福田正秀

J-GLOBALへ         更新日: 18/05/13 14:59
 
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研究者氏名
福田正秀
 
フクダ マサヒデ
eメール
fukudawish.ocn.ne.jp
所属
日本歴史学会
学位
学術修士(放送大学)
その他の所属
歴史研究会放送大学大学院歴史研究会(財)熊本城顕彰会

プロフィール

1948年長崎県生まれ。1985年より熊本県在住。2005年放送大学大学院文化科学研究科修士課程修了。1994年「宮本武蔵の夏の陣」(『歴史研究』400号)以来多くの武蔵論文を発表。2003年『宮本武蔵研究論文集』(歴研)で熊日マイブック出版賞受賞。2007年『加藤清正「妻子」の研究』(共著・ブイツーソリューション)で熊日出版文化賞受賞。近年は宮本武蔵・加藤清正・肥後加藤家研究家として講演・歴史講座講師、雑誌連載、NHK総合テレビなど各種歴史番組にも解説出演している。公益財団法人島田美術館評議員・熊本県文化懇話会会員選考委員・肥後の歴史物語と民話の会顧問

研究分野

 
 

学歴

 
2003年4月
 - 
2005年3月
放送大学 大学院 文化科学研究科・修了
 

受賞

 
2008年2月
熊本日日新聞社 『加藤清正「妻子」の研究』で第29回熊日出版文化賞
受賞者: 福田 正秀・水野 勝之
 
2004年4月
熊本日日新聞社 『宮本武蔵研究論文集』で第2回熊日マイブック出版賞
 

論文

 
名前の変遷に見る宮本武蔵
福田正秀
放送大学日本史学論叢   (3) 33-65   2016年3月   [査読有り]
日本を代表する兵法家であり、芸術家・哲人であった宮本武蔵の名前の変遷について考証し、武蔵の生涯と心境を見、新たな切り口からその実像を考察した。名字は田原―新免―宮本―新免へ、通称は弁之助―武蔵へ、実名は義軽―玄信へ、道号、俳号、そして花押の変遷は。これまであいまいにされてきた武蔵の名前の謎を一次史料を中心に検証して初めて明らかにする。
鬼日向 水野勝成と熊本
福田正秀
熊本城   復刊(100号記念号) 37-68   2015年11月   [招待有り]
第1章 肥後国衆一揆と水野勝成 第2章 天正天草合戦と水野勝成 第3章 肥後加藤家と水野勝成 第4章飯田角兵衛と水野勝成 水野勝成年譜
熊本城は日本防衛の城
福田正秀
歴史研究   (614) 38-39   2013年9月   [査読有り]
城郭面積98万㎡、有明海の方角西向き堀と高石垣で4段構えに防備された城郭に、豪壮華麗な建造物、大量の兵が長期に籠城できる「食べられる城」の熊本城は日本一の難攻不落の城と折り紙つきである。日本の西の果ての肥後にかくも巨大な城を建造した清正の築城意図は何だったのか、その真相に迫る。
肥後加藤家改易の研究
福田正秀
熊本城   復刊(82~) 6-9   2011年5月   [招待有り]
連載開始。加藤清正代から改易に至る2代忠廣代まで、加藤家が改易にならないためにどのような努力をしたか、改易に至ったのはなぜかを、1回ごとテーマを区切って追跡考証。
徳川家康を生んだ水野氏
福田正秀
歴史研究   (565) 38-39   2008年10月   [査読有り]
徳川家康を生んだ水野氏について、家康の母於太(おたい)と祖母於冨、於太の兄弟である信元と忠重、それぞれが家康に多大な影響を与え、命を助け、支えた事柄を紹介、水野氏なくして天下人徳川家康は有り得無かったことを論じている。
加藤清正の妻子
福田正秀・水野勝之
熊本城   復刊(71-81)    2008年8月   [招待有り]
『加藤清正「妻子」の研究』出版後、新たに発見した新史料の知見を加えつつ『熊本城』に連載した論文。『続・加藤清正「妻子」の研究』として後に出版。
二天一流三代目 柴任三左衛門の研究
福田正秀
宮本武蔵研究第二集   85-143   2005年12月
修士論文(放送大学)
武蔵の兵法と逸話を福岡黒田藩へ伝え『武州傳来記』のもととなった柴任三左衛門の生涯を探究、その一生は渡り奉公であり、江戸初期から中期にかけての兵法者観、武士の奉公観、及び宮本武蔵の評価にも新しい知見を見出すに至った。熊本の柴任の実家・本庄家より新発見した「本庄家系譜」と『武州傳来記』の校合と、足跡各地より新史料発掘の成果である。
