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南国雑記帳(全卓樹)

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2018/07/10

「南国科学通信」第7回:付和雷同の社会学

Tweet ThisSend to Facebook | by T_Zen

公式版は「朝日出版社第二編集部ブログ」にて公表済み(怪しい挿絵は抜いてある)

第7回 付和雷同の社会学

フランス語に「パニュルジュの羊みたいに」という表現があって、付和雷同する様をさす言葉である。智慧者のいたずら屋パニュルジュの物語に由来するのだという。彼を笑い者にした商人から、リーダーと思しき羊を一匹買い取ったパニュルジュが、すぐさま羊を海に投げ込むや、残りの羊も皆海に飛び込んで、商人は大損をしたという故事である。

人間だれしもの心には、多かれ少なかれ付和雷同の習性が根深く巣食っている。パニュルジュならぬ我々はむしろ、付和雷同心を逆手に取った賢い商人たちの宣伝にのって、日々細々と損をする消費者となったりする。


物事を決めるときに他人の判断に頼る傾向と、それがもたらす社会的な帰結については、数理物理学的社会学の大家、ダンカン・ワッツ博士の有名な研究を見るのが良い。「人工的文化市場における不平等と予測不能性の実験的研究」と題された2006年の論文で、アメリカの「サイエンス」誌に掲載されている。

ワッツ博士のグループは、インターネット上に音楽ダウンロード・サイトを作った。サイトの訪問者は1万5千人近くに上り、彼らが被験者となったわけである。訪問者はみな、18組の新人アーティスト・グループの手になる48曲のリストを見せられる。曲はどれも試聴可能で、訪問者は曲に1から5の評価をつけたのちに、1曲ダウンロードできるという仕組みである。

訪問者たちは、彼ら自身気づかぬ間に、9つあるグループのどれかに振り分けられる。振り分けられた各訪問者の画面には、それぞれのグループ内での曲の評価の集計が、ポイントとして表示されるようになっている。つまり各訪問者は、それまでの他の訪問者の評価の集計を見ながら、自分の評価を下すわけである。ところが第1のグループだけ特殊で、ここでは他の訪問者の評価は表示されない。つまり第1グループでは訪問者は自分の耳と感性だけで曲を評価するわけである。そして残りの8つのグループは、同じ0評価から出発して、他人の意見を見ながらの評価が積もっていく、いわば8つの並行世界となる。

  

実験結果を一言で言うと「付和雷同の心が超人気曲をランダムに生み出す」である。

各人が独立に判断する第1グループでは、人気のある数曲、全く人気のない数曲、その間にある中間的評価の多くの曲、と評価の分布はなだらかであった。一方他人の評価を見ながらのグループでは、数曲の非常に突出した人気曲があって、それらが残りの一般曲を圧倒していた。実験は二回に分けて行われ、最初の実験で訪問者が見せられるのは、3行に分けてランダムに並べられた曲の表であった。一方2回目の実験では曲は評価の数字の大きい順に1行に並べられた。1回目の実験で見られた人気曲とそれ以外への分極は、2回目の実験ではより極端になって観測された。

技術的に言うと、観測された曲の人気分布のジニ係数は、1回目の実験ではおよそ0.4、2回目の実験では0.5を超えるほどであった。両方の実験とも他人の評価を見ない参照データとなる第一グループでは、ジニ係数は約0.25であった。

ちなみに読者諸氏の多くもご存知のとおり、ジニ係数というのは、全ての曲が同じ投票数ならば0、一曲だけに全投票が集まる場合に1となる、不平等さの度合いを測る統計量である。

面白いのは、全グループ共通の人気曲がある一方で、各々のグループだけで大人気となる曲も必ず見られる点である。全グループで不人気な曲というのも見つかる。全グループ共通の人気曲や不人気曲は、他人の判断を参照しない第1グループでも、やはり人気曲や不人気曲としてして登場する。これらは誰しもが認める名曲そして駄曲と見做せるだろう。そして各グループごとに特有なバラバラの人気曲のほうは、おそらくは「人気があるから人気がある」という付和雷同の群集心理が作り上げた、「内的価値に基づかない人気曲」と考えるべきであろう。

