研究ブログ

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2018/10/02

富士通ScanSnap SV600礼讃(2): 分厚い製本雑誌も、付属ソフトの補正で何とかなる

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(1)はこちら

SV600を使い始めて間もなく、図書館で合冊で製本した結果、約7.5cmという厚みになってしまった大正期の雑誌から、記事のコピーを取る必要が生じました。図書館ではコピー自体はOKという判断だったのですが、普通にフラットベッドでコピーを取るとノドに近い1行が写りません。館外貸出OKだったので、持って帰ってSV600にかけてみることにしました。

どーん! 
分厚い製本雑誌
撮影した資料は、『文藝倶楽部』第19巻第8号(1913年6月)から、著作権的に問題のなさそうな、後藤宙外(1938年没)の「褪紅」本文の1ページ目です。

ただ撮影するだけで、何も補正しない状態だと、こんな感じ。
分厚い資料をただスキャンすると
(1)の場合と同様、上の画像はウェブ掲載用にPDFからjpgに変換してリサイズしたものです。加工前の生のデータはこちら(181002scansnap2_2.pdf)からご確認ください。

読み込み後、最初に立ち上がる付属ソフトの画面がこちら。
読み込み後、最初の画面
諸般の事情で、ひとつ上の画像とは別に再度スキャンした結果を使っていますが、誌面が大きく歪んだ状態で撮影されていることに変わりはありません。厚みのないピース譜の場合、この時点のプレビュー画面ですでに、実用に耐えるレベルの画像が表示されているのですが、今回の資料だと、歪んだ読み取り結果から、単に最低限余白を切り取っただけ、のように見えます。「読み取り終了」で、補正画面に入ります。

まず、1枚ものの「平らな原稿」ではなく「見開き原稿」であることを指定してやった上で、さらに「イメージを確認/修正する」を選択して……
2つ目のウィンドウ

立ち上がったソフトの初期状態の画面がこちら。ノドの位置以外は自力では判断できなかったもよう。
補正ソフトの最初の状態

ページの端の6点すべてを手動で指定してやると、ページの輪郭は正しく認識されました。
ページの端を手動で決める

ここから「補正実行」を押して、出力された画像はこんな感じ。
補正結果!
実際のPDFファイルはこちらから(181002scansnap2_7.pdf)。今回も200dpiの「ファイン」モードです。

右ページは光源に近いせいか、白飛びしたみたいになってますし、ノドのあたりは文字が横方向につぶれ気味です。それでも、未補正の状態に比べたらノドの1行も格段に読みやすくなりました。判読できない文字はない。これ重要。挿絵や組版を審美的に云々する場面ではなく、単にテクストの内容が分かれば良い場合なら、わたしはこれで充分許容します。

より読み取り精度を上げたい人のためには、サードパーティ製で原稿を上から押さえるアクリル板が販売されています。それから、厚い資料の場合はスキャナを嵩上げして、カメラから資料までの距離を確保すると良い、というユーザレビューも読みました。わたし個人は必要性を感じないのでどちらも試していません。

というわけで、総じて非常に満足しているのですが、導入からしばらく、厚みの違うさまざまな資料をスキャンして、アプリの挙動をある程度予想できるようになるまでは、アプリの操作性にややイラッとくる場面もありました。とりわけ、読み取った画像のプレビュー、補正、ファイルに名前をつけて階層を指定して保存、の各段階で、その都度いちいち違うアプリが立ち上がる別なウィンドウが開く[2018/10/5 認識の誤りを修正]のは、やっぱりどうしても好きじゃないです。

スキャナのヘッドが動いている最中からゴミ箱行きが確定しているような画像ってあるじゃないですか。電源入れるだけのつもりが空の原稿台のスキャンを始めちゃったとか、スキャンボタンを押した瞬間にページが浮いちゃったとか……。そういう場合でも作業を途中で中断できず(方法はあるんだろうけど、ウィンドウ上に一目でそれと分かるようなボタンはない)、プレビュー〜補正〜リネームして保存、の各アプリツールをいちいち渡してやらないとファイルを捨てることさえままならないのは、特にキツいです。ウィンドウが開くのを待っている間、己の無能をしみじみ噛みしめることになります。