「武州傳来記」の全容
福田正秀
宮本武蔵研究第二集   29-84   2005年12月
「丹治峯均筆記」として謎に包まれていた武蔵最古の文献伝記、著者が付けた正式の書名が『武州傳来記』であったことを証明。兵法二天一流の開祖宮本武蔵に始まり著者丹治峯均に至る流儀五代の伝記集成であることや、その全容を初めて明らかにした。
武蔵・弥四郎秘密の御前試合
福田正秀
宮本武蔵研究論文集   157-183   2003年12月
『武公傳』『二天記』が伝える氏井弥四郎との秘密の御前試合は史実か。弥四郎の子孫も探していたその墓を発見し、実は雲林院(うじい)弥四郎光成であったこと、試合がいつ、いかなる目的で、なぜ秘密裏に行われたのか、武蔵来肥後の目的と共に、武蔵の生涯で最後の試合となった柳生流の名人剣客雲林院弥四郎の正体を明らかにした論文。
武蔵の出自は田原家か?
福田正秀
宮本武蔵研究論文集   75-91   2003年12月
宮本武蔵の子孫の小倉宮本家に伝わる系図・由緒書に記された「武蔵は田原氏で伊織の叔父」というのは真実か。宮本家系図の謎を解く。
武蔵の関ヶ原東軍の証明
福田正秀
宮本武蔵研究論文集   93-127   2003年12月
宮本武蔵の初陣となった「関ヶ原合戦」定説であった西軍説を否定、東軍黒田如水軍に父・無二と共に「九州の関ヶ原」豊後合戦に出陣していたことを論証した。
宮本武蔵―大坂夏の陣と出頭人戦略
福田正秀
宮本武蔵研究論文集   13-73   2003年12月   [査読有り]
卒業論文(放送大学)
宮本武蔵を語る時、巌流島の決闘までの若き日の活躍か、晩年肥後細川家での老境の武蔵がほとんどで、中間の壮年期がすっぽり抜け落ちていた。年齢的には三~四十代、空白の二十年と言われてきたこの時代に武蔵は一体何をしていたのか。本研究はここにスポットを当て、できる限りの史料を集めてこの空白を埋め、この時代の武蔵像を明らかにした。
まず武蔵後半生のスタートとなった大坂夏の陣について考証、武蔵はこの戦いに大坂方であったのか、徳川方で出陣したのか、そして戦場で武蔵はいかなる働きをした...
新免武蔵の道号「二天道楽」一考察
福田 正秀
歴史研究   (509) 44-50   2003年10月   [査読有り]
『二天記』に「武蔵老年に及び肥後に来て泰勝寺に参学して道号を二天道楽と云う」とあり、武蔵の遺墨とされる「戦気」一行書には二天の朱印に後入で武蔵の筆でないと鑑定された「道楽」の落款がある。この「二天道楽」の道号を武蔵は本当に使用したのかを考察。武蔵が確かに自ら号した道号であったことを証明した。
佐々木小次郎はいなかった
福田正秀
舫船   (73) 22-25   1997年5月   [査読有り]
武蔵の相手の名は「佐々木小次郎」ではなかったことを、その名の出典まで初めて証明した論文。
あわせて細川藩の公認試合ではない私闘であったことなど、数々の「巌流島の決闘」の虚実を史料考証によって明らかにした。(『宮本武蔵研究論文集』2003・歴研刊、に収録)
宮本武蔵の兵法理念
福田正秀
舫船   (65) 51-55   1995年5月   [査読有り]
宮本武蔵の兵法理念について、二刀流の真意、兵法修行の心得、武蔵の指導理念、兵法の極意に分けてわかりやすく考察した。
宮本武蔵第三の書状―与右衛門の謎
福田正秀
舫船   (64) 36-42   1995年2月   [査読有り]
戦前に吉川英治が発見して「随筆宮本武蔵」に発表した「寺尾左馬宛武蔵書状」を初めて本物と鑑定し、有馬直純宛と長岡佐渡宛に続く第三の武蔵書状であることを証明。書状内容は武蔵への招聘に対する弟子与右衛門を派遣した添状である事、宛名の「寺尾左馬」が誰かの謎解き、弟子与右衛門が尾張円明流の開祖竹村与右衛門頼角であること、弟子への心配りや人脈など、武蔵の新たな一面を明らかにした。また竹村与右衛門の尾張での事績や、讃岐松平家への仕官など行く末まで追跡考証し、与右衛門の謎、全貌を初めて明らかにした。
宮本武蔵の夏の陣
福田 正秀
歴史研究   (400) 40-45   1994年9月   [査読有り]
宮本武蔵の大坂の陣「徳川方」を決定づけた論文として高い評価を受ける。
学会や研究者の論文・著作・新聞論評に多く引用され、研究者として認知を得ることになった。

