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2019/08/16

Preiser-Kapeller & Mitsiou, "The Little Ice Age and Byzantium within the Eastern Mediterranean, ca. 1200-1350 CE"

Tweet ThisSend to Facebook | by yoichi.isahaya
Johannes Preiser-Kapeller & Ekaterini Mitsiou, "The Little Ice Age and Byzantium within the Eastern Mediterranean, ca. 1200-1350 CE: Old Debates and New Scenarios," Martin Bauch & Gerrit J. Schenk (eds.), The Crisis of the 14th Century: "Teleconnections" between Environmental and Societal Change? Berlin: De Gruyter, forthcoming.

「14世紀の危機」についてプロジェクトを回している関係で、11月に立教に来るヨハネスに、北大でも講演してもらうことにしました。この論文は彼が伴侶のエカテリーニとの共著で「14世紀の危機」を扱う編著に寄稿したものです。

ヨハネスもエカテリーニもビザンツ史家であり、この論文は13~14世紀、いわゆるビザンツ帝国の滅亡までの局面について「環境」という因子をどのように考えることができるのか、という考察です。

この論文の中で2人はまず「古い議論」をレビューします。「マルサスの罠」に拘る歴史人口学的な議論や、反対にそもそも中世後期には危機など無かったとする説を通り抜け、議論はキャンベルのThe Great Transitionへ。これは、東アジアからグリーンランドのヴァイキングのコロニーまでを覆う旧世界のすべてが、850~1300年までの「中世温暖期」の終わりに大きな影響を受けたとする議論であり、その主因は天災と「モンゴルの平和」に基づく交易網を伝った黒死病だとされています。この論文は、このような環境史の枠組みをビザンツ史の観点から検討するものです。

2人が「新たなシナリオ」のために用いる古気候学(paleoclimatology)とは主に「社会のアーカイブ」(主に文献資料)と「自然のアーカイブ」(プロキシ)との組み合わせから成ります。こうした歴史学と古気候学との共同研究はプリンストンなど各所で緒に就いているとのことでした。この論文もまたこれら2つのアーカイブを組み合わせて13~14世紀のビザンツ帝国を論じるもので、使用する「自然のアーカイブ」としては、1)先行研究の花粉データ、2)北西トルコの洞穴内生成物からの炭素同位体、3)アルバニアの年輪データ、4)エーゲ海北部の年輪データ、以上の4つが挙げられています。

まずは1180年のマヌエル1世の死から、1261年のコンスタンティノープル奪回までのフェーズです。「中世温暖期」として知られているこの時期はしかし、西ヨーロッパに比べてビザンツ領はそこまで気候の恩恵を受けてはいませんでした。特に1195年から1264年までの時期は、2000年までの千年紀で最も乾燥した時代であったことが知られているのです。ラスカリス朝からパレオロゴス朝への政治転換期にあたる1250年代は火山の噴火やそれに伴う寒冷化など、確かに気候の面からも転換期に当たる時期でした。

その後、1258年から1300年はまさに「中世温暖期」から「小氷期」への転換の時期に当たるわけであり、西アナトリアに関しては確かにこの50年は極めて寒冷な時期であったことがプロキシからも分かります。ただし、同時期に進行したアナトリアにおけるトルコ系君侯国の伸長と寒冷化とを結びつけるにはまだデータが足りないと、慎重な姿勢が示されています。一方でビザンツ領ヨーロッパに関しては、14世紀初頭までこの地域は依然として経済的繁栄と人口増を享受していました。深刻な飢饉で食糧不足に陥っていたマムルーク朝エジプトおよびシリアを援助する余裕すらあったのです。このことは環境因子の地域偏差の大きさを語るものとなっています。

最後の1300年から1360年までのフェーズでは、寒冷化の進行が東地中海の全域に見て取れます。そして、コンスタンティノープルには1347年に最初に襲来するペストも、これらの地域に深刻な打撃をもたらすことになったのです。このように、ビザンツ史をそれぞれのフェーズごと、地域ごとに見ていくと、環境そのものもそうですがそれに対する地域社会の対応や耐久性も実に多様であることが伺えます。13~14世紀のビザンツ領に限っても、環境の名のもとに何かを決定づける議論はできないのです。ただ、少なくとも当時のビザンツの政体は、このように個々の社会を襲った天災なり人災に中央集権的に対応するような構造を有しておらず、結局この種の危機は帝国自体を崩壊へと導いていくことになるのです。


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