それから、わたしはMac OS X High Sierra (10.13.6)で使用しているのですが、これらのアプリが立ち上がっているときはMission Control周りの挙動がおかしくなって、別のアプリを最前面に持ってこられないようです(だから、この記事のためにスクリーンショットを撮るのは地味に手間取りました)。

とはいえ、それらが全部些細なことに思えるくらい、スキャナ本体の機能と補正の精度には満足しています。これならもっと早くに買っておくべきだった……となるのですが、今の仕事に就くまでは個人研究室なんて贅沢なものは持てなかったので、こんなの買っても置き場所ないし、と思っていたのです。いや、今ならこの機種が、自分のニーズを充分に満たしてくれるものだと分かったので、ちょっと無理してでも場所を作って常設しよう、という気にもなるのですが、可能性が未知数の段階ではなかなか手が出せませんでした。



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2018/10/01

富士通ScanSnap SV600礼讃(1): A3ノビサイズの原稿も読み込める

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富士通のオーバーヘッドスキャナ「ScanSnap SV600」を導入したら、研究生活が一変するレベルで便利だったので、見せびらかすだけのレビューを書きます。念のため断っておきますが、メーカーから金品の授受は受けておらず、身内に関係者もおりません。むしろ新機種の出そうなこのタイミングで、2013年発売のこのモデルを絶賛するとか、周回遅れにもほどがある。

購入の直接の動機は、「セノオ楽譜をスキャンしたい!」です。わたしは研究資料として、明治〜昭和戦前期の歌曲のピース譜を集めているのですが、これらの多くは見開きにするとA3サイズよりも一回り大きくなります。ということは、一般的な複合機でスキャンすると端が欠けます。もちろん、片面ずつスキャンすれば良いわけですが、そうすると、かかる時間は単純計算でも倍。実際には「原稿サイズを検知できません」みたいなエラーが出たり、偶数ページと奇数ページで手の向きを逆にしないといけなかったりで、体感だと3倍以上の時間がかかります。

見開きでA3サイズを超えるのは、現代の楽譜でも割とよくあることですが、その現代の楽譜に関しては、SV600で問題なく読めた、というレビューを発見。これが直接の決め手となって、この機種の購入を決めました。

とはいえAmazon等のレビューだと、画質への不満もちらほら書かれているので、そこが迷いどころではありました。でも、印刷物に引用するような機会があれば、改めてそのページだけフラットベッドでスキャンすれば良いのだから、自分が出先で資料を確認する用途に割り切って、大量の資料をとにかく手軽にスキャンできることを優先しました(……だったら、普通のフラットベッドスキャナでA3サイズの範囲内だけスキャンして、普段使いのデータには端が欠けてても割り切る、って考え方もあるのかもしれないけれど、下手したらページ番号が欠けちゃうかもしれないので、そこはやっぱ譲れません)。

で、どうなったか。実際の作業の様子をご覧ください。
ピース譜読み取り中
原稿台のマットに置いた資料は、北村季晴(1931年没)作歌作曲、『露営の夢』(1904年、弘楽社)の楽譜の1ページ目。先ほどシネクドキとして「セノオ楽譜」の語を持ち出したわけですが、ここで使用するサンプル画像がセノオ楽譜でないのは、主に著作権処理の問題です。

原稿サイズは約305mm×455m。原稿台の外側から2番目の印がA3(297×420mm)の横幅で、それより左右ほぼ約2cmずつはみ出しています。SV600のカタログ上の最大読取範囲はA3より少しだけ大きくて、それでも300×432mmなので、それを若干超過していることになりますが……。

