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2017/11/14

異郷訪問譚と状況対応リーダーシップ理論の対照 ―「馴質異化」と「異質馴化」の観点から―

Tweet ThisSend to Facebook | by ogt

異郷訪問譚とは、周知のように、民俗学の領域での物語の形式を表す用語である。一方、状況対応リーダーシップ理論は一九七七年にハーシィらによって考案されたリーダーシップ理論である。双方は一見、無関係のように見えるのだが、筆者の以前の論文(大喜多:二〇一五)では、異郷訪問譚と状況対応リーダーシップ理論の関係について、「主人公(フォロワー)に主体的に関与して成長を促す存在(リーダー)の有無という差異はあるかもしれないが、成長物語であるという点で一致している」と述べ、双方には類似点があることを示した。また、双方の共通点を探ることは、従来からの民俗学の知見の、他分野への援用を考えるうえでも有用な試みであると筆者は理解している。

 本稿では、主人公(これは、リーダーシップの概念からすれば「フォロワー」と呼ぶべきであろうが、ここでは便宜上「主人公」で統一する)の、状況に応じた能力・意欲の変化に焦点を絞り、異郷訪問譚と状況対応リーダーシップ理論の関係を考察したい。

 そもそも、異郷訪問譚とは、主人公が異郷を訪問する形式の物語である。典型的な異郷訪問譚の実例としては、「イザナギの黄泉国訪問」や「浦島子」などがある。本稿では「イザナギの黄泉国訪問」を事例としてとりあげるのだが、ここではまず、状況に応じた心境の変化を追ってみたい。「イザナギの黄泉国訪問譚」のあらすじは次のとおりである。

 

<あらすじ>

イザナギはイザナミと住んでいた。国生みの際、多くの子を産むのだが、火の神を産んだ際、イザナミは落命する。最愛の妻を失ったイザナギは、悲しみのあまり、黄泉国へと、イザナミを追いかけて行く。そこでイザナギはイザナミに、この世に戻って来るよう懇願する。ところが、イザナミによる「見るな」の禁を破り、変わり果てたイザナミの姿を見たイザナギは、一目散にこの世へと戻ることとなる。イザナミはイザナギを呪い、イザナミは地に生きる人々を殺す宣言をした。イザナギはそれに対して人々を生み出す宣言をすることとなる。

 

ここでの主人公はイザナギである。イザナギは、まず、イザナミと共に国生みをする日常があった。その後、火の神をイザナミが産んだ際、イザナミは最愛の妻を失うという突然の事態に遭遇する。この心的ダメージはなかなか癒えず、これを癒すために遂には、イザナミが住む黄泉へと下る決断をするのである。つまり、ここでのイザナギの日常は、妻の死により失われる。それにより、イザナギは不安定な心境へと転じるのである。

イザナギにとり、日常は失われたのであるが、イザナギを取り巻く環境は妻を失ったのみであり、現実的には大きな変化はない。換言すれば、イザナギの馴れた日常が、妻を失ったことをきっかけに、馴れていないものへと異化したのである。本稿ではこれを「馴質異化」と呼ぶ。

異化した現実を受け入れられないイザナギは、死んでしまった妻を取り戻すという、いわば過去へと戻る選択をし、イザナミのもとへと行く。その際、イザナギは、一種、高揚感に似た気持ちであったに違いない。ところが、イザナギは、「見るな」の禁を破り、その高揚感は一挙に失われる。

その後、一目散にこの世に戻るのだが、その際、イザナギはイザナミと決別し、新たな日常を回復することになる。ここでは、イザナギは、異質化した日常を、イザナミとの決別と共に現実を受容し、その日常に馴化するのである。つまりこれは「異質馴化」である。

以上をまとめると、イザナギは、馴質異化→異質馴化という過程により、もともとの日常(これを「旧日常」と呼ぶ)から新たな日常(これを「新日常」と呼ぶ)を獲得するに至ることになる。なお、イザナギの異質馴化に大きく影響を与えた出来事は、「見るな」の禁を犯すことによりイザナミの黄泉での姿を直視したことである。これにより、それまで幻想的な高揚状態だったイザナギは一転し、驚愕と落胆の状態になる。だが、この世への坂を必死で走り、追跡者から逃れるなかで、次第に現実を受け止めて行くのである。つまり、旧日常→馴質異化→高揚→落胆→異質馴化→新日常という過程をイザナギは辿った。

 これを状況対応リーダーシップ理論に対照してみる。状況対応リーダーシップのライフサイクルモデル(網:二〇一六)によれば、フォロワーの成熟度合いの変化は、R1(能力低い・意欲低い)→R2(能力低い・意欲高い)→R3(能力高い・意欲低い)→R4(能力高い・意欲高い)と変化する。

これに上述のイザナギが辿った過程を対応させると、R1は、「馴質異化」、つまりイザナミを失ったことにより悲嘆に暮れ、日常が異質化した状況に相当する。なお、R1によれば、主人公は能力が低く、意欲が低い状況として表現される。

続いて、イザナギが当面の目標を、イザナミと出会い、この世に取り戻すことに定め、黄泉へと向かう「高揚」である。これはR2である。ここではイザナギは前段階に比べ意欲が高い。一方、イザナギはその後のことを考えている訳ではなく、現実に対応する能力としては低い段階に留まっている。

その後、イザナギはイザナミと出会うことにより「落胆」する。これはR3に当たる。つまり、イザナギの意欲は落胆し薄れるのだが、現実に対応する能力についてはむしろ高くなり、追走される状況を、知恵を使い振り切るのである。

そしてイザナギはイザナミと別離し、「異質馴化」となる。これはR4である。この時点で、イザナギは新しい生き方を選択し、能力・意欲共に高い状態になっている。

なお、イザナギの過程では、「馴質異化」の前に「旧日常」が、「異質馴化」の後に「新日常」があるが、これを状況対応リーダーシップ理論に対照すれば、「旧日常」はフォロワーがリーダーとの関係を構築する前の段階であり、「新日常」はフォロワーがリーダーを必要としなくなった段階であると言えよう。

以上のように、主人公の状況に応じた能力・意欲の変化に焦点を絞り、「イザナギの黄泉国訪問譚」を状況対応リーダーシップ理論と対照したところ、双方には多くの一致点を見ることができた。本稿は、ひとえに「イザナギの黄泉国訪問譚」に注目しての比較を試みたに過ぎない。筆者としては、他の異郷訪問譚の場合はどうか、についても確認したいと思っている。

 

引用文献

網あづさ、二〇一六年『12のリーダーシップ・ストーリー:課題は状況対応リーダーシップ(R)で乗り切れ』 生産性出版。

大喜多紀明、二〇一五年、「異郷訪問譚と状況対応リーダーシップ理論の構造的共通点―成長物語の観点から―」『民俗文化』六一八号、七一四五~七一四七、滋賀民俗学会。

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初出:大喜多紀明、2016、「異郷訪問譚と状況対応リーダーシップ理論の対照―「馴質異化」と「異質馴化」の観点から―」『民俗文化』636号、7361‐7362、滋賀民俗学会



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