基本情報

所属
旧所属 愛知教育大学 教育学部 愛知教育大学名誉教授
学位
Master of Science of Education(Institute of Tokyo-Kyoiku University)

連絡先
hnagayaqf7.so-net.ne.jp
J-GLOBAL ID
200901000165754091
researchmap会員ID
5000017607

外部リンク

      吉野作造と関東大震災  
                 (研究ノート:比較研究 リスボン大地震=関東大震災 永冶日出雄)

 関東大地震については幾多の史料が保存されるが、学者・思想家の証言として吉野作造の記録も注目に値する。
 吉野は一九一八年長文の評論「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表し、大正デモクラシーの先導を切った。この年米騒動の拡大によって首相寺内正毅が辞任し、史上最初の平民宰相、原敬による政党が誕生する。国外では前年のロシア革命を受けて、第一次世界大戦が終結する。五年後に彼は東京帝国大学の構内で、研究棟から食堂に向かう途中大地震に襲われた。

「九月一日 土曜  (大正十二年)
 一日、朝早く風雨のあれあり やがて止みしも流石に二百十日は争はれぬものと思はしめた。洋館前のポプラ余り丈伸びたるを以て皆切る。十時頃学校にゆく。鈴木東民来る 大阪毎日の採用する所となり京都支局詰を命ぜられて今夜出向すべしと云う。頼まるるまま河上肇君に紹介状を書いてやる。
 十二時少し前上杉君に誘はるるままペンを投じて食堂に向ふべく室を出る。小使の居る所で武田君に用を頼んでゐ  る間に上杉君は階を下り中田君と一緒になる。建物を出て三人一所になり二十七、八番教室の横手に来た頃俄に大地の震動を感じる。最初に目に着きしは事務室の屋根瓦は一トたまりもなくゆさぶり落される光景也 地上の震動にからだもふらふらする 之は容易ならぬ地震だわいと思ふ間に遙に研究室の二階の上の煉瓦壁、法文科本館のそれ六畳敷八畳敷位のがボタボタ落ち かつ所々縦に亀裂を生ぜるを見て頓と度胆を抜かるる思あり 此間実に一瞬間 期せずして事務員達の子等の周囲に集り来れる所に第二回のしかも初回に劣らぬ大震動が来る 之にても建物の崩れ少らずあり 之れ十一時五十八分頃より十二時までの出来事なり」  
                                                                        『吉野作造選集14 日記2』岩波書店、1996年。

           

                


MISC

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共同研究・競争的資金等の研究課題

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