研究ブログ

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2018/03/30

Word 2016: 縦書き文書の中の欧文のうち、引用符が90度横に寝てくれない

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しまった、「Office365 ProPlus + Mac OS X High Sierraなら、縦書きの約物も正しい向きに」なんて記事を書いてしまったけれど、あれは早とちりでした。日本語の約物を縦書きにした時の向きはたしかに解決したのだけど、ひとつ大事なものを忘れてました。

問題は、日本語縦書き文書の中に欧文を引用する場合です。半角英数字は正しく右90度寝た状態になるのですが、クォーテーションマークとかアポストロフィーとかが、Word 2016ではどうしても寝てくれない。

ドキッ! 引用符だらけの縦書き欧文、アポストロフィもあるよ
画像はMac OS High Sierra 10.13.3+Word for Mac 16.11.1 (180319)の場合。

これはどうやらMac版だけでなく、Windows版でも同じ問題が起こります。そもそもこの1~2年急に、この問題で困っている人を見るようになったので(OSとOfficeそれぞれの詳しいバージョンは不明)、きっと最新版のWordに何か不具合があるのだろうと思って、わたしはこれまで頑なにOffice 2011を使い続けていたのでした。

ちょっと検索して目についた解決策は、ダブルクォーテーションの代わりにダブルミニュート(ノノカギ)を使えというものと、くさび形のストレート・クォートを使えというもの。どちらも、アカデミックな文章で欧文を引用する際に使って許される気がしない。ていうか、世間様が許してもわたしがイヤです。

上に貼り付けた画像は「CM上の演出です」ってやつで、実際にここまで欧文の頻出する文書をわざわざ縦書きで組むことは普通ないだろうと思います。が、翻訳論の人間としては、日本語の地の文の中に欧文のソーステクストの言い回しを引用して、その訳が適切か、みたいな話をすることはままあるわけでして。

これはやばい。早急に何とかしないと縦書きで論文が書けなくなるレベル。なんで過去のバージョンで当たり前にできていたことがアップデートでできなくなるのさ。

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2018/03/22

【ネタバレあり】NBAバレエ団『海賊』(久保紘一版)

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NBAバレエ団公演『海賊
2017年3月17日(土)・18日(日)
東京文化会館

芸術監督・演出・振付:久保紘一[「紘」は糸へんに宏]
振付助手:宝満直也
剣術指導:新美智士
作曲:新垣隆
音楽監修・指揮:冨田実里 

17日の上演を観た。世界初演の初日である。

NBAバレエ団が新垣隆の作曲で『海賊』を新制作、と最初に聞いた時は「そこじゃねえよ」と思った。古典の『海賊』の音楽は、深みはないけどガラ・ピースとして聞くぶんには、わたしは別に不満はない。今あの作品の全幕上演がめったに行われないのは、断じて音楽の問題じゃなくて、ストーリーがあってなきがごとしだとか、女性蔑視・異文化蔑視がひどすぎるとか、あと団体によっては男性出演者の数が足りないとか、そっちの理由の方が大きいだろう、と。

それでもいそいそチケット買って見に行ったのだけど、蓋を開けてみたら物語にもきちんと手が入れられてあって、現代の観客が登場人物に感情移入して見られる物語バレエになっていた、と思う。

最初に音楽のことから。新垣隆が新たに作曲、という触れ込みだったけれど、古典の曲も有名どころは残してあって(奴隷のパドドゥ、いわゆる海賊のパドドゥ、オダリスクあたり。振付もおおむね古典を踏襲していたと思う)、それ以外の、芝居の要素の大きい場面を中心に新作、ということだったのだと思う。

観客みんなが楽しみにしている有名曲を残した判断は正解。だって『海賊』見にきていわゆる海賊PDDがなかったら、やっぱテンション下がるよ。そして、新たに作曲された箇所も良かった。場面のムードにきちんと寄り添って、盛り上げるところは血湧き肉躍る曲に、緊迫したところは手に汗握る曲に、ちゃんとなっている(古典の『海賊』はそこがイマイチ)。現代的なスピード感はありつつも、難解なほうのゲンダイ音楽に走ってしまうところはもちろんないし、古典からの引用が変に浮いてしまう感じもなくて、全般に安心して聞けた。さすが、この人は注文書通りに曲が書ける職人なのだなー。

