研究ブログ

2020年2月の記事一覧

「万年助手」についての一考察

 日本の大学において,専任教員としての職位は次のように決められている。

  1. 教授・・・いわゆるfull professor
  2. 准教授
  3. 講師・・・ないところもある
  4. 助教

「助手」は助教に繋がるステップとして残してある大学もあるようだが,基本,講義を担当できないのでここでは教員としては考えない。

 大学内部のことに詳しくない人でも,一番偉いのが教授で一番下っ端が助教,准教授は教授の一つ下,というぐらいは知っているのが普通である。ただ「講師」というのが「常勤」なのか「非常勤」なのかが分かりづらいのが困ったところで,講師暦12年のワシは区別のためにあえて「常雇です」と説明する必要があったりした。だもんで,助教の次は准教授にステップアップし,准教授に階層を付けるケースもあるようだ。

 さて,大学という組織にいる以上は,教員たるもの全員「教授」を目指すべきであるし,そうでないと組織的にも困るんだけど,純粋に一個人の幸せを追求する方々におかれましては,そーゆー「上昇志向」が皆無であるというケースもあるんだなこれが。

 今や死語となったが「万年助手」という高貴なご身分がまかり通った時代が昭和にはあったのである。今で言うところの「助教どまり」のことであるが,イマドキの大学なら助手は助教は年限付きのケースが多かろうし,最近はどの職位で入ったとしても問答無用で年限付き(更新あり)だったりするケースも珍しくないので,現代の常識に鑑みて信じがたいことではあるけれど,助手という腰掛が定年まで安泰だった時代があったのである。・・・なんともはや,給料が頭打ちになることを除けば羨ましいご身分なのである。

 受け持つ講義は皆無,せいぜい実験や演習の手伝いをすればよく,空き時間は全て自学自習,研究三昧の生活を定年まで送れるとあらば,今でもそれを望む向きが結構な率で存在するのではないか。最下層から上役たる教授に物申しつつ建設的な意見書なんぞメンドクサイ,ふんぞり返ってどんな出世の圧力に対しても馬耳東風,かういふひとにわたしはなりたひ。無理だけど。

 一人でコツコツ論文を仕上げては年に1~2本投稿するというペースで仕事ができたらいいな,と夢想する向きは今でも結構いるんじゃないのかなとは思うが,科研費や企業研究費をガツガツ持ってこない限り,やりたい実験も手数も足りないという分野が多い昨今では,こういう牧歌的な態度の教員は時限付きで放り出したい,というリストラ圧力は高かろう。そういう文科行政に対する批判は多いが,さてそれは日本だけなのかなと考えると,一概に否定はできまい。そういうグローバル的に吹き荒れる圧力に左右される役職者(学長,学部長,学科主任等々)から見れば,「万年助手」的教員は,個人的信条としては憧れ的な存在ではあるけれど,組織的,というより上に忖度しなきゃいけない立場からすれば,厄介な「杭」のように思えてしまうのである。

 牧歌的な万年助手が,教育的学術的に優れた存在であれば,それはそれでいいし,かつての昭和の万年助手の中にはそーゆー人も,少数ながら存在した。しかし多数はそうではないし,基本「もちっと(学術にしろ内部事務にしろ教育にしろ)仕事してよ」と言いたくなるものであるからして,現在日本から万年助手が消え去るのはやむを得ない。ノスタルジーに浸る前に,教授目指して昇進することの意義をまじめに考えて欲しいなぁと思う,コロナウィルス騒ぎでPCR検査もままならない日本の学術研究の貧相さにため息が出る今日この頃である。