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2018/03/08

坂口安吾「復員」の発掘について

Tweet ThisSend to Facebook | by samsa01
 「朝日新聞」をはじめ多くのメディアで報じてもらったとおり、坂口安吾の掌篇を発掘し、「新潮」2018年4月号に解説を載せてもらっています。「朝日新聞」1946年11月4日第4面の「けし粒小説」という欄に掲載された「復員」です。すぐに読み終わりますので、ぜひ読んでいただければありがたいです。
 「けし粒小説」については3月末に出る「阪大近代文学研究」16号に「研究ノート」として4頁くらい、もう少しわかったことを書いています(ほどなくして阪大のリポジトリ「OUKA」に登録され、webでも読めるようになるはずです)。
 ただ、特に研究者の方々は、わたしがどういう経緯で発掘したのかが気になるだろうと思うので、ここに簡単に記しておきます。
 普段わたしは太宰治や織田作之助を主に研究しています(そこから1940年代の新聞の文藝欄も研究しています)。そのオダサクが「けし粒小説」を書いていることは以前から知っていました。全集に掌篇が収録され、「けし粒小説を書いてきた」というオダサクの姿を記した回想も存在し、大谷晃一による評伝『織田作之助―生き愛し書いた』でも使われているからです。
 ただ、「けし粒小説」という言葉は、オダサクが掌篇について独自の呼び方をしているのだと思っていました。
 そんなある日、久生十蘭全集を読んでいて、十蘭も「けし粒小説」を書いていたことを知りました。そこで「けし粒小説」という呼称が広く使われていたことも知り、これってシリーズだったのかな……と思って、「朝日新聞」のデーターベース「聞蔵Ⅱ」で調べてみました。
 ただ、「聞蔵Ⅱ」で普通に「けし粒小説」と検索しても、見られません。「けし粒小説」が載ったのは、朝日新聞大阪本社が出している大阪版と名古屋版で、この時期の大阪版は検索にかからないからです。名古屋版は見ることもできません(名古屋版については、わたしは後に鶴舞図書館で原紙を閲覧させてもらいました)。
 そのため最初に、オダサクと久生十蘭の、既に先行研究によって掲載日がわかっている作品を年月日を指定して大阪版を呼び出して、見ました。あとは、一日一日見ていって、やがて坂口安吾「復員」に遭遇したということです。
 一読して、初めて接する作品だと気づき、ということは全集にもなかったはずだ……と思って確認しました。すると、やはりどこにもなく、年譜にも記載がなく、学会誌や個人研究誌等でも紹介されていないこともわかってきました。
 ご迷惑かもしれないのでここにお名前は記しませんが、尊敬し、信頼している安吾研究者の方にも内々で確認させていただき、ご存じないということで、新資料だという確信を得ました。
 そこから「新潮」掲載に至るプロセスについては、ちょっと別の発表していない資料(安吾ではない)の話も関係してくるので、ここには書きません。ただ発掘に至る経緯は、だいたい以上のようなことです。
 最後に強調しておきたいのは、わたしのような安吾を中心に研究していない者が、これが新資料だと気づけたり、調べられたりしたのは、上述の研究者の方のみならず、これまでの先人たちによる坂口安吾研究(+織田作之助研究、久生十蘭研究)の蓄積があったからこそです。見つかった安吾の作品は、掌篇でも面白いと思います。が、わたしの〈手柄〉自体は、落ち穂拾いのようなことに過ぎません。
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