とはいえ、チラシやプログラム冊子のスタッフ一覧に、「作曲」として新垣隆の名前しかないのは、ちょっとまずいと思う。古典から流用した曲の作曲者名も出しておかないと(……と書いてはみたものの、上記の3曲ってそれぞれ誰の作品だっけ? 古典の『海賊』は、ふつう「アダン作曲」と言われるけれど、実際には別の作曲家の曲も相当数挿入されていて、たとえばABTは、アダンを筆頭に5人の名前をクレジットしている)。同様に「振付」のクレジットが久保紘一だけなのもまずくて、普通こういう時は「(プティパ版に基づく)」とか注記しておくものだと思う。

[あとから知ったのたけど、オフィシャルCM映像の中では「作編曲/新垣隆」という記載になっていて、久保紘一のナレーションでも、「新垣隆氏に作曲を依頼して、新たに生み出した曲と、既存の曲の融合を見事に作り上げていただきました」と言っている。そもそもこの映像のBGMも古典の『海賊』の曲。というわけで、全幕を完全に新しく作曲するのでないことは、一応あらかじめ示されてはいたらしい]

さてここからは物語の書き換えについて。設定上の重要な変更は、まず海賊たちが19世紀初頭の、ギリシャ独立を目指す義勇兵という扱いになっているところ。オスマン・トルコ軍とゲリラ戦を繰り広げる一方で、一般市民に迷惑をかけるようなこと(たとえば市場で狼藉をはたらくとか、敵方から奪還した女性たちを今度は自分たちで囲っちゃうとか)はしない。

もうひとつはヒロインたちの運命。通常の『海賊』だと、メドゥーラとギュリナーラはもともと仲良しで、メドゥーラはコンラッドと出会ってすぐに相思相愛になるんだけど、結局女子2人はどちらも、時間差でパシャのハーレムに連れて行かれてしまう。ハーレムではパシャの寵愛を受けてけっこう楽しくやってるように見えて、でもコンラッドたちが助けに来たらやっぱりそっちについて行くという、2人揃って流されるまま! 頭空っぽ! な描かれ方である場合が多い(いや、「置かれた場所で咲く」のは、ほんとは頭空っぽでできることじゃないけどさ)。

これに対し、この久保紘一版では、女性2人がそれぞれ筋の通った描かれ方をしている。メドーラ(峰岸千晶)は幕開きの時点からコンラッド(宮内浩之)と相思相愛の恋人で、ハレムに連れて行かれても徹底してザイードを拒絶する。

でももっと儲け役なのがギュルナーレ(佐藤圭)。彼女は1幕で最初に登場する時点ですでにザイード(宝満直也)の愛妾で、コンラッドに助け出されて初めて恋を知るものの、相手にはすでにメドーラという恋人がいる。そこへオスマン軍の攻撃があって(近づいてくる船影の描写がかっこよかった)、コンラッドは重傷、メドーラはさらわれる(1幕ここまで)。コンラッドはギュルナーレの看病のおかげで息を吹き返したのに、経緯を知るとすぐ、ギュルナーレが止めるのも聞かずにメドーラの奪還に向かう。海賊の一行がザイードらとやりあう場面ののち(物語上はほぼ同時進行ということなのだろうけど)、宮廷の廊下みたいなところでメドーラを見つけたギュルナーレは、嫉妬のあまり彼女を刺そうとするのだけど、メドーラの覚悟に気おされる。そこへ手負いのザイードが逃げて来たので、矛先はザイードに向かう。これが「かっとなって」って感じじゃないんだよ。へたり込んでいる相手の頭の上から、両肘を張って剣を下向きに構えて、きっちり刺しにいく。しかも2回。そこへ登場したコンラッドが一目散にメドーラに駆け寄って抱きしめるのでギュルナーレは絶望し、瀕死のザイードがコンラッドたちに銃を向けるのにいち早く気がつくと、みずからその銃弾に当たりにいって、恋人たちに看取られながら死んでいく。

コンラッドに恋をしてザイードを殺す、というのはバイロンの「原作」に戻した形。ただしバイロン版のコンラッドはその後のギュルナーレへの手の平返しがひどいので、そこを描かずにギュルナーレをヒロイックに死なせておいたのは、たぶん物語の後味を考えたら正解。ギュルナーレがメドーラと直接対峙する場面があるのも、バイロン版より美味しいな。

