研究ブログ

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SDA通信Vol.4ーおはなしテーマ:社会実装ー

こんにちは、社会デザイン協会の鈴木です。
最近のニュースは、猛暑や台風、その影響での熱中症や水難事故の話が増えています。以前は、そんな状態のときに、異常気象だ、と片付けていましたが、どうやら最近は、毎年起こることとなり、”異常”とは言えない状態になりつつあるので、異常気象だからしかたない、とばかりは言えない状態になってきたようだ。みなさんはどうですか?そんな気象対策はできていますか?そんな気象状態のとき、先日のラジオでは興味深い話が出ていた。以前は、エアコンなどなく、扇風機だけで過ごしていたはずだが、どうだったのだろう?忘れたなー、という話。人は、以前の状態があまり思い出せない生き物であるようです。以前の状態は、実は人工物が少ない状態で、実はそれほど暑くなかったので、扇風機で十分だったと思うのです。この夏休み中、秋田に行きました。東北だから涼しいのか、と思いましたが、温度計では30度を超す猛暑には変わらない、のです。が、涼しく感じるのです。なぜかなー、と思ったら、何が違うのか、というと、日差しの強さが違うのです。それと、風が涼しい、のです。おそらく、秋田には人工物は少なく、自然環境が豊かだからこそ、そんな体感になるのか、と思いました。都会では、自然環境を人工的に作るので、安全(私から言わすと、過剰安全、のようにも思うのですが。)ではありますが、土が少ない、植物の露出が少ない、など、人では対応できないほど、自然環境には及ばないものが多くなる。したがって、風も暑くなると思うのです。それが、都会の生活で便利だ―、というのですが、先日は、渋谷のコンビニの中にネズミがいる状態もニュースになっていました。熊が都会の住宅に入ってくるニュースもありました。これらは、人間のエゴが、自然環境との共生という概念を切り捨てた結果だと思うのです。西洋医学と東洋医学ではないですが、西洋医学は、害を及ぼすものを切り捨て、短期的な楽を得ようとするに反して、東洋医学は、自然治癒力を高め、自然とのバランスを高めることによって、長期的な楽を得ようとする、ことの違いのような気がします。短期的な楽は、反動も大きい(これは経験則ですが。)。今後は、自然との共生に舵を切らなければいけないんだろうなーと、思います。


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お知らせ:持続可能な地域づくりと地域おこし協力隊の無料お悩み相談会
おはなし: 社会実装
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~お知らせ~
2019年11月17日に、持続可能な社会セミナーの拡大版と「持続可能な地域づくりと地域おこし協力隊の無料お悩み相談会」を予定しています。誰でも参加可能です。プライバシーも守ります。ご興味ある方は、予定をあけておいてください。


~おはなしテーマ:社会実装~
 先日、 第4回持続可能な社会セミナーを行いました。今までの3回は、SDGsの理解、及び課題について話し合ってきましたが、今回はその持続可能な社会を実現していくための方法や課題について話し合いがされました。その時に話題になったのが、社会実装の話です。参加者は、実務家と研究者がいる状態なのですが、それぞれの立場の話になったところで話題になったのですが、そこでの最終的な話になったのが、社会実装の話でありました。研究者は研究者で自分たちの分野で行われている。しかも、当然のことながらその分野では大変最先端の状態であります。一方、実務家は、各々の努力でかなり緻密な状態で運営されている。しかし、その最先端の研究が現場につながっていかないので、各々が苦労している、という状態であることでした。そこでの問題は、研究者は研究を進めるものの、研究費を使ってやるので、かなりレアな機械や手法を使って行い、普段使いの実務家には手が出せない予算で行われている。また、だからと言って、社会実装可能な予算に落とし込む、というのは、論文になるような研究にならないため、そこに手を出すことはできない、と言われる。(研究家は、研究の成果を論文なりで出さなければならないので、そこに研究費をつぎ込むことができないのであります。)結果、実務家においては、費用対効果があわずに手が出せず、社会実装まで進まない、ということのようです。
 実際、私は、両方に首を突っ込んでいるので、その両者の意見が理解できます。その橋渡しをする役目として、大学側ではURAなどという役目を増やそうとしていますが、なぜか、ここでも実績が求められる。しかも、選任する側は、大学の先生や大学の事務の方で実務を知る人が少なく、選任目線では、紙上に書かれた実績のみで選任されるため、実務とは程遠い人が選ばれ、ましてや、研究実績まで求めるところもあり、何のためのURAかわからない状態にある。実務家は、研究者の格を求め、その実務から離れた意見を聞きたがるため、実際には使えない、というギャップにさいなまれる。この両者を埋めるのが、実は文系と理系(この日本における文系理系の区分がよくわからないのでありますが。)の両面を知った人と言われるのですが、この発想自体が理系中心に発信されるため、やはり全く話が聞けない(文系の強みは、傾聴観察のスタイル、である、と思っています。)状態になっているのだと思います。もしかしたら、ここでの活躍は、社会学の分野の方なのかもしれませんが、今までの社会学は、どちらかというとメディア研究の傾向が強く、社会そのものの研究は始まったばかりのような気がします。じつは、社会そのものの研究は、経済学の分野のひとつとしてやられていましたが、そのアカデミック、という言葉に引きずられ、数学的な式が経済学の主流になってしまっているため、社会全体を見ることとは、近年は離れてきている。さて、数学的思考は保ちながら、社会そのものを、自然主体として観察した上で、デジタルカルチャーをうまく組み合わせることで費用対効果を高める、研究と実務をつなげる社会実装までたどり着けるのか、これからの社会ではこの部分が大切になっていくような気がします。

