TAGUCHI, Kazuhiro


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2019/06/16

公文書に関する研究報告・2

Tweet ThisSend to Facebook | by jkaz
 決裁文書だけでなく、議案等をどのように書くかを決めているのは、行政組織等の長が定めている「公文例規程」等の訓令であることは、国も地方も同じ。訓令とは、職員に対する命令です。確かに職員の執務の基準であれば、このように書けでよいのでしょうが、作り手の都合だけで決めてよいのかというと、今日ではどうでしょう?
 たとえば、議案は議会が審議するためのもの。しかし、議案にも理由や検討結果などは書かれません。公文例規程がそうなっているからです。議会では議員が一生懸命になって代案を考え、「どうして代案ではなくこの提案か」と質疑をすると、その代案はとっくの昔に検討済みで、これこれというデメリットが大きいので廃案になった、というような答弁が。調べてあるんだったら最初からそれを言え!というところですが、そういうことでは議会での議論は全然深まらないので、議会の側が業を煮やして「議会基本条例」などで条例案等には資料を付けよと言っていることもあります。判断を求めるのに判断材料を示さず、また、採点をするのに、出題は採点を受ける側がする、というのはおかしいことはすぐわかるのでは。議会がわかりやすい資料をと決めても、肝心な議案の文例を決める訓令が議会基本条例などと整合していないから変わり映えのしないところ。条例と、ずっと下位の規範である訓令とが整合していないことは、いいんでしょうかね。かような条例規定を持つ議会は条例が実効性を持つように訓令を改正させるべきです。
 もっとも、公文書が政策過程の検証に役立たない理由の本丸は日本の行政のみならず、社会が持つ文化ではという質問も。律令時代からのことだからその通りなのですが、公文書・情報公開制度といういかにもアメリカ的な制度を取り入れた以上、理由を示さずに「可」だけではない文書実務にと変えていかなければならないのです。
 日本の文書は確定版だけが一連で簿冊に綴り込まれるファイル管理方式ですが、調整過程の文書が皆残るアメリカ式は、キャビネットにどんどん投げ込んでいく仕組み。ある事件に関連する文書がどこにあるか、最終的にどうなったのかは探さないとわからないですし、結果はごみ箱の中から宝物を探すになるものですが、確かに誰が関わってどのように決まったかということは編集と推理を重ねていけばわかる可能性があります。でも、何も残されていなければ、関係者に聞いてみるしなければわかりません。やっぱり、公文書のあり方がどのように決まっているという行政の継続性などのための記録から、情報公開制度によって後代の政策選択の吟味へが加えられているのですから、変わるべきなのだ、と思うのです。
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