この2人の正反対の運命は、プロローグの後半で実に分かりやすく、図式的に描かれる。緞帳が開いた後、海辺の邸宅でメドーラとコンラッドが睦み合うところへ急報が入って海賊の一味が出かけていく……という短い場面がまずあって、そのあとしばらく、勇壮な音楽の中で紗幕にオープニング映像が投影される。映像の投影が続く中、紗幕の奥に左右2つ、サス明かりで演技スペースが作られる。上手側ではメドーラがコンラッドとの別れを惜しみ、下手側ではギュルナーレが、突如闖入してきたザイードに恐怖する。男たちはやがてそれぞれのサスから出て行って、少しして反対側のサスの中に現れる。ザイードを見たメドーラは恐怖し、コンラッドに出会ったギュルナーレは一目で恋に落ちる。見ている時点では時系列がよく分からなかったのだけど、後から考えると、サス芝居の前半は、上手側が映像の直前のシーンを繰り返しているのに対して下手側では本編で描かれていない前日譚を見せていて、男たちが入れ替わった後は、作品のこの先の展開を予告するものになっていたわけだ。この辺りの進行はドラマや映画みたいなノリで(映像と音楽はRPGみたいな雰囲気)、普段バレエを見ない人にも分かりやすく、が目指されていたのだと思う。

チラシのメインビジュアルやプログラムの人物相関図には実際のキャストが役柄の扮装をした状態の写真が使われていて、これも初見の舞台を理解する上で大きな手助けになった(主要登場人物がほぼ衣装替えナシだったのも、その点では良かった)。ダブルキャストのどちらの組も、メドーラが屈託のないお姫様タイプなのに対してギュルナーレは見るからに「日陰の女」感があって、衣装もギュルナーレだけヘソ出し仕様になっていたりと、久保版の設定を知った上で見れば非常に納得できるビジュアルだ(まあ正直、幕が開くまでは通常の『海賊』のイメージで見ていたから、「このピンクはギュリナーラなんだろうけどなんでこんな爛れた雰囲気なんだろう……」と思ってたのだけど)。衣装は舞台上で遠目で見ても美しかったけれど、写真で見ると細部の装飾まで凝っている。クローズアップでの撮影を前提に作ってあるらしいところが今時だなあと思う。

海賊側の主要キャストが青系、オスマン軍が(ギュルナーレも含めて)赤系と、色分けされていたのも分かりやすい。ただし、海賊の陣営でもアリ(奥村康祐)以外の部下はほとんど黒だし、船上の仲間たちの中には、バレエ的には「スペイン」「ナポリ」な衣装の男女も混じっていて、この人たちの衣装には赤系も使われていた。たぶん、オスマン軍が統率のとれた軍隊なのに対して海賊側は自由な雰囲気で、かつ出身地もさまざまな混成部隊である、ということを示していたのだろうけど、色分けの分かりやすさは損なわれてしまった。

色彩の話のついでに書いておくと、背景の海の青がどの場面も実に鮮やかで、特に悲劇を経た最終場では、それが救いのように感じられた。

さて、海賊の一味で、オスマン軍に寝返ることになるビルバンド(大森康正)にも、同情に足る物語が付け加えられている。久保版では、オスマン軍が海賊船を制圧した時、ザイードが「コンラッドを殺した者は見逃してやる」と呼びかけて、ビルバンドが応じたという話になっていた。ザイードの冷酷さも増す、ドラマチックな改変だ(このエピソードはバイロン版にはない)。

プログラム冊子によると、ビルバンドはただその場の成り行きでコンラッドを裏切ったのではなく、日頃からコンラッドとは方向性の違いを感じていて、有能なのに評価されない不満も募っていたらしい。ただ、わたしは1幕の時点ではプログラム冊子を読まずに見ていたので、その辺はいまいち伝わってこなかった。日頃から不満があった、というのはそれまでの場面で描かれていたっけ? ザイードが海賊たちに条件を出すマイムもあんまりよく分からなかった。そしてビルバンドは、2幕でザイードのハレムに乗り込んだコンラッドとアリに報復されるのだけど、「これが『ONE PIECE』だったらビルバンドは許されて改心するよな……」とちょっと思ってしまった。

ザイードの描かれ方も一般的な『海賊』の場合とは大きく異なる。たいがいは好色な老人で、太っていたり間抜けだったりするのだけど、久保版のパシャ・ザイードは「オスマン軍高級軍人」で、武勇にすぐれて冷酷な独裁者だ。1幕の奴隷のPDDは、この版では女性群舞を従えてザイードとギュルナーレが踊るのだけど、ちょっと目を離した隙に群舞の女性が1人、ザイードの足元に突き倒されていて、「こいつヤバい……」と思った。

