錯視 日誌

2019年6月の記事一覧

ウォーホルの作品にインスパイアされた錯視アート作品

アンディ・ウォーホルの『キャンベルのスープ缶』にインスパイアされて作成した錯視作品『 キャンベルのスープ缶の浮遊錯視 』(新井仁之・新井しのぶ作)です.こちらをご覧ください.⇩
https://twitter.com/arai20092/status/1138986401611956224

数学的方法による浮遊錯視生成技術(新井仁之・新井しのぶ)を用いて作成したものです.
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TeXで仕事して感じたこと

TeXで数十頁前を少し修正する.dviにするとその近傍では行が変わったり文書の様子が変わる.しかし数十頁後のレイアウトには何も影響がない.もしタイムマシンがあって,それを使って過去に戻って,多少過去を変えても現在の自分には何も影響がない場合があるかもしれない.TeXで仕事しながらそんなことが脳裏をかすめました.
Wordで文書を作成していても,そんなことは感じたことはありません.TeXの場合,コンパイルする間の微妙な時間がそう感じさせるのでしょう.
雑談です.
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数学書売り場が寒い時代に復刊:コルモゴロフ・フォミーンの函数解析の基礎(オンデマンド)

 最近、職場が変わったため、神保町に行く機会がめっきり減ってしまい、悪いことには近所にまとまった数学書を置いてある書店がなく、仕事の帰りに数学書を漁るという楽しみは失われてしまいました。しかしその要因は私個人の環境の変化によるものだけではないようです。かつては数学書をたくさん揃えていた書店の多くが、軒並み数学書売り場を大幅に縮小し、その代わりにプログラミングや人工知能関係、コミックの売り場を拡大しているという時代の趨勢もあります。深層学習や Pyhtonの本を渡り歩くのも楽しいのですが、何かそれだけでは物足りなさも感じられます。
 さらには、そうでなくとも脇に追いやられてしまった数学書売り場が、また別のことでかわいそうな状況に陥っています。まるでビジネスのハウツーもののような数学書が大いに幅を利かせているのです。大勢の人たちの役に立つハウツーものが大きな顔をして、重要ではあるが少数のニーズしかない書籍は駆逐されつつあります。それが市場の原理というものなのかもしれません。書店さんの大きな役割の一つは、多くの人が興味をもつ本をできるだけ多くの人に提供するということでしょからやむを得ないことではあります。

 そんな中、岩波書店のオンデマンドで、コルモゴロフとフォミーンによる『函数解析の基礎』上、下(山崎三郎・柴岡泰光訳)が復刊されることを知りました(岩波書店HPによると6/11発売)。オンデマンドのため、特別な書店以外に陳列されることはないと思いますので、今日はこの本について紹介してみようと思います。

本の写真
学生時代に購入した1979年刊行の第1刷の写真。昔は箱入りだった(筆者撮影)


1. 集合・位相、実解析、関数解析の融合的教育
 関数解析は20世紀に生まれた解析学で、解析系のかなりの分野がその影響を受けています。関数解析は複素関数論、ルベーグ積分論と共に解析学の根幹をなす基礎的な分野といえるでしょう。そのため、教科書も内外で数多く出版され、Dunford-Schwartzの Linear Operators I, II, IIIのような大著から、K. Yosida, Functional Analysisのような定番ロングセラーまで様々な切り口の優れた本が乱立しています。
 そのような中で本書、コルモゴロフ・フォミーンの『函数解析の基礎』は面白い立ち位置にあります。訳者まえがきによれば、この本の原題の訳は『函数の理論および函数解析の基礎』とのことです。つまり、関数解析プロパーの本というよりは、集合、位相、ルベーグ積分、関数解析も含めた実解析系解析学(要するに複素関数論は含まない解析)の融合的な入門書をねらったものとなっています。融合的と申しますのは次のようなことです。多くの数学科では、「集合・位相」、「測度と積分(いわゆるルベーグ積分論)」、「関数解析」は独立した科目になっています。まず「集合・位相」を勉強して、それとは別に「ルベーグ積分」があって、「関数解析」があるというものです。担当教員も通常異なります。ところが、この本では、これらの話題が独立したものとしてではなく、混然一体となって話が展開されていきます。
 まず集合から始まり、次に距離空間と位相空間に入りますが、出てくる具体例は解析関係の関数空間や積分方程式などばかりです。その後、ノルム空間と位相線形空間が現れ、弱位相、超関数まで一挙に進みます。それから線形作用素の一般論です。そしてここで突然、測度と積分に入ります。これで訳書の場合は上巻が終わります。本文のページ数にして326ページです。
 次に下巻に入ります。下巻のページ数は索引・文献・目次を除けば222ページなので、厚さは上巻のおよそ3分の2、物理的にやや薄めになっています。しかし内容は厚く、ルベーグ積分の続論と、関数解析の応用が扱われています。じつはその部分が非常に面白いところなのですが、詳しくは改めて次節で紹介いたします。
 他国の状況はよく知りませんが、先に述べたように日本では「集合・位相」、「ルベーグ積分」、「関数解析」は独立して教えられているので、コルモゴロフ・フォミーンのような融合型の授業はしづらいかもしれません。また、たとえばもしもこの本で集合・位相を教えようとすると、特に「位相」では出てくる例が(解析の本だから当たり前ですが)解析分野に偏っているので、代数系、幾何系の教員の方々の不評を買うことになるでしょう。ただ、集合・位相を学ぶにしても、それが積分方程式や微分方程式の話に直結しているので、「何のためにこんな抽象的なことを延々とするの!?」という疑問は起こらないように思えます。
 こういった大学数学教育の状況は別として、上巻はじっくり読めば距離、位相、関数解析、実解析の基礎が身に付くはずです。