(文責:鈴木秀顕)
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SDA通信Vol.3ーおはなしテーマ:デジタル社会のはたらき方ー

こんにちは、社会デザイン協会の鈴木です。
最近のニュースは、小泉進次郎・滝川クリステルの結婚報道(8月7日会見)の話ばかりになっていますね。令和に入ってからは、サプライズ婚が続いているように思います。先日は南海キャンディーズの山ちゃんと蒼井優さんの結婚報道が話題になり、次は、政界のプリンスとインテリアナウンサーの結婚。おめでたい話ではありますが、その裏では、「表現の不自由展・その後」に代表されるような日韓関係悪化のニュースや米中貿易のニュースが多く報じられていることが気になります。令和という時代は、どうも予想がつきづらい状態が進んでいるように思う。おそらくではあるが、デジタルカルチャーの社会が進むことによって、秘密裏にすすめることが容易になってきているのではないか、ということが感じられる。(一般的には、デジタルカルチャーの社会では秘密を隠すのは困難と思われがちであるが、よくよく見てみると、デジタルカルチャーの社会は情報のリソースが絞られるため、そのリソースさえ抑えてしまえば、アナログ社会の口コミよりも抑え込みやすくなるのである。)このギャップに気付くと、情報コントロールは容易になることが理解できる。しかも、一般的に理解されている事とは逆方向に動いているので、より一層勘違いを起こさせやすくし、大衆の勘違いを想起しやすくする。ただ、日韓問題や米中問題は、その勘違いをうまく利用した、令和に入ってからのグローバル社会における覇権争いの端緒ではなかろうかと感じてしまっている。日本はその荒波に谷底の壁に囲まれて、周囲の動きが見えず、かつデジタルカルチャーへの変化の動きについていけず右往左往しているだけのように感じる。今、覇権は西洋から東洋に移りつつあるようだ。その動きに気付き、取り組む相手を間違わないようにしなければいけないのだろうなーと思うのだが、政治や社会の動きからはその胎動が見えない。早く教育を変えていかなければいけないのだろうなー、などと思います。

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お知らせ:持続可能な地域づくりと地域おこし協力隊の無料お悩み相談会
おはなし: デジタル社会のはたらき方
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~お知らせ~
2019年11月17日に、持続可能な社会セミナーの拡大版と「持続可能な地域づくりと地域おこし協力隊の無料お悩み相談会」を予定しています。誰でも参加可能です。プライバシーも守ります。ご興味ある方は、予定をあけておいてください。


