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2019/12/12

「国際化」・「語学重視」だけでは比較優位の維持は難しい(教育・研究への私見)

Tweet ThisSend to Facebook | by EI

最近は各大学・各中高一貫校等も「国際化」とそれに伴う語学教育の整備に躍起なようです。しかし、それはどこの大学・中高でも行っていることですから、それだけでは比較優位を維持することはできないと思います。(10数年くらい前なら少しは効力があったことでも、現在は、時代は常に変化しています。)


今後はそれぞれの大学・各中高一貫校の持ち味・独自性と一層の多様化が求められると思います。このことに早めに気付いている中高一貫教育校は成功し、単に表面的な「進学実績」のようなものや進学塾等への広報戦略にのみ力を入れている学校は別の道を辿っていることが視ていて分かります。


そもそも国際化や語学教育を学校・大学のイメージ・アップ、入試時の偏差値アップのために考えているとしたら、それは外発的な動機です。教育・研究機関たるものは、善の動機を持つべきだと思います。例えば、「多様化」(例えば、私の2つの留学先は英国の中でも際立って多国籍・多文化の大学・コレッジでした。)を推し進めることが善の動機であると強く信じるからこそ、それを強く押し進めるのならば、それは内発的な動機だと思います。(この点、稲盛和夫先生の多数のご著書はとても勉強になります。)そして、そのような内発的動機に支えられた学校・大学ではキャンパス内にエネルギーが満ち、さらにそのエネルギーが拡大し、大きなうねりを作っていくことになります。ここ10数年で画期的な人気上昇・ステータス上昇を果たした大学・学校はこの路線で成功しているように私には感じられます。(私自身、非常に多くのタイプの教育機関で教えてきましたので、また、かつて所属していた三田教育会を通じて多くの学校を見学しましたので、そのことはよく実感できます。)


成功している学校・大学は多様化・個性化が押し進められ、自由闊達な雰囲気があります。成功している中高一貫校は進学実績そのものを前面に出したり、そのことに価値観を集約したりはしません。大学でも同様であり、多様な価値観(これには研究達成の尺度も含みます)を推進することが要諦であると思います。内容の充実、各教員の専門性と学生の、のびのびとした、自由闊達な雰囲気があってこそ、あくまでも、結果として、大学では偏差値が上がったり、あるいは、中高で言えば「進学実績」が伸びたりするのだと思います。それ自体を目的化しても長期的には上手くいかないように思います。(もちろん、短期的には、入試戦略や広報によって効果が見える場合がありますが、長期的にはそれらはもろいように思われます。)


中高については、教科研究重視の方向に日本全体がもっとシフトする必要があると思います。この点についてもずっと考えてきたことですので、いずれ改めて纏めたいと思っております。


大学については、「国際化」とかそれに関する英語教育とかを声高に提唱しても、教員自身が地道な研究を進めなければ意味はありません。それに付随して、純然たる学術研究業績(特に、論文・研究書)による公正な人事が当然、必要です。(公募について付言すれば、もっと透明性を増し、最低限、応募者数、そして、重要選考基準・それに基づくポイント数のようなもの等を公表する慣例を日本の大学の間で定着させるべきではないでしょうか。)(それから、海外の有名大学のPhDを取得した教員でもその後、研究が何年も停滞してしまったという例は少なくないように思われます。この点が決定的に日本と英語圏で異なることです。海外の有名大学で学位を取得してさえいれば、その後、研究が停滞していても、称賛されるという一部の雰囲気に私はまったく賛成できません。大学の研究はブランド名集めではありません。)勝負所は地道な部分にあると思います。そして、真理探究の研究とそれに裏打ちされた教育こそ、大学内のエネルギーを正の方向に拡大していくものです。

語学と並んで、あるいは、それ以上に、意味論や語用論のような基礎言語学(特に内在主義的言語学、音声学を除く)を人文・社会科学系(できれば全学部)で必修化する必要があると思います。民主主義社会がきちんと機能するためには、各個人が、言語とそれに基づく(あるいはそれに関連する)思考をメタ的に理解し、その上で論理的な判断を下す必要があると思います。(以上の点は、拙著『意味論と語用論に基づく最上級英文法理論』でも関連のことを書きました。同書のAmazonのページはこちらです。)また、法や憲法の学術的解釈に意味論・語用論での基礎訓練は役立つ(可能性がある)と私は思います。


私が学生の頃に比べると一般論としていずれの大学も学費が値上がりしたと聞きます。この点も国会議員の先生方にも是非、徹底して議論して頂きたいと願っております。


現在、校正中の言語哲学の研究書が刊行された後、いずれ、教育に関する私の見解を纏めたいと思っております。

(以上および以下は、言うまでもなく、私の個人としての立場からの、言論の自由に基づく見解です。)

関連記事として下記もご覧いただけますと幸いです。

◆リベラル・アーツと大学英語(「英語教育」)
https://researchmap.jp/johlmt0bu-1847698/#_1847698

◆「学問の自由」について(キーワード:「教授の自由」, 大学の講義のidentity, 専門科目, 英語科目, 日本国憲法第23条)
https://researchmap.jp/jolq8i095-1847698/#_1847698


◆生成文法と言語哲学の研究書の進捗 / 「大学とは根本的に何か」という問い
https://researchmap.jp/jojuh9dkq-1847698/#_1847698


◆大学英語教育についての私見(キーワード:リベラル・アーツ/教養課程、教科書、多様性、英語教員の専門性、「グローバル化」と教育、「応用言語学」とTESOL)
https://researchmap.jp/joqt1qdo8-1847698/#_1847698


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