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2019/12/05

遊牧民の世界史——モンゴル前夜まで

Tweet ThisSend to Facebook | by yoichi.isahaya
いよいよNHKカルチャー・センターの講義「ユーラシア大陸、深部2000年の旅」、第5講「遊牧民の世界史——モンゴル前夜まで——」からは僕の番です。すでに長縄さんがイントロをされ、村上さんがユーラシア古代史を考古学的見地から日本への影響も含めて論じられているので、僕は今回はモンゴル登場前夜までの草原史を語ることに。とりあえず僕が出演したNHKBSプレミアム「私を不思議に連れてって!史上最大のミステリー チンギス・ハン 幻の墓を探せ!」を見た方!?、と聞いても誰もおらず。。

講義の本体は問い、から始めました。
シルクロードとは何か?
受講者の方々に聞いてみると、「東西を結ぶ交易路」とのお答え。「そうですよね」と相槌を打ちつつ、そのイメージを人口に膾炙させた——まさに此処NHKの!——2本のドキュメンタリー「シルクロード 絲綢之路」(1980~81年)「新・シルクロード」(2005年~)を紹介。そう、まさに此処に映し出される「シルクロード」のイメージはラクダを連れた隊商であり、彼らが骨を休めるオアシス都市なのです。しかし、宇山智彦氏がまとめるように、すでに1960年代から、日本の中央アジア史研究者たちの間には安易な「シルクロード・ブーム」と歴史学者の一部がそれに加担していることへの不満が高まっていました。こうした「シルクロード史観」批判の代表的な成果が、1977年に刊行されたの間野英二氏による『中央アジアの歴史』です。『バーブル・ナーマ』や『ターリーヒ・ラシーディー』といった16世紀に中央アジアで書かれた史書の精読を基に、間野氏はこうした史料には「シルクロード」がイメージさせる東西交通や中国のことはほとんど書かれていないという事実を指摘し、その重要性を過度に強調することを疑問視します。そして、中央アジア史の基本は東西交通よりも、中央アジア南部のオアシス定住民と北部の遊牧民との南北の関係にあると主張したのです。賛否両論を巻き起こした間野氏の議論をもっとも正面から批判したのが護雅夫氏でした。彼は1984年刊行の『草原とオアシスの人々』において、間野氏の史料読解を批判。ある時代の人々にとって日常茶飯事であった事柄が必ず記録されるわけではなく、現地の史料に書かれていないから東西交通が重要でなかったとは言えないと反論します。そうしたうえで、中央アジアは四方八方に開けた土地であり、東西関係と南北関係との複雑な絡み合いを考察すべきと主張したのです。

こうした「シルクロード論争」を見れば、新たな問いが自ずと立ち上がってきます。では、どうやって「東西関係と南北関係との複雑な絡み合い」を考察すれば良いのか?その鍵として今回の講義で挙げたのが、妹尾達彦氏が近著『グローバル・ヒストリー』などでその意義を強調する「北緯40度線」です。この緯度線を中心にユーラシア大陸では、森安孝夫氏が「農牧接壌地帯(agro-pastoral ecotone)」——英語は妹尾氏の語彙から拝借——と表現する遊牧民と農耕民の交わる帯がその東西に広がっています。この遊牧民と農耕民の「接点」こそが、前近代ユーラシア史のダイナミズムを生み出してきたコアなのです。例えば東方ユーラシアの文脈で言えば、この地は、五胡から隋・唐へと続く拓跋国家や五代沙陀王朝や遼・西夏など「征服王朝」揺籃の地。同時に、この北緯40度線は歴史の生まれる場所でもありました。東西ユーラシアにおける歴史の父であるヘロドトスと司馬遷はいずれも、その史書のなかでスキタイとペルシア、匈奴と漢王朝のように、農牧接壌地帯で角逐する二大勢力を描いています。


妹尾達彦「北京の小さな橋——街角のグローバル・ヒストリー」関根康正 (編)『ストリートの人類学』下巻, 2009年, 133頁.

農牧接壌地帯を押さえた遊牧部族は既存の軍事力に加えて交易や農耕からの恩恵も取り込み、強盛となっていきます。「遊牧帝国(Steppe Empires)」の誕生です。ユーラシアの遊牧帝国には核となる要素があると。杉山正明氏はそれを以下の3点にまとめます。
  1. 軍事・政治・社会組織を貫く十進法。
  2. 南面して左・中・右となる左右両翼体制。
  3. 領民・分地を従える王たちから成る連合権力体であり、多元・多種族のハイブリッドな国家。
「シルクロード」を語るには、点と点のオアシスの間をつなぐ隊商のほか、面で生きる遊牧民を見逃すことはできません。その遊牧民たちが単一の政権のもとに統合されることは、オアシス都市にとって安全な商圏の出現を意味していました。遊牧民の軍事権力とオアシス民の経済力、その相互補完的共生こそが「遊牧帝国」の実態なのです。

モンゴル前夜までのユーラシア史は、北緯40度線付近に広がる「農牧接壌地帯」に沿う遊牧民の移動と、その地域における遊牧民と定住民との相互連環に規定される部分が大きかったワケです。こうして本日の問いに立ち戻ることとなります。そう、「シルクロードとは何か?」。答えて曰く。
シルクロードとは『歴史の帯』である。
イマニュエル・ウォーラーステイン氏は自らの世界システムのなかで近代世界を中心と周縁(と半周縁)で表現しました。一方で前近代ユーラシア史は、「シルクロード」たるこの「歴史の帯」の波打ちで表現できる、というのが僕の考えです。モンゴル帝国の意義は——師匠ミハル・ビラン氏の受け売りですが——この「歴史の帯」をより北方にシフトさせ、草原の道を機能させたことにあります。中国は開封から大都/北京へ、西アジアはバグダードからタブリーズへ、ロシア平原はキエフからサライを経てモスクワへ、そして中央アジアはバラサグンからアルマリクへ。いずれも政治商業の中心を従来のものよりも北にシフトさせました。それを可能にしたのが「馬と水」です。環境史については第7講で議論することになります♪

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