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2017/10/12

博士論文提出から10年に際しての所感

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

去る9月29日(金)、私が2007年9月29日(土)に博士学位請求論文「清沢満之における宗教哲学と社会」を法政大学に提出してから満10年が経ちました。


この論文では、浄土真宗大谷派の僧侶で思想家でもあった清沢満之(1863-1903)を対象に、カントやヘーゲルの哲学を下敷きとした清沢の思想と、宗教家として浄土真宗大谷派の近代化を目指した取り組みに焦点を当て、宗教者として知られる清沢の哲学的な価値と明治時代の日本の社会に対する態度を検討しました。


論文の構成は以下の通りでした。


*****************************
序論
一 本研究の目的と意図
二 本研究の構成と概要


第一章 清沢満之研究の現状と課題
一 清沢満之の思想と著作
二 清沢満之研究の展開
(一) 「宗教者としての清沢」研究の展開
(二) 「哲学者としての清沢」研究の展開
(三) 諸外国における清沢研究の展開
三 今村仁司『清沢満之と哲学』の成果と課題


第二章 『宗教哲学骸骨』への道
一 哲学史の時代
(一) 揺籃期の哲学史
(二) 啓蒙期の哲学史
 a 井上哲次郎『西洋哲学講義』
 b フイエ(中江兆民訳)『理学沿革史』
 c 井上円了『哲学要領』
 d 三宅雄二郎『哲学涓滴』
(三) 批判期の哲学史
 a 大西祝『西洋哲学史』
(四) 完成期の哲学史
二 清沢満之『西洋哲学史講義』
三 個と内面の時代


第三章 『宗教哲学骸骨』における清沢満之の宗教哲学
一 『宗教哲学骸骨』の概要
二 有限無限論と依立独立論の論理的関係
三 宗教と哲学
四 カントとヘーゲルの調停の試みとしての『宗教哲学骸骨』


第四章 清沢満之における超越概念
一 有神論と無神論
二 仏教における超越概念
三 「理想と妄想」と真如への道
四 精神主義と超越
五 有限無限論と超越
六 他力思想と超越


第五章 国家による宗教の統制と清沢満之の真俗二諦論批判
一 明治天皇制国家の宗教政策と清沢満之
二 明治時代における国家による宗教の統制
三 明治時代における浄土真宗の真俗二諦論と天皇制国家への協力
四 清沢満之における真俗二諦論の変遷
五 俗諦国益論に対する清沢満之の批判


第六章 精神主義における宗教と社会
一 宗教と社会の対立
二 清沢満之の公共主義における個人と社会
三 精神主義と社会
四 社会と国家に対する態度の可能性


第七章 宗教と社会の新たな地平
一 信仰における主体の問題
二 親鸞における他力信仰と主体性
三 清沢満之における他力信仰と主体性
四 宗教と社会の新たな地平
*****************************


私が清沢満之の研究を始めたのは、法政大学大学院国際日本学インスティテュート社会科学研究科政治学専攻修士課程に入学した2003年4月のことでした。


すなわち、私が学部と1回目の修士課程、そして特別研究学生の7年にわたってドイツ、フランスの近現代哲学を専門にしていたことに注目した指導教員の飯田泰三先生から、カントとヘーゲルを日本で最初に本格的に紹介した清沢の取り組みを通して日本における西洋哲学の導入と普及の過程を検討することを勧められ、当初考えていた岡倉覚三のアジア論の研究から主題を変えたのでした。


このとき、飯田先生は「岡倉天心のアジア論はすでに竹内好がやっているし、今更天心のアジア論で修士論文や博士論文を書いても天心の議論の解釈で終わってしまう。それよりは、清沢満之がどうやってドイツ哲学を学んだのか、そして、学んだことをどうやって浄土真宗の改革に生かしたのか、そもそも、どうして哲学を勉強していた清沢が宗教活動に一生をささげたのか、こっちの方がよっぽど面白いし、鈴村君らしい切り口で議論できるはずだ」と、研究対象を岡倉覚三から清沢満之に変更するよう、進めてくださったのでした。


それまで、清沢満之の名前は弘文堂の『ヘーゲル事典』(1992年)の中で目にした程度で、具体的な像を描くだけの知識も理解もありませんでした。


それでも、当時岩波書店から刊行されたばかりの『清沢満之全集』や、法蔵館版の『清沢満之全集』、さらには各種の研究書や論文を手掛かりに、2005年3月に修士論文「清沢満之における西洋思想の受容と哲学の展開についての研究」によって修士課程を終え、2005年4月には法政大学大学院国際日本学インスティテュート政治学研究科政治学専攻博士後期課程に進学し、研究を進めました。


ところで、私が進んだ法政大学大学院国際日本学インスティテュートの博士後期課程は2004年度に開設され、私は第2期生として入学しました。


2006年度は博士論文の提出がなかったため、2007年度に博士後期課程3年生となる私は、博士論文を期日である2007年9月29日までに提出しようと考えたのでした。


ただ、当時、博士論文を提出するための条件などが学生に提示されておらず、先生方や大学院事務課に確認しても規程類が未定であるか非公開である旨の回答を得るのみでした。


そこで、私は他大学が公開している規程を参照し、論文の枚数や提出までに必要となる査読付き雑誌への投稿や学会発表の基準値を算出して提出に備えたものです。


清沢満之という宗教家を取り上げながら自分自身には宗教的な関心が乏しいこと、さらに後世の宗教家たちが清沢を崇拝的に称賛する心持ちを感覚的に理解できても理論的に説明できなかったことなどから、私の議論は対象である清沢に対してどちらかといえば冷淡であったかも知れません。


それでも、清沢満之に対して批判的に接することができたという点は、既存の研究に比べて特徴的ではないかと思われました。


そして、2007年9月29日に、国際日本学インスティテュートから法政大学に提出した最初の博士論文を大学院事務課に無事に提出できたのでした。


「提出時には簡易製本は不可」ということで上製本で仕上げた正本と副本を手にして外濠公園を飯田橋方面から市ヶ谷に歩いたこと、そして論文を提出した際に大学院事務課の職員の女性が予想外の博士論文の提出に驚きの色を隠しきれなかったことなどは、今でも懐かしく思い出される逸話です。


<Executive Summary>
The 10th Anniversary for Submission of My Doctral Thesis to Hosei University (Yusuke Suzumura)


The 29th September 2017 is my 10th anniversary for submission of my doctral thesis to Hosei University on 29th September 2007. Today I remember some episodes concerning on my thesis.


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