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拙稿の公開と訂正

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2019/05/25

拙稿「私の講義のひとこま―新村出「南山訪書紀行」より―」

| by 慈鎮和尚

 「『広辞苑』という辞典を知っているかな?」、ある講義で学生に尋ねると、ほとんどの諸君は、何をいまさらという顏をしました。あまり読書がお好きでない某君でも、同じ反応を示したくらいですから、『広辞苑』という辞典は、よほど有名なのでしょう。確かに、『広辞苑』の初版が発行されたのは一九五五年、それからおよそ六十余年を経た現在でも、第七版が刊行されています。「国民的辞典」と言っても言い過ぎではありません。

 ところが、「『広辞苑』を最初に編集した人を知っているかな?」という質問をすると、答えられる学生はあまりいません。答えは、新村出。「しんむらいずる」とお読みします。

 この新村先生は、明治時代から昭和の戦後まで、一生をかけて日本語の研究に取り組んだ優れた学者でした。こう書くと、堅苦しい印象を受けますが、先生は難しい論文ばかりではなく、興味あふれるエッセーもいろいろと執筆されました。そのウィットに富んだ文章はとても魅力的で、伸びやかな行文に心が惹かれます。

 そのエッセーのひとつに、「南山訪書紀行」という作品があります(『新村出全集』第一四巻に所収)。これは、一九二九年八月の高野山旅行について書かれたものです。昭和に入った頃の高野山の有様を知る上でも、なかなか興味深い内容が見られます。

 新村先生の学問は、言葉の変化を考えるものですから、古い日本語をしっかりと把握しなければなりません。ですから、古いお寺に伝わった書物を調べることが、先生の研究にとっては欠かせませんでした。先生は、高野山でも、あちこちのお寺や、高野山大学の図書館で古い書物を閲覧して、一生懸命メモしています。ここでは一つ、私が興味深く感じたくだりをお示ししましょう。金剛三昧院を訪ねた際の記事です。

  略して金三(こんさん)とよびならはしてゐるのが耳につく。

 これを目にして、私は虚をつかれた思いでした。いま我々は、金剛三昧院を「こんさん」と、当たり前のように略して呼びますが、言葉に敏感な新村先生がわざわざ記しているのは、実はこの呼び方が、なかなか注目に価するからです。そこで、いつからそう読んだのかを少し調べてみると、江戸時代の学僧懐英が、『高野伽藍院跡考』や『高野春秋編年輯録』に「金三院」と記すのを見つけました。少なくとも、「こんさん」という呼び方は、江戸時代の中頃までは遡れるようです。ただし、いまのところ中世の用例を見出せていません。

 こんなふうに、ちょっとしたエッセーの端々にも、貴重な示唆がつまっているのが、昔の先生の偉いところです。私は遠く及びませんが、少しでもあやかりたい、そう思って日々勉強しています。

【付記】
職場に関係する某誌に寄稿しなければならないので、大急ぎで書いたが、締め切りを間違えて早く書いてしまったようである。掲載される前にここに挙げる。
(ある仕事に疲れはて、うんざりしながら曼荼羅荘に帰った晩に記す)


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