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2018/10/09

勅語原義草稿

Tweet ThisSend to Facebook | by 森 新之介

緒言

 明治23年(1890)10月30日付で公示された315字の勅語は、後に「教育ニ関スル勅語」と称されるようになる。この所謂「教育勅語」は短文でありながら、または短文であるからこそ、今日までに数百もの訳註を生んできた。

 稿者がその幾つかを見たところでは、亘理章三郎編『教育勅語通解』(金港堂書籍、1917)が最も簡明穏当であるが、従い難い箇所もある。井上哲次郎『勅語衍義』(敬業社・哲眼社、1891)や文部省訳(『聖訓ノ述義ニ関スル協議会報告』、1940)、佐々木盛雄訳(『甦える教育勅語――親と子の教養読本――』、国民道徳協会、1972)、そして近時の高橋陽一訳(教育史学会編『教育勅語の何が問題か』、岩波書店、2017)などに至っては、誤読曲解に満ちている。

 私見では、教育勅語は漢文訓読調の和文としてよりも、むしろ日本漢文の訓読文として読解することではじめて意味が通るものである。前掲『教育勅語通解』の訳註がかなり穏当である理由も、著書3人の亘理以外2人が漢学者の諸橋徹次と森本角蔵であったことと無関係でないであろう。

 本稿では以上の問題意識により、教育勅語を訳註した。ただし、誤謬遺漏などもあるに違いないため、公表後も随時補訂していく。

凡例

原文(除く日付と御名御璽)

朕惟フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

註釈

朕惟フニ

 勅語全体に管到している。

我カ皇祖皇宗

 「皇祖」は直後に「国ヲ肇ム」とあるため神武天皇を指し、「皇宗」は歴代天皇を指す。「皇祖」を天照大神とする説もあるが、従い得ない。ただし、天照大神が天皇の祖先でないという意味でない。

国ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ

 対句。

 「宏遠」は広大。「遠い昔」の意でない。また、広大な構想で始めたということであり、国が広大だったということでない。

 「徳ヲ樹ツ」は「道徳を立てる」でなく「徳沢を施す」の意。用例として、『孔子家語』致思篇第8に「思仁恕則樹徳、加厳暴則樹怨」とあり、このような「怨」の対義語としての「徳」は徳沢恩恵。

我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ

 「克ク忠ニ克ク孝ニ」の語順だからといって、この勅語が忠を孝より重んじていると見る必要はない。直前で君恩について説いているためこの語順になっただけかも知れない。

世々厥ノ美ヲ済セルハ

 「世々」は「よよ」と訓む。代々。

 「美」は美風。

 「済セル」は「成し遂げた」の意。

 出典は『左伝』文公十八年の「世済其美、不隕其名」であり、杜預の註に「済成也、隕隊也」とあり、孔穎達の疏に「「世済其美」、後世承前世之美。「不隕其名」、不隊前世之美名」とある。後世の者が前世から承け継いだ美風を成し遂げ、その名を汚さないこと。そのため、「厥ノ美ヲ済セル」は後の「爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スル」と関連する。

此レ我カ国体ノ精華ニシテ教育ノ淵源亦実ニ此ニ存ス

 「此レ」「此」は「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セル」を指す。「我カ皇祖皇宗」からを指すとする説が多いが、従い難い。もしそうであれば、「世々厥ノ美ヲ済セルハ」でなく「世々厥ノ美ヲ済セリ」と文が切られているべきであろう。

 「精華」は「最も美しいところ」の意。真髄などでない。また、我が国体において最も美しいところということであり、我が国体が万国のそれらにおいて最も美しいということでない。

 「淵源」は起源、由来。根本などでない。

爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ

 儒学の五倫(父子の親、君臣の義、夫婦の別、長幼の序、朋友の信)に近いが、兄弟や夫婦について別(けじめ)や序(序列)でなく友や和を強調するなど、やや相違もある。また、4者の並べ方も同じでない。

恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ

 対句。前者は「恭倹の精神で自己を保ち」の意で、後者は「博愛の精神で衆人に及ぼし」の意。

 「博愛の精神を衆人に及ぼし」の意でなく、衆人に及ぼすべきものは仁愛など。 前文で説いた家族友人という自分に身近な人たちへの仁愛などを、より広い、身近でない人たちにも及ぼしていくべきことを説く。「衆ニ及ホシ」の用例は見出し難いが、恐らく「及物」(物に及ぼす)を平易に言い換えたものであろう。