書籍等出版物

 
水野 勝之, 福田 正秀 (担当:共著)
ブイツーソリューション   2012年1月   ISBN:4434163256
水野 勝之, 福田 正秀 (担当:共著)
ブイツーソリューション   2007年10月   ISBN:4434110861
福田 正秀
ブイツーソリューション   2005年12月   ISBN:4434072951
福田 正秀
歴研   2003年12月   ISBN:494776922X

講演・口頭発表等

 
加藤清正の妻子たち [招待有り]
福田正秀
第22回清香会特別講座   2016年6月18日   熊本県立第一高校同窓会 清香会
1、加藤清正の生涯
2、加藤清正と家族-家族系図・5人の妻と5人の子、養子が1人
3、天下分け目の時ー清正の決断
4、妻かな姫の大坂大脱走-416年前のラブロマンス
5、清浄院かな姫物語-熊本城を守り生涯を貫いた清正への愛
鬼日向 水野勝成と熊本 [招待有り]
福田正秀
2015年11月26日   一般財団法人熊本城顕彰会
熊本城顕彰会設立88周年記念・会誌『熊本城』第100号発行記念講演
会場 熊本市国際交流会館 6・7階ホール
終焉の地熊本からたどる 宮本武蔵の実像 [招待有り]
福田正秀
宮本武蔵『五輪書』東京フォーラム基調講演   2013年8月28日   宮本武蔵『五輪書』プロジェクト実行委員会 熊本県・熊本市・豊島区他
『五輪書』に至った武蔵の境地を終焉の地熊本に遺した武蔵画から解き明かす。武蔵の人生を『五輪書』に書かれた自伝よりたどり、自伝に書かれていない「巌流島の決闘の真相」「大坂夏の陣・関ヶ原の役」の武蔵の立場を通説の西軍説から『武蔵の東軍・徳川方説』を証明した20年前の論文から紹介。それからの武蔵が3人の養子をもらい、姫路本多家、明石~小倉小笠原家へ仕官させ、それぞれ出頭人として2つの宮本家を立て、自らは兵法悟道の道を極め、晩年に熊本細川家に来て普遍的兵法書『五輪書』を残すに至った経緯と最後に武蔵...
宮本武蔵の実像 [招待有り]
福田正秀
肥後の歴史物語と民話の会『語り座』平成25年度総会記念講演   2013年7月7日   肥後の歴史物語と民話の会『語り座』
武蔵の前半生ことに「巌流島の決闘の真相」兵法天下一の目標達成、後半生ターニングポイントの「大坂夏の陣」新しい時代に新たな目標を持って、譜代雄藩に3人の養子を仕官させて二つの宮本家を立てる「イクメン武蔵」兵法悟道の域に達する第2の目標達成、そして晩年は肥後熊本細川家に客分となり、『五輪書』ほか兵法伝道の目標を達成。勝利の哲学、真の武士道を現代にまで伝えた。
武蔵の道号「二天道楽」について [招待有り]
福田正秀
熊本近代文学館文学講演会「第5回武蔵忌句会」   2013年5月19日   「武蔵忌」句会実行委員会・熊本県立図書館・熊本近代文学館・熊本近代文学館友の会
武蔵の遺墨「戦気」一行書には二天の朱印に墨書で「道楽」の落款があるが、これは自筆ではなく後入れであるという、果して武蔵自ら称したか否か。今は失われたが写真史料でもう1本別の「戦気」があったことや自画自賛の「出来坊図」を発見、そこには全く同じ自筆と鑑定できる「二天道楽」落款が書かれており、武蔵の自称を証明。最晩年「二天道楽」の道号に窺われる武蔵の思いを語る。
加藤清正とその妻子 [招待有り]
福田正秀