ちなみにこの奴隷のPDD、ギュルナーレはアントレの間はずっとザイードを拒む仕草をしているのだけど、アダージョ以降は普通に笑顔で踊っていて、ちょっと混乱した。2幕でメドーラがザイードと踊るときには徹頭徹尾拒絶しっぱなしだったので、たぶん、女性2人の性格の違いを示そうとしてギュルナーレはああいう芝居にしたのかな、と思う。

奴隷のPDDは、通常の版では奴隷商人が女性の奴隷を競りにかける様子を描いた踊りだから、男性ダンサーが踊りの合間に指で値段交渉をするのがゲスで楽しいのだけど、久保版ではそういう設定じゃないので、その振付はカットされている。その一方で男性バリエーションは、特徴的な振付(跳躍から深ーい5番プリエに降りて、そこからすぐ次の跳躍に移る)がそのまま残されていた。後から考えたら、これは久保版のザイードのキャラクターには合ってなかったと思う。あれはやっぱり、奴隷商人の抜け目のなさやトリッキーさを示した振付でしょう。

ただ、古典の『海賊』でザイードを、間抜けで好色な大金持ちの老人として描くのが、イスラム世界への偏見に基づいていると言うのなら、久保版のザイードの、強くて残酷な独裁者(捕虜に殺し合いをさせたり女性に暴力を振るったり性奴隷にしたりする)という描き方だって、イスラム世界へのまた別の偏見に基づくものと言われる危険はあるだろう。じゃあどうすれば良かったのか、わたしには分からないけど(もう架空の地域と時代に置き換えるしかないのかな、『ONE PIECE』とか『スター・ウォーズ』くらいに)。

この日にザイードを踊った宝満直也は「振付助手」としてクレジットされているのだけど、プログラム冊子の中で久保紘一が語るところによると、ほとんどの振付は宝満によるものであるらしい。新国立劇場バレエ団からシーズン途中でNBAに移籍したのも、「最初から彼には振付をしてもらうつもりで」久保が「猛アタック」したのだとか。新天地での活躍に期待したい、と書いてしまうといかにも決まり文句だけど、心からそう思う。古典全幕の新制作での振付機会なんてそんなにあるものじゃないし、今回のパシャ・ザイードという役柄も、新国での宝満のレパートリーにはちょっとないタイプだったから。

イスラム表象の問題は残るし、もう少し工夫がほしいと思う箇所もあったけど、ともあれ、過去に見たどの『海賊』よりも、わたしとしては物語に納得できたし、楽しかった。登場人物1人1人のドラマをしっかり描きつつ、華やかな舞踊の場面と血湧き肉躍る戦闘シーンもきっちり入れて、それで休憩込み2時間というコンパクトさも素晴らしい。ぜひまた近いうちに、もう少し手を入れた形での再演が見られれば良いと思う。

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2018/03/22

オペラシアターこんにゃく座『天国と地獄』(日本語訳詞上演)

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オペラシアターこんにゃく座『天国と地獄
俳優座劇場
2018年 2月8日(木)~18日(日)

台詞・訳詩・演出:加藤直

公演も終盤の2月17日(土)のマチネを観た。キャストはB組。

こんにゃく座は『金色夜叉』『吾輩は猫である』などの明治文学原作ものを何度か見たことがあるけれど、翻訳ものはわたしは初めて。創作作品では日本語のイントネーションに即した自然な節付けを特徴とする団体だから、曲が先にある状態でどういう日本語歌詞を付けてくるのか、すごく興味があった。

始まってしばらくは、「わたしの知ってるいつものこんにゃく座と違う……」と戸惑いながら見ていた。字余り気味の歌詞を、原曲の音符を分割して割り付けていて、その結果、旋律に合わせて無理やり歌っている感の否めない箇所が少なくなかった。普段のこの団体の上演水準に比べたら、歌詞の聞き取りにくい箇所も多いように思った。要するに「よくある日本語翻訳オペレッタ」だな、と。

それでも出演者の達者な演技と、手作り感溢れるユーモラスな演出につりこまれて見ているうちに、だんだん、加藤直によるこの訳詞のこだわりのポイントが分かってきた。どうやらこの訳詞は、リズムを犠牲にしてもイントネーションは守る、という方針で書かれていたらしい。もちろん、すでにあるオッフェンバックのメロディーに、日本語の高低アクセントを完全に沿わせるなんてことは無理なのだけど、少なくとも、ことばの意味が変わってしまうレベルでイントネーションを逆にすることは、徹底して避けられていたと思う。

