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2019/03/16

高橋陽一郎先生逝去

Tweet ThisSend to Facebook | by Takebe
確率論、力学系(カオス)理論の高橋陽一郎先生が亡くなりました

先生とは研究分野は違いますが(カオスと可積分系では、普通に考えれば対極)、私は確率論には昔から憧れていて、大学院の頃に高橋先生の確率微分方程式の講義に出た事はあります。一番前に座って、コックリコックリ舟を漕いでいましたが。(^-^;; すみません、確率微分方程式の講義は三回ぐらい(別の先生の講義も含めて)聞きましたが、いつも stopping time とかの概念の辺りで(冗談みたいですが本当に)頭がストップしてしまって…。

その後、少しの間ですが同僚になり、多少なりとも言葉を交わす機会もありましたが、講義で居眠りしていたという話題は出なかったので、私があの不真面目な学生だった、ということはご存知なかったのでしょう。

高橋先生は私にとってはむしろ「ソ連留学の大先輩」でした。この話も先生と直接は話したことはなかったのですが、先生が数学セミナー(いろいろな人が一ページずつ数学との出会いについて語る特集号?)でモスクワ大学での Gelfand セミナーに出た時の思い出を書いておられ、それに強い印象を受けました。

「ロシア語が段々分かるようになってきて、いろいろなセミナーについていけるようになってきていたのに、ある日突然、Gelfand セミナーの話が分からなくなった。言葉の問題というよりも、話の論理が全くつながらない。『一体どうして』と途方に暮れたが、一週間後に同じセミナーで別の人が「先週の物理の人が言おうとしていたのは…」と話し始めて謎が氷解した。初めてオフサイドトラップにはめられた時の気分だった」といった文章で、「物理も勉強しなくては」という話に繋がっていたように記憶しています。

ロシアでの不安感、「段々と分かるようになっていく」感覚、「突然分からなくなる」体験が、自分の経験と重なり、ちょっとこみ上げてくるものがありました。

今になって、先生のモスクワ留学時のお話をもっと聞いておけば良かった、と悔やんでいますが、そう言えば、と思い出して手元に有った数学書房編集部編「この数学者に出会えてよかった」をめくってみたら、高橋先生がご経験を書かれていました。数学的な話もソ連留学の経緯や体験もかなり詳しく書かれています。

冒頭で、シェレメチェボ空港で二人の学生に出迎えられた話がありますが、私はこの出迎えた「学生」の方にお目にかかったことがあります。シカゴの Wiegmann 先生のお宅に招かれた時に、一緒に訪れていた方ですした。「君は日本人か。私は昔、高橋という数学者をシェレメチェボ空港に迎えに行った。高橋を知っているか?」と言われ、「すみません、高橋という名前は日本に多いんですが」と返したら、「高橋陽一郎だ。『高橋』が多いのは知っている。空港(の入国の所?)で "Takahashi" というカードを掲げていたら、『私が高橋だ』という人が来たので、車まで案内して話を始めたら別人と分かった。慌てて取って返して本物の高橋陽一郎を捕まえた」。高橋先生はそんなことご存知なかったんだろうなぁ。(車から追い出された「高橋さん」は大丈夫だったんだろうか?(^^;;)

私が最後に高橋先生にお目にかかったのは、数年前?に駒場の数理科学研究科へ遊びに行った時でした。お目にかかったのは数理ではなく、駒場の線路沿いの商店街からちょっとずれた通りにある中華食堂で。正確には憶えていませんが、休み中で生協食堂が休みだったのだと思います。私が昼食を食べていたら高橋先生が入っていらして、少し離れた所に席を取られました。こちらからご挨拶して、少しお話させて頂いたと思いますが、何を話したかはほとんど憶えていません。食堂を出てお暇する間際に「先生の『オフサイドトラップ』の話を憶えています」と言ったら、「ああ、あれね」とサラッと流された感じ。もう少しゆっくりお話を聞けばよかった。

謹んで哀悼の意を表します。
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