熊本城英語でボランティアガイド養成講座   2012年11月4日   (財)熊本市国際交流振興事業団
俗説で粉飾された加藤清正の生涯をその妻子、女性史の視点から見て、戦国から泰平の時代へ生き残りをかけて政略結婚の犠牲となった姫たちの、家への忠節と愛の形を解説。とくに加藤家と熊本城を守ることに精魂を傾けた正室清淨院かな姫の生涯を追う。
水野勝成と宮本武蔵 [招待有り]
福田正秀
『福山城築城390年記念福山城展』記念講演   2012年10月7日   公益財団法人ふくやま芸術文化振興財団・福山城博物館・福山市教育委員会
http://www.city.fukuyama.hiroshima.jp/fukuyamajyo/intro/
福山には「宮本武蔵腰掛け石」というものがある。
宮本武蔵は30代に戦国を締めくくる大坂夏の陣に徳川方水野勝成の陣に属し、勝成嫡男勝重を後見して客将として出陣。
福山開祖・水野勝成と剣豪宮本武蔵の深い関係を解説する。
今年巌流島の決闘(慶長17年・1612年)より400年はウソ。水野勝成へ奥伝授与の慶長13年(1608)より前、武蔵が円明流を開いた慶長9年(1604)以前説を主張...
加藤清正と水野勝成
福田正秀
『続加藤清正「妻子」の研究』出版祝賀講演・交流会   2012年8月18日   東京・福山水野勝成公報恩会・結城おもだか会
加藤清正と水野勝成の関係を、勝成の肥後国衆一揆・天草国衆一揆での活躍から解きだし、天草志岐城攻めでの清正の戦闘ぶりを勝成が見て見事と称賛したことから、秀吉没後の政局で清正の正室に勝成妹のかな姫(清淨院)を家康の推挙したのは勝成ではないかとの見解と、徳川政権下で豊臣系大名加藤家が生き抜くために水野家の果した役割について解説した。
清正と家族愛―家と絆 [招待有り]
福田正秀
熊本市立図書館講座   2012年4月   
宮本武蔵の実像―武蔵が遺したもの [招待有り]
福田正秀
自衛隊北熊本駐屯地修親会講演   2012年1月30日   自衛隊北熊本駐屯地修親会
武蔵の生涯を概観し、武蔵が目指した兵法とは何か、泰平を開き、そして守るのが武士の役割であると、日本で「武士道」を初めて説いた武士であった。武蔵が現代にまで残した教訓を解説。
戦場の宮本武蔵 [招待有り]
福田 正秀
熊本市立図書館講座   2011年5月   熊本市立図書館
「巌流島の決闘」や「吉岡一門との決闘」など、武蔵の剣豪として若かりし頃の60余度の試合について語られることは多いが、戦場での武蔵の活躍が語られることは少ない。武蔵は関ヶ原の戦い、大坂の陣、島原の陣と少なくとも3度の大きな合戦に出陣していたことが確認され、そこで武蔵がいずれの側でどのような立場でいかに戦ったかを史料考証から具体的に語った。
加藤清正の妻と姫たちの戦国 [招待有り]
福田 正秀
第134回『西南の役記念会』記念講演   2011年4月9日   熊本市教育委員会・財団法人熊本城顕彰会
戦国武将で熊本開祖である加藤清正の生涯を概観し、清正をめぐる5人の妻、特に徳川家康の養女として清正に嫁いできた清淨院かな姫とその子八十姫、あま姫の人生を通して戦国の大名の妻、姫たちの果した役割と、政略結婚の愛の無い所から愛を育んだ夫婦愛の物語を解説。
加藤清正の妻子 [招待有り]
福田 正秀
熊本市立図書館郷土史講座   2010年9月   