学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ

 「以テ」の前後で対応している。学問を修めて智能を啓発し、仕事を習って徳器を成就する。

 「徳器」は徳行と才器。朱熹『小学』善行篇第6に「徳器成就」とあり、明の陳選『小学句読』は「徳器」を「行成曰徳、才成曰器」とする。

進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ常ニ国憲ヲ重シ国法ニ遵ヒ

 対句。

 「進テ」は「世に出て」の意。

 「世務ヲ開キ」は「世のためになる事業を始め」の意。

一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ

 「緩急」は危急。外寇(外敵の襲来)などを指す。

 「義勇公ニ奉シ」は「義勇の精神を公に奉仕し」でなく「義勇の精神で公に奉仕し」の意。なお、これを「兵士になって戦い」の意に解する必要はない。この勅語は不特定の国民を対象としたものであるため、もしそう解すると女なども兵士になって戦うということになってしまう。

 「以テ」は直前の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」だけを承ける。「爾臣民父母ニ孝ニ」からの全体を承けるとする説も多いが、従い得ない。それでは「学ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓発シ徳器ヲ成就シ」の「以テ」が説明できなくなり、また「父母に孝であることによって皇運を扶翼する」などということにもなって不自然。「進テ公益ヲ広メ世務ヲ開キ」からを承けるとする説もあるが、やはり従い難い。

 「天壌無窮」は『日本書紀』で「宝祚」(皇位)が永久に栄えることを言った語。そのため、「天壌無窮ノ皇運」の「皇運」は皇位の意とする説が多いが、従い得ない。これは皇国の運勢すなわち国運の意。もし皇位の意に解すると共和制国家に妥当しないことになり、後の「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」と整合しなくなる。

 「皇運」の先行用例として着目すべきは、幕末維新期の

皇国之衰運ヲ挽回シテ、外ハ慢夷之胆ヲ呑、内ハ生霊ヲ保テ奉安
叡慮、〔…〕度奉存候
(徳川家茂の孝明天皇への奉答書、文久4年[1864]2月14日)
偏に
皇運挽回之至誠を以
聖朝を輔弼し、幕府を扶助し、藩屏之任を竭度と之赤心ニ候
(島津茂久と久光の連署建言、慶応2年[1866]7月9日)
皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ
(坂本龍馬「船中八策」、慶応3年[1867])
皇運挽回セザルアランヤ、豈外蕃ヲ制スルノ術ナカランヤ
(中岡慎太郎「時勢論」、同年)
今日 皇国之衰運ヲ挽回シ 皇威ヲ海外ニ耀シ奉ル儀ハ
(太政官五藩の総裁宮への連署建言、明治元年[1868]2月7日)
などであろう。これらは外敵により危機に瀕した国運を挽回するという用法であり、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」という文脈に合致する。

 なお、明末の藕益智旭「陳罪求哀疏」(崇禎12年[1638])にも「始見外寇猖獗、饑疫洊臻、国政乖張、元気侵蝕、願修成道力、興隆正法、黙扶皇運」とある(「外寇猖獗」は後金の侵攻を指す)が、幕末維新期の用例との関係は未詳。また、細川広世『明治政覧』(原書房、明治18年[1971])の「一朝ニシテ将軍ノ職ヲ辞スルニ至レリ此全ク紀綱ノ弛緩スルノミナラス皇運ノ挽回ト時勢変遷ノ然ラシムル所」(中編「藩治及廃藩」)などの「皇運」は皇室の運勢を指すように見える。当時そのような意味が新しく生じていたため、「天壌無窮ノ皇運」の「皇運」についても誤解が生じたのかも知れない。