自分でも何を言ってるのかよく分からないから具体例で説明すると(1度聞いただけのものを時間が経ってから譜起こししているので、あんまり信用しないでほしい)、1幕1場で死にゆくユリディスが歌う、このフレーズ。

ユリディスの死

譜例出典:Jacques Offenbach, Orpheus in der Unterwelt (Orphée aux Enfers). Berlin/Wiesbaden: Bote & Bock, n.d. (after 1949), S.23. [IMSLP]

たしか「死が私を」という歌詞が付いてたと思うのだけど(「私を」はあんまり自信がない)、何も考えずに音符に当てはめた場合、普通こうなる。

安直な譜割りの例

だけどこれじゃ、イントネーション的にはむしろ「詩が私を」だ。

こんにゃく座の上演は、旋律を書き換えて、たぶんこうしていた。

こんにゃく座の譜割り

「死が」のイントネーションと矛盾のない旋律形になっている。なるほどこういう訳詞のアプローチもあるのだなと納得した。

演出はあえて学芸会ぽさを残した風で、雷鳴はその場面に出ていない出演者が袖から飛び出してきて金属板を鳴らしたり、羊飼いアリステ(高野うるお[高ははしご高]がキモ可愛く怪演)が地獄の王プルートの本性を現すところでは装置の陰で早着替えしているところをわざと見せたりする。しかもそれら全部を、いかにも「一生懸命やってます!」って調子でやるんだ。日本人の身体で金髪カツラをかぶってオリンポスの神々を演じる時点で、どうしても作り物っぽくなってしまうのだから、このアプローチはアリだと思った。装置として舞台中央に額縁を置いてある(1幕のみ。幕間にこれを斜めに倒して2幕の装置にする)のも、「これはお芝居です!」感を高めていたと思う。

『天国と地獄』という演目は、ジュピターとプルートの両方のキャラが立っていないと(どちらかが勝ってしまうと)つまらない、と勝手に思っているのだけど、ジュピターに大石哲史、プルートに高野うるお、というのはその点で間違いのない布陣だ。けれどせっかくA組B組の2パターンのキャストを組んであるのに、この辺の重要な役柄が軒並みシングルキャスト(それで11日間休演なしの連日上演)というのは、正直大丈夫なのかと思わないでもない。

普通ならソロのない、その他大勢(ごめん)の女神たち4人に、活躍の場がふんだんに用意されていたのも嬉しい。2幕のカンカンはこの4人が「真面目な優等生が精一杯ハメを外してみました」って感じのヘタウマさ加減で踊り狂う。何ともダサ可愛い振付にニヤニヤしちゃったのだけど、クレジットを見たら山田うんの仕事だったのか! 

概念を擬人化した役柄であるLOpinion Publiqueは通常は女性が歌うけれど、男性の場合もあると聞く。この版では「世論(セロン)」と「与論(ヨロン)」という男女の2人組にしてあって、この辺りもいかにも、日本語にこだわってきたこの団体らしい遊びだと思った。

そんなこんなで、冒頭しばらくはやや違和感を覚えるところもあったのだけど、気がついたら「わたしの知ってるいつものこんにゃく座」の術中に完全にはめられてしまっていた。楽しかった。

オフィシャル動画がたくさん。






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2018/02/09

Office365 ProPlus + Mac OS X High Sierraなら、縦書きの約物も正しい向きに

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ひとつ前の記事の続報です。

東京大学の全学包括のライセンス契約で、学生と「雇用されている教職員」(※)は申請すれば個人所有PCで「Office365 Proplus」を利用できるということだったので、これをインストールしました(※ここで「雇用されている教職員」という言い方をしているのはたぶん、東大では非常勤講師とは雇用契約をしていない、という扱いだからだと思います……)。

Q. Office365 ProPlus とはどのような製品ですか?
A. 通常販売されている Office 2016 のクラウド版です。インストールが必要な製品であり機能的な差はありません。一般的に教育機関が無償で使うことができる Office Online とは異なります。

HOME > サービス案内 > UTokyo Microsoft License[東京大学]