所属学協会

 
 

その他

 
2017年10月   NHK民謡魂ふるさとの唄『加藤清正、ここがすごい!』
10月29日熊本県水俣市文化会館にて公開収録
『加藤清正、ここがすごい!』コーナーを監修。「土木の神様」「文化の伝道者」「築城の名人」「愛され続ける清正公」の各テーマの史実とエピソードを紹介。 NHK総合テレビで12月10日放送。
2017年8月   日本の城見聞録『宮本武蔵が見た小倉城 姫路城 熊本城』
BS朝日『日本の城見聞録』「剣豪 宮本武蔵が見た城 小倉城 姫路城 熊本城」に出演し、案内役の篠井英介氏を相手に島田美術館において武蔵の画と芸術、武蔵塚にて武蔵の墓と熊本の人々の武蔵に対する尊崇の深さについて解説した。
2017年4月   諸説あり『本当の宮本武蔵』
TV・BS-TBS『諸説あり!』第2回放送に出演し。通説の関ヶ原西軍説を覆し、武蔵は東軍德川方で戦っていたこと。島原の乱で武蔵が石に当たり負傷したと述べているのは不名誉ではなく武功の表現説。武蔵は強さと優しさを持った平和主義者だったという独自の新説を解説した。
2017年3月   キラリ 放送大学『歴史研究家 福田正秀』
TV放送大学『大学の窓』放送大学卒業生の歴史研究家・福田正秀の経歴と研究が特集される。終戦直後に生まれた団塊の世代として新聞配達をしながら奨学金で福岡県の高校を卒業、働きながら独自に歴史研究を進め、40歳後半に「人生の忘れ物=大学進学」を取りに放送大学に入学、大学院まで修了した思いと経緯を紹介。当時を知る放送大学の魚住孝至教授と杉森哲也教授が福田の研究法・論の立て方や研究姿勢について印象を語った。
2017年2月   BOSS プレミアム熊本『熊本城復興』
「BOSSコーヒーのテレビCM 熊本城復興支援バージョン」時代考証
タモリが被災した熊本城を訪れると宇宙人ジョーンズがくまモンと現れ400年前の加藤清正が重臣たちと熊本城築城企画会議の場の天井裏に忍者姿でタイムスリップするドラマの時代考証と監修を担当。
2015年10月   とことん歴史紀行『宮本武蔵 剣一筋の男が最後に遺したもの』
TV・BS11『とことん歴史紀行』 武蔵が最晩年を過ごした熊本から、知られざる武蔵の真実を追う。島田美術館より、武蔵関係の展示物を解説しながら、巌流島の決闘の新説など、武蔵の兵法、芸術、ほぼ全編に出演して解説。
2015年3月   サライ連載『武蔵に尋ねよ』
小学館月刊『サライ』4月号より連載開始~2016年3月号まで1年12回連載。
二天一流の剣豪・宮本武蔵が会得した兵法の道理は現代にも通じる教訓に満ちている。芸術家・文化人としても類稀なる才能を発揮した武蔵の書画とともに、求道者・武蔵の生き方と教えを紹介し読者の好評を博した。
文・福田正秀 写真・藤森武
2015年2月   サライ特集『宮本武蔵の真実』
小学館月刊誌『サライ』3月号巻頭特集・没後370年特別企画『宮本武蔵の真実』の解説と監修。
武蔵の実像を、「武士としての武蔵」「文人としての武蔵」に分けて解説。
略年譜を付ける。
2014年9月   「語り座」本公演『武蔵と殿様肥後暦』
肥後の歴史物語と民話の会「語り座」5周年記念本公演