読み取ってみると、資料の全体像が余裕で収まって、さらにこのくらいの余白(余黒?)が。
読み取り可能範囲
上に掲げた画像はウェブ掲載用にPDFからjpgに変換して大幅にリサイズしています[注:最初からjpgで保存することもできます]。読み取り結果のサンプルファイルはこの記事の後半に上げます。

ピース譜は厚みがないので、上からの撮影でもほとんど歪みが出ません。こうした原稿の場合は、読み取るとすぐに付属のソフトが自動で余白を切ってプレビュー画像を見せてくれます。そのまま保存してもそんなに問題はないのですが、一応「イメージを確認/修正する」を選択してみましょう。

そうして立ち上がる、画像補正用の別アプリの画面がこちら。
画像補正用画面
ビューアが立ち上がった時点ですでに各ページの端の6点が自動でマークされていて、切り取り位置を仮に決めてくれています。左ページ下辺のわずかな浮きが、正しくトレースされていることに注目。この場合は不要そうだけど、点の位置が気に食わなければ、ドラッグで修正も可能です。

この画面でもうひとつ嬉しいのが、上部のツールバーにある「出力形式」というボタン。見開きの状態でスキャンした原稿を、片面ずつ1ページとして保存ができて、しかも、左開きなのか右開きなのかを保存の段階で指定できるんです。わたし今年に入ってから、PDFビューワにするつもりで「Kindle Paperwhite」を買ったのですが、『国デコ』からダウンロードしてきたPDFは基本横長なので、画面が縦長固定のKindleで読むには不向きで、仮想プリンタを導入してページを半分に切ろうとしたものの、右開きの資料だと偶数ページと奇数ページの配列が逆になってしまって……で、結局ほとんど活用できずにいて、割と黒歴史になっているので。

閑話休題、先の補正画面から「補正実行」すると、こんな感じになります。
補正結果

実際に出力されたPDFファイルはこちら(181002scansnap1_4.pdf)。200dpiの「ファイン」モードで読み取ってPDFで保存。普段使いのデータとしてならこれで充分だけど、その気になればカラー600dpi/白黒1,200dpiまで設定可能です。

ここではペラ1枚でファイルにしたけど、PDF出力ができるということは、1冊全ページ丸ごとのデータを1ファイルにまとめて保存が可能です。

ページめくりを自動で検知して、2ページ目以降はボタン押さずとも勝手にスキャンを始めてくれる、という便利機能もあります。そういうプレッシャーのかかった状態で古い資料のページをめくるのは怖いので、普段は使っていません。でも、たまに現代の出版物を読み取る時に使った感じでは、「めくってないのにめくったと判断されちゃった」というエラーは全然なくて(「めくったのに検知されない」はたまにある)、かなり優秀。

もうこの時点でわたしにとっては買った甲斐があったんですが、この機種のすごさはそこでは終わらなかった。(2)に続く。

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2018/07/27

博士論文が本になりました

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2017年4月に東京大学より学位授与された博士論文「叙景、叙事、叙情の歌――オペラの受容と日本語音楽劇の近代」に基づく単著がこのほど刊行されます。

日本語オペラの誕生──鷗外・逍遙から浅草オペラまで
大西 由紀
森話社(2018/07/31)
値段:¥ 5,184


出版にあたっては、平成29年度東京大学学術成果刊行助成の支援を受けました。

表紙に使ったのは、宝塚少女歌劇の第1回公演(大正3年)より、『ドンブラコ』の桃太郎誕生の場面の写真です。古き佳き思い出として語られがちなこれらの舞台作品の、若く無謀な芸術運動としての側面を強調したかったので、セピア色を封印して、ポップなほう、キッチュなほうに振っていただきました。横長の写真を縦に使うデザインを最初に提示されたときはかなり驚いたのですが、この本は「横のものを縦にする」事例を扱っているわけだから、ある意味この置き方が正解なんだと思います。

ここに至るまでには多くの方々にサポートをいただきました。機会をくださった方、有益な情報や示唆に富む見解を示してくださった方、物心両面で支えてくださった方、上演に取り組んでいる方。皆さまにお礼を申しあげます。それから、わたしを育ててくれた劇場にも。(書きながら赤面してますが、今日くらいはこんな、キザな割にベタなこと書いてもいいよね?)

