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2016/04/26

「高大接続システム改革会議から考える」に参加して

Tweet ThisSend to Facebook | by NJ
高大接続とICT

土曜日の午後、日本橋タワー27階のサイボウズ東京本社オフィスにおもむき、「高大接続」をテーマに掲げる研修会に参加した。

正式な名称は、《高大接続システム改革会議から考える「国際バカロレア認定校でのICT・ポートフォリオ活用」》である。


登壇したのは、ICT教育を中等教育の現場に持ち込むべく奮闘している立命館宇治の小澤大心先生と ぐんま国際アカデミーの武藤哲司先生、10代に特化した新しいSNSを立ち上げたTHINKERSの山内学氏、日本の教育現場にICTを導入するために汗をかいているiOSコンソーシアム文教WGの野本竜哉氏、さらには新しい高等教育のかたちを具現化して世界的に注目を集めているミネルバ大学の山本秀樹氏である。計算されたスライドと巧みな話術で、それぞれ独自の論点をクリアに提示して聴衆を魅了する。休憩をはさみながらの4時間があっという間に過ぎ去った。


高大接続そのものが表立って議論されることは少なかったが、プレゼンを通して新しいテクノロジーを活用した教育の大きな可能性と目の前に立ちはだかる多くの困難を実感し、「高大接続」というテーマの背後にある大きな問題があらためてくっきりと浮上してくる思いだった。


「高大接続」というと、大学入試に焦点を当てつつも、中等教育と高等教育それぞれの教育内容の改善を目論むものだという理解する向きがある。もちろん、そのこと自体を否定するつもりはないが、もっと大局的な観点があることを忘れてはならないだろう。それは、大学を含む教育現場(教室)と現実社会との接続という問題である。

教室とオフィスのギャップ

ぐんま国際アカデミーの武藤哲司先生のプレゼンは、Evolution of the deskという動画から始まった。1980年から現在にいたるまでのワーキングデスクの変化を描いた動画である。電話やFAX、ハサミやセロテープ、カレンダーやメモ帳など、机の周辺に所狭しと並んでいたさまざまな物品が、次々にアイコンに変容してはノートパソコン(最終的にはクロームブック?)の画面上に整列していくという動画だ。あらためて私が大学に入学した1980年代初頭からのオフィス環境の変化を実感した。一方で、教室の机の上は未だに1970年代のままである。


ICT
教育の導入を推進しなければならない理由として、「便利だから」「能率が上がるから」「教育内容の改革に資する」などをあげる人がいるが、もしかするとそういう問題は瑣末なことに過ぎないのかもしれない。今回の研修会では、こうした考え方とは異なる観点として「技術大国としての日本の誇り」を失わないようにするためという話も出てきた。こうした理由で納得できる人がいれば、それはそれでいいのだが、これらの理由は、ICT導入に懐疑的な教員からするとそのまま反対する理由に見えてしまいかねないところがある。つまり、「便利とか効率とかを求めすぎるのは教育にとっては百害あって一利なし」「教師が楽をしようと考えるのはよくない」とか「日本人の誇りなどというナショナリズムを子どもたちに刷り込むべきではない」「日本人以外の子どもたちを排除する言説をまき散らすとは許しがたい」などなど。もちろん反論することも可能だが、メリットとして挙げられていることを半ば自動的に「悪」と見なす人たちがいることを忘れてはならない。


私にとってICT教育(ICTに関する教育とICTを使った教育)を導入しなければならない理由としていちばん腑に落ちるのは、社会人を育てるための学校の教室空間が、多くの社会人が国民の義務としての「労働」をする舞台としてのオフィス空間との間に生じさせている大きなギャップを、このまま放置すべきではないということである。
「読み書きそろばん」という言葉はもともとは比喩ではない。まさに「そろばん」を使いこなすことが、社会で生きていくための重要なスキルだった時代があったのだ。学校教育において書写の授業が行われてきたのも、毛筆で整った字を正確に書き記す能力がエリートになるための要件だった時代があったからこそだろう。1970年代ぐらいまで、中学入学のお祝いとして万年筆を送ることが多かったのは、ペンで文字を書くことが社会人(とりわけエリート層の社会人)にとって重要なスキルだったからだ。もちろん今でも、手書き文字が活躍する舞台はある。いざという時は、電子メールではなく、手書き文字で手紙を送ることが必要だろう。しかし、だからと言って、中等教育(のみならず高等教育?)の教室空間において、生徒たち(学生たち)が常にシャップペンシルとルーズリーフで学習し続けるという状況をこのままにしておいてよいはずがない。


そういう意味合いにおいて、小澤大心先生と武藤哲司先生の中等教育の現場での悪戦苦闘ぶりも、学校という枠組みを超えて10代の子どもたちのネットワークを作ってそこに社会からのアクセスを可能にしようとしているTHINKERSの山内学氏のチャレンジも、とても頼もしいものに見えた。また、高等教育において先進的な試みをしているアメリカの大学に日本の高校生を送り込もうとしているミネルバ大学の山本秀樹氏や、無為無策な地方の教育行政を尻目にICT教育伝道師のように精力的に活動しているiOSコンソーシアムの野本哲哉氏の取り組みも、現在の日本の中等教育の欠落している部分を埋めていくための重要な仕事だと感じた。


自分の問題意識
そして、ただいま現在の私の問題意識。


今年の4月に着任した公立大学法人都留文科大学は、県外からの進学者が約9割、卒業生の3分の1が教職に就くという、地方の単科大学としては、きわめてユニークな大学である。ただし、現在の大学および大学院に在籍している学生たちの大半は、中等教育の中でまったくICT教育を体験していない。大学の教職課程の授業においても、そういう機会はほとんどない。しかし彼らが教育現場に出た時には、少なくとも赴任して数年後には、ICT教育の実践をせざるを得なくなるに違いない。そして先輩教員から「若いんだから、わかるでしょ。できるでしょ。」という期待をかけられることが不可避である。

このギャップをなんとか埋めなければならない。

彼らに必要なのは、生徒としてICT教育の体験を重ねつつ、教員としてICT教育を実践する知識や技能をも身につけることだ。これまでの教職課程の授業では十分な手当ては望み薄だし、教職志望の学生を育てることを視野に入れたICT教育のプラットフォームは存在しない。教員アカウントと生徒アカウントの両方を体験できるプラットフォーム、できれば簡単に教員アカウントと生徒アカウントを切り替えられるプラットフォームが必要だ。

今回の研修会で取り上げられたApple Classroom
にも期待を寄せていたが、日本で使えるようになるまでには、まだまだかなりの時間が必要な感じである。とりあえず、教職課程の授業やゼミにロイロノートスクールを導入し、今年度中の早い時期に何とかGoogle Classroomを使える条件を整備するつもりだが、場合によっては小澤大心先生と同じようにサイボウズLIVEを駆使して、学生たちと一緒に国語科の授業をデザインしてみようかとも考えている。


ありあわせのもので何とかしながら、スピードを上げ、とにかく前に進む、ということが大事な局面にいるのだということを再認識させられた研修会だった。


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