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2019/08/15

中島「17世紀の全般的危機と東アジア」

Tweet ThisSend to Facebook | by yoichi.isahaya
中島楽章「17世紀の全般的危機と東アジア」秋田茂 (編)『グローバル化の世界史』ミネルヴァ書房, 2019年, 121–146.

こちらも環境史に大きくかかわる論文です。この論文の主眼は「17世紀の全般的危機」にあり、特にそれを東アジアの文脈から語るものです。

17世紀はヨーロッパにおいて、1618年のボヘミア反乱に端を発する30年戦争など、内乱や革命が各地で起こった時代でありました。この戦乱の時代は同時に寒冷化と飢饉の時代でもあり、16世紀の好景気と人口増加はこの時代に一気に経済収縮と人口減という反動に晒されることになります。他方、同じく1618年という年は東アジアにおいて女真族を統一したヌルハチが明朝に反旗を翻した年でもありました。10年後には深刻な旱魃と飢饉とが華北を襲い、西北辺境で起こった農民反乱は1644年には北京を制圧、その後の明清交替を決定づけます。ヨーロッパや中国だけではなく、17世紀中葉は世界各地で飢饉や天災が相次ぎ、戦乱や叛乱が頻発した時期でありました。こうした共時的な危機的状況の総称が「17世紀の全般的危機(The General Crisis of the Seventeenth Century)」であるのです。この危機は1950年代には、ヨーロッパ史の文脈で「封建制から資本主義への移行の最後の局面」として提起された概念でした。しかし1970年代以降、アナール派の環境史研究やグローバル・ヒストリーの潮流の中で、ヨーロッパ史の発展段階論の枠組みではなく、むしろ気候変動にともなう生態環境の地球規模での変化を扱うためのものとして扱われるようになっています。この論文はそうした研究を、東アジア史の主要な研究成果と組み合わせることで論点を再検討するものです。

10~11世紀を中心とした数百年間は太陽活動の活発化によりユーラシア大陸の全域で高温傾向が続いた「中世温暖期(Medieval Warm Period)」でした。この温暖な気候の下で特に北半球の中緯度地域では農業生産が高まり人口が増加、都市や交易も発展していきます。しかし東アジアでは11世紀から、ヨーロッパでも13世紀ごろからは気候はしだいに寒冷化へと向かっていくこととなります。そして14世紀以降は全世界で気候が長期的に寒冷化する「小氷期(Little Ice Age)」が500年近くにわたって続くこととなるのです。小氷期における気温低下の最大の要因は太陽活動の周期的な低下にあると言われています。そのなかでも特に太陽活動が低下した時期が14世紀中期の「ウォルフ極小期」、15世紀中葉~16世紀前期の「シュペーラー極小期」、17世紀中葉~18世紀初頭にかけての「マウンダー極小期」でありました。気候の寒冷化は農業生産の低下をもたらし、それに伴い疫病の流行や経済活動の収縮、政治混乱などが誘発されることになります。特に極小期の初期段階では農業生産の急激な悪化に人間社会が対応できないため危機が深刻化することが言われています。

シュペーラー極小期がピークを過ぎた16世紀には、農業生産が増加し、人口も増加していきます。この世紀はいわゆる「大航海時代」でもあり、アメリカ航路が開かれ世界規模の経済が出現し始めた時期でもありました。その原動力となったのが銀の生産と流通の急増です。1530年代から日本銀が中国へと流入し始め、スペイン領アメリカの銀はセヴィーリャ経由でヨーロッパ全域に拡散していきます。特に明朝は中国製品を世界に供給する代わりに銀を体内に流し込む「排水溝」となっていったのです。こうした状況が小氷期のなかでも特に厳しかった17世紀中葉からのマウンダー極小期の到来で急激な変化を迎えることとなりました。その総体が先述の「17世紀の全般的危機」なのです。この「全体的危機」には社会経済的な危機と政治的危機という2つの側面がありました。経済的危機の基底はもちろん極小期の寒冷化に伴う農業生産の低下があります。それが政治的な危機を誘発していくのです。しかし楽章さんが先行研究に拠りながら注意を促すのは❝気候変動の読み解き方❞です。気候変動は世界全体に多大な影響を及ぼしました。しかし同じく寒冷化に晒されても、危機への対応は地域によって異なっています。例えばこの時期のドイツが戦乱と飢饉で荒廃していった一方、隣国のオランダは世界経済の中心としての地位を謳歌していました。明朝が飢饉と天災がもたらす内憂外患で瓦解していく時期に日本列島では経済と人口の規模が拡大傾向に転じているのです。そもそもマウンダー極小期のピーク自体は17世紀末にあるのも関わらず、その時期にむしろ「全般的危機」は収束に向かっているのです。「全体的危機」とは単なる寒冷化の関数ではなく、様々な変数の相互作用として捉えられるべき、楽章さんはそのように主張しています。

東アジアにおける「17世紀の全般的危機」を考えるこの章で、「変数」として特に注目されるのが世界的な銀流通の増減です。16世紀に拡大した銀流通の17世紀における急激な収縮は明朝中国に深刻な打撃を与えました。時を同じくして展開された海外貿易の制限は事態をさらに悪化させ、それはいわゆる「康煕不況」へと繋がっていくのです。論争はあれど、17世紀中葉の東アジアにおける生態的・経済的・政治的危機がグローバルな全般的危機の一環であったことはすでに共通認識となっています。硬直化した財政・軍事機構の弱体化や繰り返される政争により長期的に進んでいた明朝の衰退を、17世紀中葉の寒冷化は決定づける役割を演じました。気候の寒冷化はしかも、中国本土以上に女真の根拠地であった中国の東北部に深刻な影響を及ぼしました。これにともなう食糧不足を打開するため、女真の首長たちは遼東から華北へと侵略を展開していったのです。ただし日本では気候変動そのものの影響はむしろ短期的でした。17世紀を通じてみればこの時期はむしろ日本にとって経済発展と人口増加の時代です。それは農業生産と人口のバランスに依然として余裕があったという条件のもとでの「大開墾の時代」の成果でもありました。中国にはそうした余裕はすでに失われていたのです。


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