で、前回と同じファイルをWordで開いた結果がこちら。

HighSierra + Office 365 ProPlus

Wordはバージョン16.9.1 (180125) 、OSはHigh Sierra 10.13.3です。約物がちゃんと縦書きの向きになりました。

よく見ると本文1行目のルビが画面の表示上は右半分欠けてるんですけど、これは表示上のことで、印刷の結果はちゃんとしてます。これは以前のバージョンのWordでも(もしかしたらMac版だけかもしれないけど)見られた現象です。

細かいこと言い出したら、ハイフンや波ダッシュがセンターラインよりやや左に寄ってますが、これはフォントを変えれば小マシになることを期待(今回のファイルの本文はMS明朝、強調箇所がMSゴシック)。

とりあえず、「博論のファイルを二度と縦書きでは印刷できなくなる」レベルの大惨事は回避されたようです。

ちなみに上記の作業中に一番慌てたのが、インストールを完了後、Wordを最初に立ち上げた時でした。Mac OS標準のキーチェーンのパスワード入力を求められて、パスワードを入力してリターンキーを押してもまたすぐ同じメッセージウィンドウが表示される、というループに陥りました。テンパって別の(UTokyo Accountとかの)パスワードを入力してみたり再起動してみたりしたんですが、何のことはない、メッセージウィンドウの左下に表示されている「常に許可」をクリックすれば良かっただけ。これはPowerPointでもExcelでも、インストール後初めての起動の時は一度は通らなきゃいけない道のようです。

あと、上記の東大のページにはOfficeの利用申請後、日中なら「3時間後」に利用できるようになると書いてあるのですが、きっかり3時間後にインストールボタンを押しても「インストールは管理者によって無効にされています」みたいなメッセージが出ました。利用申請マニュアルには「12時間以上経過してもライセンスが付与されない場合」は連絡せよ、と書いてあり、翌朝まで待ったらインストールボタンから「Office 2016」がダウンロードできるようになりました(えっと、実体がOffice 2016と同じものなのは理解したんだけど、名称としてもOffice 2016ってことでいいの? そこが結局よく分からないんですけど)。

[2018/3/30 さらに続報を書きました。日本語の約物は良いけれども、欧文の記号が、という話です]
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2018/02/07

Mac OS X High Sierraへのアップデートで、Word for Mac 2011の縦書き文書の約物が崩壊

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やばいどうしよう、自宅のMacのOSを遅ればせながらHigh Sierraにアップデートしたのが数か月前のこと。それ以来たぶん初めて、昨年書いた博論のWordファイルを印刷レイアウトで表示する機会があったのだけど、

Word 2011の縦書き文書をHigh Sierraで表示すると
約物まわりのレイアウトが総崩れしとる。

普段は下書き表示にしてたからまったく気づいてなかった……。OSのバージョンはOS X High Sierra 10.13.3、Office for Macが2011 Version 14.7.7 (170905) です。

そういえば、長年のMacユーザの勘がはたらいたのか、博論執筆が佳境に入ってからは、OSもOfficeもメジャーアップデートを頑なに避けて、Yosemite+Office for Mac 2011という環境を死守していたのです。無事提出してからも、保存版を作るとか、公刊を目指すとか、まだまだこれらのファイルを使う機会はあるので、アップデートは引き続き先延ばしにしていました。OSは古いものを使い続けている自覚があったけど、Officeのほうは2016が出ていたことすら忘れていて、2011のサポートが昨年秋に終了して初めて慌てだした体たらく。

で、とりあえずOSだけ最新版にアップデートして、日常の使用には特に違和感を覚えない程度に慣れ始めたところで、ふと気がついたらこのザマです。ああ、High SierraではOffice for Mac 2011は正式にはサポートされてなかったんですね。

Microsoftコミュニティで「あなたはわたしですか?」みたいな質問を発見。

質問 縦書きファイルを数年ぶりに開いたら括弧や句読点だけが横書きに変わっていた

幸い、以前使っていたMacで、OSがYosemiteのままのものがもう1台あったので、博論に関してはこれを使ってPDFに変換して保存、ということになるでしょうか。

今後新しく縦書き文書を作る場合にどうするか、については、まあ早急にOfficeを最新版にアップデートすべきなんでしょう。ただ、Office 365は大学の端末で時々使う機会があるのだけど、やっぱり縦書き文書の約物の挙動がおかしい時がある印象です。バクチ覚悟で買い切り型の2016を買うことになるのかな。

進展があればまた報告します[2018/2/9付で続報を書きました]。

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