[2018/7/29追記]
森話社のサイトにも情報が載りました。目次データあり。

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2018/03/30

Word 2016: 縦書き文書の中の欧文のうち、引用符が90度横に寝てくれない

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しまった、「Office365 ProPlus + Mac OS X High Sierraなら、縦書きの約物も正しい向きに」なんて記事を書いてしまったけれど、あれは早とちりでした。日本語の約物を縦書きにした時の向きはたしかに解決したのだけど、ひとつ大事なものを忘れてました。

問題は、日本語縦書き文書の中に欧文を引用する場合です。半角英数字は正しく右90度寝た状態になるのですが、クォーテーションマークとかアポストロフィーとかが、Word 2016ではどうしても寝てくれない。

ドキッ! 引用符だらけの縦書き欧文、アポストロフィもあるよ
画像はMac OS High Sierra 10.13.3+Word for Mac 16.11.1 (180319)の場合。

これはどうやらMac版だけでなく、Windows版でも同じ問題が起こります。そもそもこの1~2年急に、この問題で困っている人を見るようになったので(OSとOfficeそれぞれの詳しいバージョンは不明)、きっと最新版のWordに何か不具合があるのだろうと思って、わたしはこれまで頑なにOffice 2011を使い続けていたのでした。

ちょっと検索して目についた解決策は、ダブルクォーテーションの代わりにダブルミニュート(ノノカギ)を使えというものと、くさび形のストレート・クォートを使えというもの。どちらも、アカデミックな文章で欧文を引用する際に使って許される気がしない。ていうか、世間様が許してもわたしがイヤです。

上に貼り付けた画像は「CM上の演出です」ってやつで、実際にここまで欧文の頻出する文書をわざわざ縦書きで組むことは普通ないだろうと思います。が、翻訳論の人間としては、日本語の地の文の中に欧文のソーステクストの言い回しを引用して、その訳が適切か、みたいな話をすることはままあるわけでして。

これはやばい。早急に何とかしないと縦書きで論文が書けなくなるレベル。なんで過去のバージョンで当たり前にできていたことがアップデートでできなくなるのさ。

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2018/03/22

【ネタバレあり】NBAバレエ団『海賊』(久保紘一版)

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NBAバレエ団公演『海賊
2017年3月17日(土)・18日(日)
東京文化会館

芸術監督・演出・振付:久保紘一[「紘」は糸へんに宏]
振付助手:宝満直也
剣術指導:新美智士
作曲:新垣隆
音楽監修・指揮:冨田実里 

17日の上演を観た。世界初演の初日である。

NBAバレエ団が新垣隆の作曲で『海賊』を新制作、と最初に聞いた時は「そこじゃねえよ」と思った。古典の『海賊』の音楽は、深みはないけどガラ・ピースとして聞くぶんには、わたしは別に不満はない。今あの作品の全幕上演がめったに行われないのは、断じて音楽の問題じゃなくて、ストーリーがあってなきがごとしだとか、女性蔑視・異文化蔑視がひどすぎるとか、あと団体によっては男性出演者の数が足りないとか、そっちの理由の方が大きいだろう、と。

それでもいそいそチケット買って見に行ったのだけど、蓋を開けてみたら物語にもきちんと手が入れられてあって、現代の観客が登場人物に感情移入して見られる物語バレエになっていた、と思う。