初期段階である曲にたまたま高評点が重なって、雪だるま式に評価を上げて大人気曲へと成長する、という訳である。どんなに手を尽くしてもあらかじめヒット曲を予測できない、というのが音楽業界の悩みであるが、これもそう考えると納得できる。


音楽をはじめとした芸術芸能、あるいは言論界や政治の世界まで含めて、皆の人気投票で優劣を定める分野は、「少数の天才」と「凡庸なそれ以外」にはっきり二分される世界になりがちで、名声、収入、権威もそれに従って分配される習わしになっている。しかしながらワッツ博士たちの社会実験から判断すると、この鋭い二分は、才能や適性の分布に起因するというよりも、われわれ人間の付和雷同の心によって発生する、社会的な構成物だと考えた方が良さそうである。

成功は才能と時の運、というわけである。

と、こう言う話を夕食どきに家人に向かって喋っていたら

— 学者って面白い人達ね。そんなの誰でも知ってる事じゃない。ネイチャアとかサイエンスとか、常識をご大層な実験で確認するそんな論文でいっぱいなわけ?

と言う答えが返ってきた。

— いやまあ、そうかもしれないけど、きちんとコントロールされた再現可能な条件で、科学的に行われた実験ってのは、ただのお茶飲み話とは少しは違うし。それにこう言う風にジニ係数とか使って定量的にできるようになったら、これそのままマーケティングとか世論誘導とか、いろいろ実用的な応用あるだろうし。

と、 私も一応抗弁を試みる。予想通り家人からきっぱりとした言明が帰ってきた。

— そうやって精密にして、数理社会学だか社会物理学だか知らないけど、科学的な道具に仕立て上げたら、その使い道が営利企業のマーケティングなのね。それとなんでしたっけあの、ケンブリッジなんとかいった、アメリカ大統領選での世論操作を主導したらしいコンサルティングファームとか。まあ物理学者や数学者のダークサイドへの堕ち方にもいろいろあるのね。


これ以上は夕食の場に不適当なことが明らかだったので、先週末にいった足摺の先の柏島の、透明な海の上に飛んて見えた船の情景に、あわてて話題を切り替えた。

自らの判断がつきにくい事項について、多数の他者の判断を参考にしてものを決める習性は、おそらくは長い先史時代に人類が獲得した形質なのだろう。そこでは狩の獲物についても果実の豊富な茂みについても情報が乏しく、他者からの伝聞は貴重な判断材料であった筈だ。また集団の素早い意思統一のためのメカニズムとして、付和雷同の心性はとても効率的である。競合する敵対的集団に囲まれた原始部族社会で、これは組織防衛上必要不可欠のものだったろう。

人間に限らず広く動物界を見ても、多数の他者の判断に従う行動は、多くの場面で種の繁栄にとって有利だったにちがいない。それは八の字ダンスで方向を伝えて、瞬く間にコロニーの皆が良い餌場へ殺到する、ハチたちの習性を見ても明らかである。

インターネットで万人が繋がった今の世で、人間だれしもがもつ付和雷同の心性が、時として暴走して大小の不都合をもたらす様を、われわれは日々目撃している。おそらくそれは、食料調達が困難であった先史時代に適応した人体が、飽食の現代に不適応を起こして、世に肥満が蔓延するのと類似の現象なのだろう。


不都合を正すにはことがらの正確な理解が前提になる。数理的な社会学のメスがもし本当に価値のあるものならば、それは私企業の営利追求の手助け以外にも用いられるだろう。社会制度の賢い設計を通じて、人々が宣伝や世論操作のたやすい餌食となり、パニュルジュの羊のように次々入水するのを防ぐ手立てが見つかるだろう。

今一度われわれ科学者が、ダークサイドから這い上がる時が来るであろうか。その時こそはすべての家庭の夕餉どきに、こうした話題を平和に持ち出せるようになるのではないか。

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