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2019/12/11

12月11日は、初代豊竹巴太夫の祥月命日

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12月11日は、太好庵・初代豊竹巴太夫の祥月命日です。1828文政11年没。今に191年に成る。戒名妙声院円誉一道居士。行年六十歳。

通称・茶碗屋助三郎。初代豊竹麓太夫の門弟で、娘婿となったひとです。文化・文政期の紋下太夫。現在の人形浄瑠璃文楽へも様々な影響を残しましたが、浄瑠璃史の中で忘れられていた巨人です。祥月命日に当たり、彼の偉業を偲びたいと思います。

1790寛政2年2月、初代豊竹麓太夫の門弟となったのは22歳のとき。同4月初出座。
『増補浄瑠璃大系図』は初出座の出来事として「楽屋中にも恐れる程の声柄と云」と伝えます。 そのころ寛政後半以後の大坂の人形浄瑠璃劇壇は、3代竹本政太夫、2代竹本内匠太夫、初代麓太夫らを中心として、竹本・豊竹両座の系統が、各々活動する状況でした。

初代巴太夫は、1806文化3年、38歳のとき、大坂の御霊芝居に劇団を構えます。同年3月『絵本・増補/玉藻前曦袂』初演興行で、巴太夫は三段目切「道春館」を語ります。 
翌1807文化4年9月『八陳守護城』初演興行では、初代麓太夫の一座に戻り、四冊目ノ切(毒酒)を語ります。
1809文化6年12月北堀江荒木芝居で、「座本豊竹巴太夫」と名乗ったのは、41歳のとき。
1815文化12年8月京六角堂境内芝居『奥州安達原』興行で、初めて紋下太夫となります(「太夫 竹本弥太夫・豊竹巴太夫」)。巴太夫47歳のとき。巴太夫はこのとき通し・立ての演目の「三段目切」袖萩祭文を語って、名実ともに劇団の代表者たる威厳を示します。
以後の文化・文政期の大坂人形浄瑠璃劇壇は、初代巴太夫、2代竹本土佐太夫(のちの竹本播磨大掾)を両極として、二劇団以上が同時に活動するようになります。

1821-2文政4-5年、初代豊竹巴太夫は53-54歳のときに江戸へ下り、結城座へ出演しました。初代巴太夫はこの時、江戸の浄瑠璃本板元・西村幸助の要請に応えて、同店の「大字遊下本」(「ゆかぼん」と読みます)シリーズに、その上演本文を遺したのです。
「大字遊下本」シリーズが人形浄瑠璃文楽の現行本文の成立時期を辿る上で、貴重な史料であることを、拙稿「江戸板六行本「大字遊下本」の効用―義太夫節・人形浄瑠璃文楽の現行本文の成立時期を辿る手掛かりとして―」にまとめています。

https://www.waseda.jp/inst/wias/assets/uploads/2018/03/RB010_230-171-1-60.pdf

前表紙に「豊竹巴太夫」の名を掲げた、「大字遊下本」につき、以下に列挙します。まずは、上演年月の判明している分から。

〈1821文政4年〉
(1)春「奥州安達原 三段目ノ切」で御目見得、
(2)3月「妹背山婦女庭訓 三の切」、
(3)5月「鎌倉三代記 七ツ目ノ切」、
〈1822文政5年〉
(4)正月「絵本太功記 十段目」、
(5)閏正月「花襷会稽掲布染 四冊目」切、
(6)同「和田合戦女舞鶴 三ノ切」、
(7)3月「義経千本桜 三之切」、
(8)4月「琴責の段」。

以下は(1)~(8)同様に初代巴太夫の署名を掲げることから、文政4-5年江戸結城座上演と推定する分です。
(9)「仮名手本忠臣蔵 大序」、
(10)「仮名手本忠臣蔵 七段目」、
(11)「仮名手本忠臣蔵 山科のだん」、
(12)「太平記忠臣講釈 七ツ目」、
(13)「蘭奢待新田系図 三段目」。


以上のラインナップは、初代巴太夫の得意な曲と考えられますが、各曲の上演史を踏まえてみますと、第一に、師であり岳父である初代麓太夫から継承する曲(三浦別・甕鮓屋・琴責など)がほとんどであって、第二に、初代巴太夫が自身で再演した曲(袖萩祭文・妹背山掛合)があるのだ、と理解できます。また13曲の内、(4)(5)(6)は豊竹座の初演ですが、残りの10曲は竹本座の初演である点は注目すべき点だと考えます。元来音楽様式の異なる竹本座の初演曲に、豊竹姓の太夫(語り手・演奏家)として意識的に再演しているものと考えられます。

初代巴太夫は55歳のとき、1823文政6年8月・大坂御霊境内『仮名手本忠臣蔵』興行で、九段目「山科」切を語ります。当該興行番付に口上を掲げ、竹本姓の太夫が語るのが本来だと述べて、「押て相つとめ候」と断っています。忠臣蔵九段目を語る太夫が、〈一度は断り、別に口上を掲げる〉という慣習は、初代巴太夫のこのときが最初なのでした。