2. もの凄い下巻  - 線形から非線形へ -
 さて、コルモゴロフ・フォミーンの本のうち、上巻もさることながら下巻が凄いものになっています。特に下巻の第7章から第10章です。
 第7章はL1空間、L2空間のことが書かれていますが、それは表向きで、大半は三角関数系、若干の直交多項式の話で、何とRademacher-Walshの直交関数系の完備性にまで言及されています。それから第8章のFourier級数、Fourier変換の章がまた凄い。Fourier級数の収束などは、他の多くの本では読むのがしんどいものですが、本書ではすんなりと自然体で流れるように読むことができます。熱方程式への応用や確率論への応用、超関数のフーリエ変換にまで触れていて、この短いページ数によくこれだけ要領よく書けたものだと感心せざるをえません。しかも詰め込み感は全くありません。どことなくスカスカに記述されているのに、内容が濃いというものです。
 じつは、よく考えてみるとフーリエ解析が出色なのも当たり前のことで、コルモゴロフと言えば、若い頃はフーリエ解析で鳴らした古典調和解析のつわものです。ところで当時の応用数学の巨人といえば、ウィーナーとコルモゴロフが思い浮かびますが、どちらも古典調和解析の研究を初期の若い頃に行っていました。このことには偶然以上のものがあると思います。ちなみに確率解析で有名なマリアヴァンも古典調和解析から出発しています。なぜ古典調和解析なのか、このへんのことはまた別の機会に述べたいと思います。
 続いて積分方程式のFredholm理論が解説され、そして最終章(第10章)「線形空間における微分法の基礎」になります。ここは本書の中でも非常に特徴的な部分で、おそらくこの章は著者たちが最も書きたかったところではないかと思えます(あくまでも私見です)。当時、関数解析の入門書といえば線形理論が主流でしたが、第10章は教科書としては異色の非線形理論でした。私自身は関数解析、実解析は別の本で学びましたが、それにもかかわらず本書を手に取った大きな理由は、第10章にひかれたからです。
 10章はまずフレッシェ微分、ガトー微分から入り、Banach空間上の陰関数定理が証明されます。次にBanach空間の接多様体に関する Lusternikの定理が、特別な場合に限定されていますが証明され(その方が初学者には断然わかりやすい)、極値問題、特にBanach空間におけるLagrangeの乗数法が扱われます。Banach空間の写像に対するニュートン法にも触れられています。極値問題では、変分法、最適制御、凸計画法などへの応用が仄めかされていますが、詳細はさすがに論じられていません。(この辺のことをさらに学ぶには、 Luenberger『関数解析による最適理論』(コロナ社)が良いと思うのですが、残念ながら今は販売されていないようです。)

3. 今またコルモゴロフ・フォミーンが新しい!
 関数解析の非線形理論は応用系・情報系・工科系からも興味をもたれています。コルモゴロフ・フォミーンの本は、集合・位相、実解析、関数解析の自然な融合体であることを考えると、数学科だけでなく、情報、工学系の人にとっても良いテキストたり得るもので、今の時代に大いにフィットした入門書と言えるでしょう。
 本書の原書第4版は今から40年以上昔の1976年に出版されています。その前身の第2版に至っては1962年、50年以上前に書かれたものです。40年も前の本が今の時代の視点から見ても斬新であるというのは、第一級の数学者である著者が、将来この分野を学ぶものにとって何が重要であるかをしっかりと見据えていたからだといえるでしょう。そして、それはまた数学は古いけれども、常に新しい学問で、時代の潮流とは関係なく基本的に重要なのものであるからだとも言えます。

4. これからの数学教育について少し雑談
  ところで数学の教育内容として何が重要かという議論は往々にして、現在は「・・・」がブレークしているからとか、海外ではどうだとかこうだとか、そんなものになりがちです。しかし時代や海外動向に敏感な議論は、現在の情勢に束縛されるあまり、ときとしてそこから導き出される結論が、時代や世界を先んずるものではなく、後発的なもの、場当たり的なもの、先進的な国の劣化した二番煎じになる危険性がないともいえません。単なる模倣が良いところを取り入れていることにはなっていない場合もあります. 
 数学は人類が得た宇宙共通の真理であり、必然的に自然を解明し、技術を支えるものになっています。したがって数学の教育内容として何が将来的に重要かは、数学の特性、そして数学が現在までに科学・技術に応用されてきた(されている)メカニズムをよく研究したうえで考えることにより、本質的なものが見えてくるはずです。そうすれば、100歩も、200歩も時代の先を行くための数学の素養を持つ人材が育つような教育も可能になるでしょう。

 話が本題から大分脱線し始めてきたので、そろそろ今回の本の紹介も終えることにしたいと思います。

5. おわりに
 何にしても、書店に足を運ぶと、軽く読めばすぐにわかる程度の内容が書かれた面白数学本ばかりではなく、前時代的な古臭い考えではありますが、将来50年後の人たちが「50年前にこんなすごい数学書があったんだ」と言うような数学の本も数多く手に取ることができるとよいように思えます。そしてひと時代前の、そういう本がいろいろな書店で見かけることのできた、何事も悠長だった頃が懐かしい気がします。


前回までの『私の名著発掘』はこちらへどうぞ


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