書籍等出版物

2019年1月

パリ・モードからアメリカン・ルックへ―アメリカ服飾社会史 近現代篇―

  • 濱田 雅子

担当区分
単著
出版者・発行元
インプレスR&D POD出版サービス(2019年1月, ペーパーバック), アマゾンから電子書籍(2018年12 月)
総ページ数
289
担当ページ
記述言語
日本語
著書種別
学術書
DOI
ISBN
9784802095310

本書は拙著『アメリカ服飾社会史』(東京堂出版、2009年)の近現代篇である。とはいえ、本書を前著とは切り離して、単独の著作としてお読みいただくのは、読者の皆さんのご自由である。本書は二部構成であり、第一部では、19世紀から20世紀中葉アメリカのドレス・リフォーム運動の実態とその衰退をテーマとしている。第二部では、「パリ・モード」から「アメリカン・ルック」への転換をテーマとしている。それぞれにおいて扱っている内容は、既刊の『アメリカ服飾社会史』とどのように関わりあっているのか。以下、本書の内容紹介を兼ねて、要点を述べる。
これはあくまでも筆者の試論であるが、アメリカ服飾史上のドレス・リフォーム運動には、2つの大きな波がある。第一波は、1824年から1920年に渡るドレス・リフォーム運動である。第二波は、1920年から1960年の「パリ・モード」から「アメリカン・ルック」への転換期である。これらの波の特徴については、以下に概要を簡潔にまとめた。
本書は、類書がないため、服飾研究者、ファッションを学ばれている学生の皆様、ファッション・デザイナー、アパレル産業のマーチャンダイザーの皆様の必読書と言っても過言ではあるまい。混迷するファッション業界に、本書に紹介した先達の知恵が、一石を投じてくれれば、それほど素晴らしいことはなかろう。本書は、そのような思いをこめて取り組んだ作品である。

【第一部】
イギリスを初めとするヨーロッパの人々は、17世紀にヨーロッパから移住してきて、アメリカ大陸に植民地建設を行い始めて以来、ヨーロッパの貴族の服飾への強い憧憬の念をいだき続けてきた。フランス革命期のシュミーズ型ローブの登場は、ロココ調の拘束的な衣装様式に対する反目から生まれた、コルセットから解放された動きやすい衣装様式であった。アメリカでもこの自由で、動きやすいローブが取り入れられるのであるが、それも束の間、19世紀前半に、再び拘束的な衣装が復活し、コルセットを装用したきつい紐締めによる拘束的な衣装は、女性の健康、生まれてくる乳児の健康を蝕んだ。
19世紀のニューヨーク・ファッションは、基本的にはパリ・モードであった。ニューヨークでは、ヨーロッパから導入されたハイウエストのエンパイア・ドレスに始まり、ロマンチック衣装、クリノリン衣装、バッスル衣装といった拘束的な衣装が流行していた。
このようなパリ・モードの華やかなりし時代に、他方において、以上のような拘束的な衣装様式に抗して、1824年から1920年にかけて、ニューヨークとその周辺においてドレス・リフォーム運動が興こされた。すなわち、インディアナ州のニュー・ハーモニー共同体、ニューヨーク州のオナイダ共同体、その他のユートピア共同体において、女性のドレス・リフォーム運動が興り、衰退していった。

今日では、女性がズボンを穿くのは、国際社会における当たり前の文化となっている。だが、このような文化が服飾の歴史において定着したのは、さほど昔のことではない。
さて、それでは女性はいつから、どこでズボンを穿きはじめたのか。19世紀前半のアメリカに起きた「ブルーマー運動」と呼ばれるドレス・リフォーム運動は、よく知られている。ブルーマーは、我が国では、一時、女子生徒の体操服として普及した。19世紀アメリカにおける女性のドレス・リフォーム研究を行っているアメリカの服飾研究者ゲイル・ヴェロニカ・フィッシャー女史は、既存のブルーマーリズム研究を再検討し、19世紀アメリカにおける女性のドレス・リフォームを一期1824~1851年、二期1851~1879年、三期1879~1920年に区分して、新しい研究を行っている。

筆者は、前著では、二期の1851年のブルーマー・コスチューム誕生と挫折のみを扱った。本書では、フィッシャー女史の研究を踏まえて、第一期から第三期を対象に考察し、さらに価値高い第一次資料を発掘・解読し、新たな知見を加えた。具体的な内容は、本書をお読みいただきたい。本書は、前著には十分書ききれていない宗教、健康問題、女性の権利運動という視点から取り組んだストーリー性豊かな内容とした。
我が国ではブルーマー運動に関する研究は行われているが、その他の19世紀アメリカにおけるドレス・リフォーム運動に関する研究は皆無である。
本書では、資料的価値の高い第一次資料の文書の紹介・分析を通じて、ドレス・リフォーム運動の本質に多少とも触れることができたところに、筆者のオリジナリティがあるものと確信する。