 「扶翼」は「助け支える」の意。

 「ヘシ」は「父母ニ孝ニ」まで管到している。

是ノ如キハ独リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顕彰スルニ足ラン

 「これらを行えば結果として天皇への忠になる」と説くが、「忠になるためにこれらを行え」とは説いていない。

斯ノ道ハ実ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所

 「子孫」は「皇祖皇宗の子孫である天皇や皇族」の意。殊に明治天皇自身を指す。

之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス

 対句。「之」は「斯ノ道」を指す。

 「古今」は昔と今、「中外」は国内外。なお、「中外」を宮廷内外とする説もあるが、それでは余りに狭くて対句の「古今」と釣り合わないため、従い得ない。

 「通シテ」は「一貫して」、「施シテ」は「施行して」の意。ただし、ともに「照らして考えて」ほどの意。

 「謬ラス」「悖ラス」はともに「間違いでない」の意。

 出典は「君子之道本諸身、徴諸庶民、考諸三王而不繆、建諸天地而不悖、質諸鬼神而無疑、百世以俟聖人而不惑」(『礼記』中庸篇)。全体として、「これは現代日本でだけ妥当するものでなく、古今東西どこででも妥当する普遍のものだ」の意。

朕爾臣民ト倶ニ拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ

 「徳ヲ一ニセン」はその徳を純一にすること。出典は『尚書』商書「咸有一徳」篇の「徳惟一動罔不吉、徳二三動罔不凶」。


大意

朕はこのように思う。我が皇祖皇宗は国を広大に始め、恵みを深厚に施した。我が臣民がよく忠でありよく孝であり、億兆の心を一つにして、代々祖先からの美風を成し遂げてきたことは、我が国体の最も美しいところであり、教育の淵源もまた実にここにある。汝たち臣民は父母に孝であり、兄弟に友であり、夫婦は互いに睦まじくし、朋友は互いに信じ、恭倹の精神で自己を保ち、博愛の精神で衆人に及ぼし、学問を修め仕事を習い、そうすることによって智能を啓発し徳器を成就し、世に出て公益を広げ世務を始め、いつでも国憲を重んじ国法に遵い、もし危急があれば義勇の精神で公のために奉仕し、そうすることによって天壌無窮の国運を扶翼すべきだ。このようであれば、ただ朕の忠良な臣民だというだけでなく、また汝たちの祖先の遺風を顕彰することもできるだろう。

この道は実に我が皇祖皇宗の遺訓であり、その子孫も臣民もともに遵守すべきものであり、古今や内外に照らして考えても間違いでないものだ。朕は汝たち臣民とともに拳々服膺して、みなその徳を純一にしたいと希望する。

私見

  • 皇祖皇宗が道徳を作ったとか、「皇祖皇宗ノ遺訓」より前に道徳はなかったとかいうことは説いていない。
  • 日本が他国より優れているとは説いていない。そもそも、日本と他国を比較していない。
  • 父母に孝であれ(「父母ニ孝ニ」)などとは説いているが、天皇に忠であれとは説いていない。これまで汝たち臣民は天皇に忠だったと強調し、今後もそうであることを期待してはいるが、命令してはいない。
  • 「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」は、「たとえどの国においても、国民は危急があれば義勇の精神で公のために奉仕し、そうすることによって自国の国運を扶翼すべきだ」という一般論を前提として、「日本においては天壌無窮の国運を扶翼すべきだ」と説くものだと考えられる。そう解釈しなければ、後の「之ヲ中外ニ施シテ悖ラス」と整合しない。

補記

  • 当初、「徳ヲ一ニセン」については「一徳一心すなわち君臣が心を一つにして協力すること。用例として、漢の桓寛『塩鉄論』世務篇第47に「天下和同、君臣一徳、外内相信、上下輯睦」とある」と書いた。これは、『尚書』の偽古文「咸有一徳」篇が出典にされることはないだろうと臆断したためである。また後に、元田永孚『経筵進講録』(『元田先生進講録』)第13篇「書経咸有一徳」に「君臣一徳、上下一和致しまして」云々とあることを知り、その旨も追記した。
    しかし、渡辺幾治郎『教育勅語の本義と渙発の由来』(福村書店、1940、p.284)によれば、「徳ヲ一ニセン」は三島中洲の進言によるもので「咸有一徳」篇を出典としており、元田も非常に感激したという。また、元田『新年進講録』明治24年進講(元田竹彦・海後宗臣編『元田永孚文書』2、元田文書研究会、1969)には「君臣一徳」とあるものの、その直後に上下一和はない。永田は、君が心を純一にし臣も心を純一にすれば、結果として君臣が親睦し互いに和らぐと考えていたらしく、すなわち君臣一徳を上下一和と同義としていなかったらしい。
    以上の理由により、旧註を撤回した。

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