~おはなしテーマ:デジタル社会のはたらき方~
 先日、 毎日教育総合研究所主催のシンポジウム「AI時代に向けた教育はどうあるべきか」に参加してきた。そこでは、 香里ヌヴェール学院中学校・高等学校校長の池田靖章先生、立命館アジア太平洋大学(APU)の学長である出口治明先生の講演があった。また、 文部科学省総合教育政策局長である浅田和伸さんの講演がありった。このシンポジウムで話題になっていたのは、考える力、である。今までの日本の教育制度でおかしいのは、ゴールが受験になっており、そのために覚える力に重点が置かれていたということであり、これからは考える力が大切というのである。実は、この考える力の議論は、ずーっと行われてきたことであるが、いまだに解決できていない問題である。おそらく、その問題が解決に向かわないのは、先生方のマインドセットができておらず、人は生まれつき頭がいい、などという、DNAの理屈の殻から抜け出すことができないからだと思う。しかし、私の好きな本である「天才」からすると、スポーツ等肉体に関することはそのDNAの理屈が当てはまるものの、脳の割合が高いものに関することにおいては、そのDNAの理屈は当てはまらないことが論証されている。それらのものは、一流に触れる接点機会の量と、やり続けられる能力と、観察に基づく気付きからによる工夫改善が大きく関与している。この中でも特に大切なことは、やり続けられる能力であり、そこには好きなこと、があげられる。
 今までの社会では、会社貢献をひとつの旗頭に、個人的な競争に勝ち、多くの収入を得ることが幸せであった。しかし、人口が減少し、価値が逓減していく中で、多くの収入を得ることが困難になってくる現代社会では、収入を得ることよりも、社会貢献、周りからありがとうと言われたり、あなたがいてくれて助かる、といったことが幸せである、という形に変わってきていることを感じる。とりわけ、デジタル社会は、目に見えず、感じることが大切になる。前々から言っているが、人類が平和を目指し標榜する社会から人類全体が個々人の存在意義を感じ、幸福を標榜する社会へと変化していることがそうさせていると思うのである。そのことを実現するためには、周りが幸せになることに幸せを感じることであり、はたを楽にすることがはたらくこと、に通ずる。今までの仕事は、作業が楽になり、効率性が求められていた。しかし、デジタル社会においての仕事は、楽よりも楽しい、が求められることになる。ことよりも、もっと内なる幸せを求めることが幸せになり、それを実現するためにはたらくことになり、仕事になる。とりわけ、これからのデジタル社会の中では、そのことが充実しやすくなる。マトリックスという、未来を見据える上で秀逸な映画作品があったが、まさにその世界のようになりつつある。そこでは、デジタルの中が当たり前である。デジタル社会は、人の存在意義が大きく取り上げられることになる。それは、仕事ができるとか、勉強ができるとか、そういう形ではない形、つまり、あなたは社会の中で唯一無二の存在であり、ひとりも欠けてはいけないという大切な存在である、ということである。今までは、歯車でもOKだった。が、これからはいろいろな人がいることを受け入れる社会になり、それに対応するような制度設計が必要になる。その変化に対応することができるのか、人間の真価が問われている社会になりつつあることを感じる。

(文責:鈴木秀顕)
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SDA通信Vol.2ーおはなしテーマ:デジタルカルチャーー

最近のニュースは、吉本の裏営業に端を発する、組織対社員の話ばかりだが、国政の参議院選挙について話さなければいけないのではないだろうか、と思うのです。というのも今や日本は、経済にしても情報にしても科学にしてもじり貧状態で、その状態を脱するべく政治による国の形の方向性を考えなければいけないはずなのですが、国政選挙にもかかわらず、今回の選挙での投票率が50%を切ってしまっているのです。まさに、選挙が形骸化された状態であり、マンネリ感なのでしょうか?国民のあきらめなのでしょうか???なぜあきらめなのかというと、やはりどうせやっても変わらんだろ、という気持ちが先立つからなんでしょうね。実はそうなってしまうのも、日本人が世界中の動きから立ち遅れていることにあるからのようです。その立ち遅れの内容は、世界中がボーンデジタルによるデジタルカルチャーの世界を築きつつあるような中、日本ではボーンデジタルはおろかデジタル化さえも四苦八苦している状態のことを指します。それは、政治の世界がボーンデジタルからは程遠い状態にあり、政治家の世界がいまだに長老の世界で、デジタルとは程遠い状態にあり、そのデジタルを受け入れる状態さえもないことにあります。まずは、ボーンデジタルの若者に、権限移譲をすることがいいのでしょうが、いまだに社会の中で高齢層が幅を利かせ、自分たちのいいようにしようとしている。さて、世界の中でも保身が強く変わることを恐れる日本は、いつくらいに変わっていくんでしょうね。