【第二部】
ポール・ポワレ(Paul Poiret, 1879~1944)、マドレーヌ・ヴィオネ(Madeleine Vionnet, 1876~1975)、ジャンヌ・パキャン(Jeanne Paquin, 1869~1936)、ココ・シャネル(Coco Chanel, 1883~1973)などのパリのデザイナーは、大変、知名度が高かった。現在でも、世界的に良く知られている。我が国でも、ファッションに疎い人でもココ・シャネルを知らない人は珍しいのではなかろうか。パリのデザイナーは、絶妙なデザインの優れたデザイナーとして称賛された。それに対して、アメリカのデザイナーは、皮肉なことに、パリのデザインをコピーするための技術的能力のために称賛されたのである。アメリカの女性デザイナーとして認知されるようになったのは、1930年代から1940年代である
前著『アメリカ服飾社会史』において、「パリ・モードからアメリカン・ルックへの転換がいかにしてはかられていったのか」(ドレス・リフォームの第二波)という問題を提起し、第8章において、アメリカン・ファッションの世界発信に目を向けた。だが、駆け足で考察しており、十分な答えを出せていない。
20世紀初頭にはドレス・リフォーム運動という言葉は使われなくなり、「アメリカ人女性のためのアメリカン・ファッション」への取り組みが推進されてゆく。そこで、本書の続編 (近現代篇)の第二部では、ニューヨーク都市における商業およびファッションの発展を背景として、ドロシー・シェーバー (Dorothy Shaver, 1893~1959)の活躍ぶりを取り上げ、「パリ・モード」から「アメリカン・ルック」への転換をもたらした牽引力について、明確な答えを打ち出す。彼女は、我が国では馴染みがないが、実は1826年に設立された老舗の百貨店であるロード・アンド・テーラー(Lord & Taylor)の副社長を1931年から1945年まで、社長を1945年から1959年まで務めた女性である。特に、1930年からアメリカ人女性デザイナーの認知の運動を推進し、「パリ・モード」から「アメリカン・ルック」への転換をはかるのに貢献した。
ドロシー・シェーバーに関する研究は、我が国では皆無である。アメリカにおける先行研究も大変、稀少である。筆者がドロシー・シェーバーに着眼した動機は、アメリカ服飾学会の学会誌“Dress”に掲載されたアメリカの服飾研究者ティファニー・ウェーバー・ハンシェット(Tiffany Webber-Hanchett)の論文との出逢いである。ティファニー・ウェーバー・ハンシェットは、シェーバーの活躍について、この論文で、次のように述べている。
「マーチャンダイジング・ワールドのファースト・レディのドロシー・シェーバーは、ロード・アンド・テーラーの在職期間中(1924~1959)に小売業の新しい基準を設定した。他の業界リーダーが同じことをする前に、特に、アメリカのデザイナーの店舗を宣伝していた。宣伝と販売促進、新しいマーチャンダイジング手法とアメリカ人デザイナーの認知に関するロード・アンド・テーラーにおける彼女の革新は、『シェーバー・タッチ』“The Shaver Touch”と総称されていた。シェーバーは、副社長(1931~1945)として、1930年代初めにアメリカのデザイナー運動を開始し、1940年代半ばに“The American Look”広告キャンペーンを開始した。彼女は、アメリカン・ファッションを促進するために、店舗のマーチャンダイジングとマーケティングのポリシーを拡張した。シェーバーは国内の才能に敬意を表する必要があることを知り、そうすることで、アメリカのファッション・デザイナーを業界の不毛から救うための道を切り開いた。」
拙著『アメリカ服飾社会史』第8章では、ごく簡単にドロシー・シェーバーに触れるにとどまったが、その後、サンドラ・リー・ブラウン(Sandra Lee Braun)の大変、実証的で造詣深い学位論文(2)を入手し、熟読する機会を得た。そこで、本書において、これらのお二人のご研究に基づいて、ドロシー・シェーバーのマーチャンダイザーとしての活躍ぶりを、一般読者の皆様にもわかりやすく、興味深く紹介させていただく次第である。
本書を通じて、19世紀から20世紀半ばにかけてのアメリカにおけるドレス・リフォームの二つの波を、いくらかでも身近かに感じ取っていただき、ファッションの研究、ファッションの現場で、21世紀のファッションのあり方を追求して行かれる上で、役立てていただければ幸いである。

ID情報
  • ISBN : 9784802095310