きました。ボルツマンも反対者が多いとは言え時代の寵児ではあったのですが、異動に関するトラブルなどでいつも精神疾患に苛まれていたようで、1900年頃にそれは酷くなり最期には自殺してしまいます。1905年はアインシュタインの「奇跡の年」で、「光量子仮説」「ブラウン運動の理論」「特殊相対性理論」に関する5つの論文が出版され、前二者はボルツマンの理論に依ることも大きいのですが、その直後にボルツマンは不幸な最期を迎えたのです。

 

ボルツマンは生前、ダーウィンの進化論を熱心に広めようとしていました。生命そのものが熱力学的な現象で、「生物の生存闘争全体は、したがって原料を求める争いではないーあらゆる生物の原料は空気、水、土の中にあり余るほどある。またエネルギーを求める争いでもない。こちらは熱の形であらゆるものに充満している。熱い太陽から冷たい地球へと流れるエネルギーの形で利用できるようになる、エントロピーをかけた闘いである。」と述べています。適者生存という単純な規則を適用した進化とは一種の統計力学で、個々の生物が相互作用し、種としての性質が現れてくるというのです。生物の原料の問題は例えば窒素・リン酸・カリウムに関しては一般に制限栄養素となるので間違いですが、後半のシュレーディンガーの先駆けとなった見解は、今尚生物学における重要な課題となっているのかも知れません。

 

ボルツマンの原子―理論物理学の夜明け
デヴィッド リンドリー
青土社(2003/02)
値段:¥ 2,808


 

 

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大古事記展


11/1は奈良県立美術館の『大古事記展』と、奈良国立博物館の『正倉院展』に行って来ました。『大古事記展』の方の紹介です。

 

現在、奈良県では『古事記』完成1300周年の2012年から『日本書紀』完成1300周年の2020年までの期間、これらの記紀と『万葉集』の紹介に力を入れています。『古事記』は日本という国の成り立ちの神話から推古天皇の時代までが簡潔に描かれた日本最古の歴史書として有名ですね。古典を習った人なら一度は出来るだけ原文に近い形で読むことをお奨めします。私たちのルーツが某かの形で反映されていると考えられるからです。高天原とか中国南部だという説もあるようですが、どうなんでしょうね。葦原中国に下った建速須佐之男命から六代目の大国主神が建御雷神に国譲りをしたのは有名な話です。神武東征時の兄の五瀬命の戦死など、妙なリアリティがあります。

 

太安万侶神座像(室町時代 多神社、多氏の本拠地)



女神坐像(平安時代、丹生川上神社、ツルマンリョウの自生地) 近藤よう子さんの『異神変奏』に出て来そうな神像ですね。鎌倉時代の火災で下部が焦げているそうです。

 


少彦名神はガガイモの実を舟にし、ガンのような鳥の皮を着て現れた小さな神で、久延昆古だけがその名を知っていたようです。大国主神と一緒に国造りをした後、海の彼方の常世国に渡って行ったそうです。飛鳥時代にタチバナにつく虫を常世神として祀る新興宗教が発生したそうですが、秦河勝に討たれたそうです。

 


七支刀は古墳時代からの石上神宮の伝世品です。

 

 

古事記
西宮一民
おうふう(2003/06)
値段:¥ 2,052


異神変奏 時をめぐる旅 幽COMICS
近藤 ようこ
KADOKAWA / メディアファクトリー(2014/06/23)
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