歴史語り『武蔵と殿様肥後暦』原作執筆。
9月7日くまもと森都心プラザホールにて寿咲亜似の語り講演
2013年10月   ジパング倶楽部特集『肥後に眠る 宮本武蔵』
『ジパング倶楽部』(交通新聞社)11月号特集「肥後に眠る 宮本武蔵」(4~15ページ)解説・監修
2013年3月   熊本城常設ビデオ『よみがえる熊本城 武将が守った名城を歩く』
熊本城内歴史文化体験施設「湧々座」で大型スクリーン常時放映のバーチャルリアリティー映像新作「よみがえる熊本城 武将が守った名城を歩く」を、吉丸良治・北野隆・伊東龍一・福田正秀で監修。
2012年10月   『歴史秘話ヒストリア』「熊本城を救った妻の大脱走」
NHH総合テレビ『歴史秘話ヒストリア』「熊本城を救った妻の大脱走~加藤清正のスーパー築城術」の参考文献に著書『加藤清正「妻子」の研究』(水野勝之と共著)が採用され、番組に識者・加藤清正研究家として出演、解説する。
http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/143.html
2012年10月   『BS歴史館』「宮本武蔵 巌流島ミステリー」
NHH『BS歴史館』「宮本武蔵 巌流島ミステリー」の参考文献に著書『宮本武蔵研究論文集』及び『宮本武蔵研究第2集 武州傳来記』が採用され、番組に識者・宮本武蔵研究家として出演、解説する。
2011年2月   『歴史秘話ヒストリア』「やりたいことで強くなる~宮本武蔵」
NHH総合テレビ『歴史秘話ヒストリア』「やりたいことで強くなる~宮本武蔵・人生必勝の教え」の参考文献に著書『宮本武蔵研究論文集』及び『宮本武蔵研究第2集 武州傳来記』が採用され、番組に識者・宮本武蔵研究家として出演、解説する。http://www.nhk.or.jp/historia/backnumber/78.html
2010年7月   「語り座」本公演『花桔梗御殿絵巻~新・清正をめぐる5人の女~』
寿咲亜似「語り座」本公演『花桔梗御殿絵巻~新・清正をめぐる5人の女~』
著書『加藤清正「妻子」の研究』を基本文献として制作上演され、企画参画・脚本監修する。
2008年5月   ラジオ「森の都歴史ウオーク」『加藤清正妻子の謎』
ラジオ放送熊本シティエフエム(FM791)「森の都歴史ウオーク」(毎週土曜AM10時より)にて、『加藤清正妻子の謎』と題し、7週間7回に渡り出演『加藤清正「妻子」の研究』研究成果を解説。
2005年10月   単行本『五輪書―サムライたちへ』
『五輪書―サムライたちへ』(ピエ・ブックス)藤森武・巻頭写真集「宮本武蔵の足跡」(1~16頁)全解説文を担当。
藤森武は土門拳に師事した日本を代表する写真家。
2005年6月   文科省『マナビイ』「人生の忘れ物を取りに」
文部科学省編集月刊誌『マナビイ』No48号特集「学びの扉を開く放送大学」に、放送大学の依頼により「人生の忘れ物を取りに」の題で執筆。
2004年11月   『文部科学教育通信』「宮本武蔵で卒論から修士論文まで」
『文部科学教育通信』No111号に、放送大学本部よりの依頼により「宮本武蔵で卒論から修士論文まで」のテーマで執筆。