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2019/06/21

『金剛般若経集験記』巻上第14条釈神晏のテキスト

Tweet ThisSend to Facebook | by zcz

『金剛般若経集験記』(以下『集験記』と略)上中下三巻は、唐の孟献忠が著した『金剛経』霊験譚集であり、序文によれば、開元六年(718)の完成。中国では早くに失われてしまったが、日本には複数種類の写本が残り、『続蔵経』にも収められている。

日本に残る写本のうち、戦前古典保存会によって石山寺所蔵本と、黒板勝美旧蔵本の複製本が作成されている。石山寺本は、巻上の一部が残る。黒板勝美旧蔵本は巻上の終わりから巻中と巻下が残る。後者は、現在天理図書館で所蔵され、重要文化財にも指定されている。
他、奈良国立博物館で、高山寺旧蔵の抄本が所蔵されている。こちらは、虫損等激しく、判読が難しい個所も多いものの、巻上中下全体が残る。現在Webで画像が公開されている。


戦前に複製本がつくられ、訓点資料としての注目を受けたこともある『集験記』だが、その後はたいして研究されてこなかった。しかし、近年になって、大東文化大学の山口敦史教授らを中心としたグループが、校訂テキスト、注釈を公刊し(「校訂 金剛般若経集験紀(一)~(六)」『大東文化大学紀要 人文科学』51-56,2013-2018年、「金剛般若経集験記注釈(1)」『蓮花寺佛教研究所紀要』12、2019)、中国の邵穎濤西北大学副教授が、校訂テキストと簡単な語注をつけたもの(『唐小説集輯校三種』人民出版社2017年)を公刊している。

筆者も唐代の仏教霊験譚に研究上の関心を持ち、昨年度から、大学院の演習において、本格的に『集験記』を読みはじめた。巻上の第14条、釈神晏を読んだところ、『続蔵経』のテキストと、写本(奈良博本と石山寺本。黒板本はこの個所なし)とで文が大きく違う個所があることを発見した。

釈神晏が、捕まり牢獄に繫がれていた時に、夜なのに明るくなり、拘束していた枷等が外れたという記述に引き続いての箇所である。

続蔵経本では、次のようにある。

瀘州縣丞車詢瞋。獄典□更喚鐵匠木匠。別作枷杻牢。而及至天明。遣典瀘望更主細奴藺(音恡)老等各打三十反。又窄(音責)釘鍱彌壯。神晏憂懼。至心誦經。

※□は欠字。以下同。

読みにくい個所も多いが、大意を取れば、

県丞が事態の発生に憤り、獄卒に金物工や木工を呼び出させて、枷やらを改めて作らせてきつく締めた。夜が明けてから、??(役職名+人物名か?)に、三十回打たせた。そして、何かが(おそらく枷が)しめつけて、板金もさらにしっかりと釘付けた。神晏は憂いおののいたが、心から『金剛般若経』を誦した。

とでもなるだろうか。非常に読みにくい。

しかし、この個所、奈良博本と、石山寺本では、以下のように翻字可能である。点は筆者がつけた。


奈良博本(上記画像データベースA026817左側):瀘州縣丞車詢瞋□□主細奴藺〈音恠〉老等各打卅反。及至天明、遣典瀘□□□(喚?)䥫匠木匠、別作枷杻、牢□□窄〈音責〉釘鍱彌荘、神□□懼、至□(心?)誦經。

石山寺本(複製本〈私物〉より翻刻を行った):瀘州縣丞車詢瞋獄典王細奴、藺老等各打卅反。及至天明、遣典盧望更喚䥫匠木匠、別作枷(傍書挿入「杻」)牢而又窄、釘鍱彌荘。神晏憂懼、至心誦經。


奈良博本は、文字の読み難い個所が多いが、石山寺本とほぼ同じである。内容は、

県丞は、怒って獄卒に打たせた。その後夜が明けてから、金物工や木工を呼んで、枷やらを新たに作らせ、狭くきつくしばりあげ、板金もしっかりと釘付けた。神晏は憂いおののいたが、心から『金剛般若経』を誦した。

と時間の流れと行動が合理的になっているのがわかるだろう。

続蔵経本が参照したテキストは、おそらく行単位での写し間違いがあったのだろう。
この個所は、両本に従って大幅に本文を改める必要がある。

ところが、先述した二つの校訂テキストは共に、この個所について言及していない。邵本は、もともと校勘資料一覧に黒板本の複製本はあげるものの、石山寺本や奈良博本はあげていないため、当該個所を見ていないようである。

山口らの校訂テキストは、石山寺本も奈良博本も参照したと前言部分で明記しているのにもかかわらず、該当条の校勘は画像にあげるもののみである(掲載の(二)は機関リポジトリ未登録なため、筆者撮影の画像を掲げる)。

山口校訂テキスト

実際に演習で丹念にテキストを読み比べていくなかで、山口らの校訂テキストは、校勘記に書くべき情報がかなり抜け落ちているという印象を持っていたが、ここまで重要な情報さえ一切無視していたことで、まったく信用がおけないということが判明した。
山口らの改めて出している注釈((1)は巻上第10話までを収める)は、校訂にあった誤りをかなり訂正はしているので、次はきちんとしたものを出してもらいたい。

ちなみに、筆者が序文から精読をはじめて、ここまで大きな違いがあったのは、この釈神晏条がはじめてである。ざっと一通りは読んでいるものの、まだテキストの丁寧な比較を全篇については行っていないため、この後もこのような大きな違いが含まれているのかどうかは、まだわからない。
ちなみに、釈神晏の前半も、書写の際に何かしらの誤りがあったのではないかと思われるほど文意が取りにくいのだが、こちらは、『続蔵経』本、石山寺本、奈良博本でほぼ同一のテキストであり、訂正をするための根拠は今の所見つかっていない。現時点で言及した他にも抄本が存在するらしいことはわかっているのだが、調査の機会を得ていない。今後の課題としたい。

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