最初に音楽のことから。新垣隆が新たに作曲、という触れ込みだったけれど、古典の曲も有名どころは残してあって(奴隷のパドドゥ、いわゆる海賊のパドドゥ、オダリスクあたり。振付もおおむね古典を踏襲していたと思う)、それ以外の、芝居の要素の大きい場面を中心に新作、ということだったのだと思う。

観客みんなが楽しみにしている有名曲を残した判断は正解。だって『海賊』見にきていわゆる海賊PDDがなかったら、やっぱテンション下がるよ。そして、新たに作曲された箇所も良かった。場面のムードにきちんと寄り添って、盛り上げるところは血湧き肉躍る曲に、緊迫したところは手に汗握る曲に、ちゃんとなっている(古典の『海賊』はそこがイマイチ)。現代的なスピード感はありつつも、難解なほうのゲンダイ音楽に走ってしまうところはもちろんないし、古典からの引用が変に浮いてしまう感じもなくて、全般に安心して聞けた。さすが、この人は注文書通りに曲が書ける職人なのだなー。

とはいえ、チラシやプログラム冊子のスタッフ一覧に、「作曲」として新垣隆の名前しかないのは、ちょっとまずいと思う。古典から流用した曲の作曲者名も出しておかないと(……と書いてはみたものの、上記の3曲ってそれぞれ誰の作品だっけ? 古典の『海賊』は、ふつう「アダン作曲」と言われるけれど、実際には別の作曲家の曲も相当数挿入されていて、たとえばABTは、アダンを筆頭に5人の名前をクレジットしている)。同様に「振付」のクレジットが久保紘一だけなのもまずくて、普通こういう時は「(プティパ版に基づく)」とか注記しておくものだと思う。

[あとから知ったのたけど、オフィシャルCM映像の中では「作編曲/新垣隆」という記載になっていて、久保紘一のナレーションでも、「新垣隆氏に作曲を依頼して、新たに生み出した曲と、既存の曲の融合を見事に作り上げていただきました」と言っている。そもそもこの映像のBGMも古典の『海賊』の曲。というわけで、全幕を完全に新しく作曲するのでないことは、一応あらかじめ示されてはいたらしい]

さてここからは物語の書き換えについて。設定上の重要な変更は、まず海賊たちが19世紀初頭の、ギリシャ独立を目指す義勇兵という扱いになっているところ。オスマン・トルコ軍とゲリラ戦を繰り広げる一方で、一般市民に迷惑をかけるようなこと(たとえば市場で狼藉をはたらくとか、敵方から奪還した女性たちを今度は自分たちで囲っちゃうとか)はしない。

もうひとつはヒロインたちの運命。通常の『海賊』だと、メドゥーラとギュリナーラはもともと仲良しで、メドゥーラはコンラッドと出会ってすぐに相思相愛になるんだけど、結局女子2人はどちらも、時間差でパシャのハーレムに連れて行かれてしまう。ハーレムではパシャの寵愛を受けてけっこう楽しくやってるように見えて、でもコンラッドたちが助けに来たらやっぱりそっちについて行くという、2人揃って流されるまま! 頭空っぽ! な描かれ方である場合が多い(いや、「置かれた場所で咲く」のは、ほんとは頭空っぽでできることじゃないけどさ)。

これに対し、この久保紘一版では、女性2人がそれぞれ筋の通った描かれ方をしている。メドーラ(峰岸千晶)は幕開きの時点からコンラッド(宮内浩之)と相思相愛の恋人で、ハレムに連れて行かれても徹底してザイードを拒絶する。