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お知らせ:第4回持続可能な社会セミナー開催のご案内
おはなし:デジタルカルチャー
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~お知らせ~
2019年8月11日(日)15時30分から  第4回持続可能な社会セミナー開催のご案内 場所:秋田市役所中央公民館 洋室4にて 参加費:無料(ただし、お茶菓子代として、500円程度)

~おはなしテーマ:デジタルカルチャー~
 昨日、東京の某大学研究所の国際シンポジウムに参加してきた。主テーマは、私の専門でもあるマーケティングだったので参加したのだが、日本の大学教員と海外の大学教員の話のやり取りに、違和感を覚えながら聞くようなシンポジウムであった。これは、なぜなのだろう?と考えていたところ、この違和感の原因に辿り着くことができた。
(すみません、前回予告していた具体的な方法は、次回に)
 日本は、過去の栄光(高度経済成長の経験)があるからか、アナログのものをデジタル化して対応しようとする。一方、海外では、そもそもが緩やかに変化していったからか、身の丈を理解しており、かつ、デジタルは無形財と、今までの財とは異なることを認知した上で、はなっからデジタルベースで考えている。前回「人は目に見えないものを想像する力に乏しい」という考えを示したが、日本と世界では、この想像のステージが異なっていることを感じる。このベースとなる概念(現代社会をアナログからデジタル化して対応するのか、そもそもをデジタルで考えるのか)が異なっており、かつ日本では、前のところにしがみついたままでステージチェンジができていないため、シンポジウムでの会話がかみ合わないように感じられたのではないか、と感じた。
 デジタルの世界は、無形財である。そのため、想像よりもさらに理想や希望が組み込まれた妄想に近いようなる形で想像されることで動き出す。そして、利用者に近いところで、求めているものを直接提供する形にもっていける存在でもある。私のもうひとつの専門分野に、電子書籍がある。この電子書籍の市場は、アメリカや中国ではどんどんと普及しているのだが、日本ではいっこうに普及する気配が見えない。この研究をしていると感じることは、日本では紙書籍を電子書籍にデジタル化することの対応しか考えられていないことである。なぜ、紙の形を踏襲しなければいけないのであろうか。デジタルが無形財である以上、もっと利用者が求めているものを素早く提供するための方法を考えるべきである。しかし、人はなぜ本を読むのか、の議論が薄い。また、ボーンデジタルの電子書籍の議論が薄い。
 そもそも人が読書する理由は、その書籍から知識や情報を得るためであり、その得られた知識や情報をもとに、自分なりの解釈や理解を深めることで脳の深度を高めることにある。この最大目的を蔑ろにされた状態で電子書籍のことが考えられている。そのため、目的達成とは程遠い状態が生じてしまう。
 もし読書の理由が、そこから得られる知識や情報から脳の真価を高めることが最大目的とするならば、その最大目的を達成するためのデバイスの開発や金額設定、コンテンツアイデアの開発を行うべきであるが、この視点が抜け落ちている。
 実は、今の日本では、いろんなところで普及が進まず、苦しんでいる案件が散見される。政治の世界もそうである。(ちなみに、昨日の参議院選挙は、投票率が50%を切ったようで。国政選挙ですよ。そこに興味を示さない状況を作っている現在の日本政治は、考え直さないといけない時期に来ているのではないだろうか、と思う。)地域づくりもそうである。地域づくりのはじめに、なぜ、無料Wifiの設置が話し合われないのであろうか?(私の研究によると、若年層の便利不便の感じ方は、無料Wifiによって大きく変わることが明らかになっている。)この無料Wifiが設定され、かつその無料Wifiにだけ配信できるコンテンツを提供できるならば、実は地域の深い情報も提供できるはずなのである。しかし、このボーンデジタル(デジタル社会から考える考え方)によるデジタルカルチャーをベースとしたこと(それをやる目的達成のためにデジタルを使ってやること)を考えていかなければ、日本は、ますますじり貧状態が続いていくような気がします。
 次回は、社会デザインの具体的な方法をお話ししたいと思います。

(文責:鈴木秀顕)

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