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2016年2月の記事一覧

愛宕山

2016221日は愛宕山に登って来ました。愛宕山には火伏せに霊験がある大宝年間創建の愛宕神社があり、本殿では伊弉冉尊・埴山姫神・天熊人命・稚産霊神・豊受姫命、若宮では雷神・迦遇槌命・破无神、奥宮では大黒主命など多くの神々を祀り、京都の周りの山としては比叡山と並び称されます。千日通夜祭ではあまりにも多くの人々が参拝しますね。

 

今日は京都マラソンなので、朝のバスは有栖川までしか走っていません。幕末の風雲ですね。嵯峨釈迦堂や嵯峨鳥居本の化野の辺りを通って清滝へ。それでこれが与謝野晶子が「ほととぎす 嵯峨へは一里 京へ三里 水の清滝 夜の明けやすき」と詠んだ猿渡橋です。

 

ここから表参道を登って行きます。

 

ウメPrunus mumeの花も咲いていましたよ。

 

火燧権現跡ですね。

 

こちらは壷割坂。

 

アカゾメタケHapalopilus nidulansですかね。何ヶ所かに生えていました。

 

カワラケ投げで遊んでいた人がいたようです。

 

立派な総門ですね。

 

スギCryptomeria japonicaの他、アラカシQuercus glauca・アカガシQuercus acuta・クヌギQuercus acutissima・アベマキQuercus variabilis・クリCastanea crenataなどの巨木があったのは、神域だからでしょう。樒(シキミIllicium anisatum)を下の集落に運んでいる若者たちが居ました。ここは榊じゃないんですよね。

 

 

本殿の神域に入ると雪が降って来たんですけど。。。火伏せってことなんですかね。。。伊弉冉尊が迦遇槌命を鎮めているとか。。。

 

剛の者がおられるようです。

 

何かありますね。

 

本殿は吹雪のようにみえますが、実際は其れ程大したことはなかったです。簡易アイゼンやスパッツも出番なし。

 

下って休憩所でお昼にしてトイレに行ったら雪は止みました。眺めが良いですね。雪はあとの下りで少し降った程度でした。

 

 

帰りは月輪寺を通るマイナーなルートを取ります。表参道と違って少々ガレている尾根を通る為、アセビPieris japonica・ドウダンツツジEnkianthus perulatus・モミAbies firma・ツガTsuga sieboldiiなどが生えていて、気分転換には両方を通った方が面白いです。

 

 

ここが由緒正しい月輪寺(つきのわでら)。藤田和日郎さんの漫画『邪眼は月輪に飛ぶ』の方は「がちりん」と読みますからね。

 

八大龍王の鳥居の向こうにある空也滝にも行ったのですが、祈禱中の方がおられたので写真は遠慮しました。という訳で楽しい時間を過ごしました。

 

植物は他にヒノキChamaecyparis obtusa、アカマツPinus densiflora、ネジキLyonia ovalifolia var. elliptica、イチイガシQuercus gilva、カナメモチPhotinia glabra、イロハモミジAcer palmatum、タムシバMagnolia salicifolia、アオキAucuba japonica、ヒサカキEurya japonica、ヤブツバキCamellia japonica、ナンテンNandina domestica、クマザサSasa veitchii、菌類はシックイタケAntrodiella gypsea、カワラタケTrametes versicolor、キクラゲAuricularia auricula、地衣類はウメノキゴケParmelia tinctorum、アカサビゴケXanthoria manchurica、変形菌はシロススホコリFuligo candida、鳥はヤマガラParus varius、ヒガラParus ater、コガラParus montanus、ヒヨドリHypsipetes amaurotis、ハシブトガラスCorvus macrorhynchosを確認しました。

 

 

 

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【改訂】死者の書

折口信夫さんの『死者の書』、読みました。短く流れるような文体で読み易いと同時に、瑞々しい表現が頭にすっと入って来て素晴らしかったです。話の根底には八百万の神を下目に仏教のようなキリスト教のような概念が横たわっていました。物語に登場する滋賀津彦は、小学館の『学習まんが少年少女日本の歴史』にすら登場する大津皇子のことですが、日本書紀に登場する天若日子から隼別皇子を経て仏教的に転生して来ているような話になっています。過去生と未来世の話も出て来ますしね。大津皇子については、
「人間の執心と言うものは、怖いものとはお思いなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の国を守らせよ、と言う御諚で、此山の上、河内から来る当麻路の脇にお埋けになりました。其が何と、此世の悪心も何もかも、忘れ果てて清々しい心になりながら、唯そればかりの一念(耳面刀自への想い)が、残って居る、と申します。」
「言うとおり、昔びとの宿執が、こうして自分を導いて来たことは、まことに違いないであろう。其にしても、ついしか見ぬお姿ー尊い御仏と申すような相好が、其お方とは思われぬ。」
とありますし、法華経の話も出て来ますので転生によりセイバー系の人物として形作られていく過程なのでしょうが、生前に一点の曇りとしてあったものが怨念のようなものに変化したものを、郎女が鎮める話です。本来の大津皇子の人格が完全に保たれていればこのような話にはならないと思われますが、少しあった執心だけがいつまでも残って
「おれの名は、誰も伝えるものがない。おれすら忘れて居た。長く久しく、おれ自身にすら忘れられて居たのだ。可愛しいおれの名は、そうだ。語り伝える子があった筈だ。語り伝えさせる筈の語部も、出来て居ただろうに。ーなぜか、おれの心は寂しい。空虚な感じが、しくしくとこの胸を刺すようだ。」
という、セイバーの責務の為には自分の名など構わず投げ出せる筈の元々の人格とは異なったものになっています。セイバーが自分はセイバーだなんて言えば百害あって一利もないのは歴史が証明していますし、自分の名を捨ててでもある行動を取るのがシステムに最適になる状況は大なり小なり皆経験出来る筈です。だからそういった状況に置かれてどう行動を取って来たかがその人を形作るのです。そういったものが取り除かれて残った執心が、祟りのように迷信深い人には見える事象となった描写は物語の各所でありました。もう少し科学的に考えれば、人の意識は故人が亡くなるか亡くなる直前には消えてしまいますし、故人の意識と同一のものが幽霊や怨念になって後世に影響を及ぼすとは考え難いです。ただ、「執心」と形容されるような何らかの情報のもつれが間接的に後世に「祟り」のようなものとして見える事象になること、これは厳密な証明はまだないにせよ、科学的メカニズムとしての候補が全くない訳ではありません。その場合、「祟り」を無くすには故人が亡くなってからどうこう鎮めようとしても無理で、故人が亡くなるような原因からして事前に取り除かないと何の意味もないというある意味現実的な話になってきます。『百億の昼と千億の夜』じゃないですけど、伝えておくべきことは故人が生きている内に伝えておくべきだという話でした。

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