1822文政5年5月初代麓太夫死去。これに伴い、初代巴太夫は豊竹座系統の代表者へと上り詰めます。初代巴太夫の地位上昇を知る逸話は、翌1823文政6年8月13日花沢咲治因講不附合を巡る一件です。同月15日「心斎橋鰻谷角屋敷巴太夫宅」で寄合が行われます。感情のもつれから廃業に追い込まれるかと思われた一件が人形遣吉田三吾の見事な扱いによって、穏当な解決に向かいます。『増補浄瑠璃大系図』は「因講 上に立人々の心得にも成事」と書き残していましたが、現代の人形浄瑠璃文楽の人々および関係者にも、折々に読み返して貰いたい記録です。

話が逸れました。
1827文政10年正月御霊社内『妹背山婦女庭訓』興行で、竹本播磨大掾と番付の「櫓下一条色々もめ合 致方なく 二枚番附と成 一枚上の分は播磨大掾にて 一枚下の巴太夫頭を少し上て書なり 珍らしき事」。夏、病気休演。9月復帰、演目は『奥州安達原』三段目切。播磨大掾退座。
「櫓下 やぐらした」とは、「紋下 もんした」に同じ事。人形浄瑠璃の劇団の代表者は、古浄瑠璃の昔から、中央の系統(大坂・京・江戸に活動の拠点を置いた)では、職分としての「太夫」(語り手)から出たものでした。劇場(芝居の建物)正面に掲げた「櫓」の直下に置く看板、あるいは刊行物である「番付 ばんづけ」(こんにちのポスターやチラシに相当する)の右上隅の「座紋」の下に記すことから、「櫓下」とも「紋下」とも称したのです。たとえば『仮名手本忠臣蔵』初演興行のとき、太夫陣のトップは初代竹本此太夫(のちの豊竹筑前少掾)でしたが、彼は「紋下」ではありませんでした。実力があっても「紋下」にはなれない。「紋下」という地位は、優れて重い格式
のあるものであったことが理解いただけるでしょう。
その紋下の序列を巡って、竹本姓のトップ・竹本播磨大掾と、豊竹姓のトップ・豊竹巴太夫が争いとなった。昔噺のようでもありますが、戦後日本の映画スターたちがセリフの字数の多少を争ったという逸話とも共通する、芸能界の精神性なのだと思います。

1828文政11年は初代巴太夫の最後の年です。
正月『義経千本桜』三段目切、4月『鬼一法眼三略巻』二段目中(「書写山」冒頭。朱入本現存)などを勤め、10月28日初日『日蓮聖人御法海』では、師・初代麓太夫譲りの三段目切「勘作住家」を語りました。しかし興行途中で病気休演。回復せず、12月11日に死去しました。
「嗚呼おしき哉 此人寛政二年に出座して三十九年の間勤め 中古豊竹の座を立て 芝居の興行怠らず 天晴の大功なり 仍て太好庵と号せり」(『増補浄瑠璃大系図』)。前述のように、文化・文政期の豊竹座を代表する偉大な太夫であったものですが、しかし忠臣蔵九段目の口上掲出の初例が彼・初代巴太夫だということは浄瑠璃史からは忘れられていました。

忘れられていた影響の最大のものは、曲風の改編です。元来、西風・竹本座の初演曲でありながら、東風・豊竹座の特徴をも備える、現行の『義経千本桜』三段目切「甕鮓屋」は、岳父初代麓太夫と初代巴太夫の師弟・父子によって、集中して再演され続けたことの影響とみるべきだと筆者は考えます(初演者・豊竹筑前少掾に遡行させて捉えるのは誤りだと考えます)。

忘れられていた影響のもうひとつは、『奥州安達原』三段目切「袖萩祭文」の添削が初代豊竹巴太夫によって行われていたことです。通常竹本座初演曲には用いない、「大落シ」の本文と曲節を書き加え、後半の文章を大幅に書き換えたのは、初代巴太夫でした。2011年12月の国立劇場文楽公演の上演本文は、巴太夫添削本文を基本としながら、惜しい哉、大落シを半分削っていました。太好庵巴太夫様も「草葉の影でも嘸や歎。」。
 なお「袖萩祭文」現行曲が初代巴太夫の添削に基づくことは、平成期の発見です。拙著『浄瑠璃本史研究』第四部第一章「『奥州安達原』第三ノ切「袖萩祭文の段」」に考証の詳細を記しております。

袖萩祭文。わたくしが文楽を聞き始めたのは昭和最後の年からですが、2011年8月29日女流義太夫演奏会8月公演での竹本駒之助師・鶴澤津賀寿師の演奏(ただし後半のみ)を、こんにちに至るまで、最も感銘深く拝聴しました。「太鼓の音の喧し。」は聴く此方までが包囲されたような大迫力でした(文楽と違って鳴物も無いのにですよ!)。
通し本「〈舅が最期に魂を〉ひるがへしたる梅花の赤旗〈我家の旗諸共に〉奥州に押立〳〵。」の、〈〉部分を初代巴太夫は省略しました。 文楽現行の人形演出では(通し本を参照しないためでしょう)、舅の血に染まった「梅花の赤旗」を放り投げますが、駒之助師の貞任は高く掲げて手放さない、という印象でした。名演だったと今でも思います。
現在の文楽「袖萩祭文」の一段は、上演台本の上でも、人形演出の上でも、多くの問題を抱えています。その原因のひとつは上演史(現行曲の伝承過程)への無理解があると考えます。ふたつには作品・劇の読み込みが不足するために生じる、解釈の行き届かなさ。そして最大の理由は、問題を調整する意志をその立場にある劇場の制作担当者、そして文楽の劇団が持っていないことであるように考えます。


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