でももっと儲け役なのがギュルナーレ(佐藤圭)。彼女は1幕で最初に登場する時点ですでにザイード(宝満直也)の愛妾で、コンラッドに助け出されて初めて恋を知るものの、相手にはすでにメドーラという恋人がいる。そこへオスマン軍の攻撃があって(近づいてくる船影の描写がかっこよかった)、コンラッドは重傷、メドーラはさらわれる(1幕ここまで)。コンラッドはギュルナーレの看病のおかげで息を吹き返したのに、経緯を知るとすぐ、ギュルナーレが止めるのも聞かずにメドーラの奪還に向かう。海賊の一行がザイードらとやりあう場面ののち(物語上はほぼ同時進行ということなのだろうけど)、宮廷の廊下みたいなところでメドーラを見つけたギュルナーレは、嫉妬のあまり彼女を刺そうとするのだけど、メドーラの覚悟に気おされる。そこへ手負いのザイードが逃げて来たので、矛先はザイードに向かう。これが「かっとなって」って感じじゃないんだよ。へたり込んでいる相手の頭の上から、両肘を張って剣を下向きに構えて、きっちり刺しにいく。しかも2回。そこへ登場したコンラッドが一目散にメドーラに駆け寄って抱きしめるのでギュルナーレは絶望し、瀕死のザイードがコンラッドたちに銃を向けるのにいち早く気がつくと、みずからその銃弾に当たりにいって、恋人たちに看取られながら死んでいく。

コンラッドに恋をしてザイードを殺す、というのはバイロンの「原作」に戻した形。ただしバイロン版のコンラッドはその後のギュルナーレへの手の平返しがひどいので、そこを描かずにギュルナーレをヒロイックに死なせておいたのは、たぶん物語の後味を考えたら正解。ギュルナーレがメドーラと直接対峙する場面があるのも、バイロン版より美味しいな。

この2人の正反対の運命は、プロローグの後半で実に分かりやすく、図式的に描かれる。緞帳が開いた後、海辺の邸宅でメドーラとコンラッドが睦み合うところへ急報が入って海賊の一味が出かけていく……という短い場面がまずあって、そのあとしばらく、勇壮な音楽の中で紗幕にオープニング映像が投影される。映像の投影が続く中、紗幕の奥に左右2つ、サス明かりで演技スペースが作られる。上手側ではメドーラがコンラッドとの別れを惜しみ、下手側ではギュルナーレが、突如闖入してきたザイードに恐怖する。男たちはやがてそれぞれのサスから出て行って、少しして反対側のサスの中に現れる。ザイードを見たメドーラは恐怖し、コンラッドに出会ったギュルナーレは一目で恋に落ちる。見ている時点では時系列がよく分からなかったのだけど、後から考えると、サス芝居の前半は、上手側が映像の直前のシーンを繰り返しているのに対して下手側では本編で描かれていない前日譚を見せていて、男たちが入れ替わった後は、作品のこの先の展開を予告するものになっていたわけだ。この辺りの進行はドラマや映画みたいなノリで(映像と音楽はRPGみたいな雰囲気)、普段バレエを見ない人にも分かりやすく、が目指されていたのだと思う。

チラシのメインビジュアルやプログラムの人物相関図には実際のキャストが役柄の扮装をした状態の写真が使われていて、これも初見の舞台を理解する上で大きな手助けになった(主要登場人物がほぼ衣装替えナシだったのも、その点では良かった)。ダブルキャストのどちらの組も、メドーラが屈託のないお姫様タイプなのに対してギュルナーレは見るからに「日陰の女」感があって、衣装もギュルナーレだけヘソ出し仕様になっていたりと、久保版の設定を知った上で見れば非常に納得できるビジュアルだ(まあ正直、幕が開くまでは通常の『海賊』のイメージで見ていたから、「このピンクはギュリナーラなんだろうけどなんでこんな爛れた雰囲気なんだろう……」と思ってたのだけど)。衣装は舞台上で遠目で見ても美しかったけれど、写真で見ると細部の装飾まで凝っている。クローズアップでの撮影を前提に作ってあるらしいところが今時だなあと思う。

海賊側の主要キャストが青系、オスマン軍が(ギュルナーレも含めて)赤系と、色分けされていたのも分かりやすい。ただし、海賊の陣営でもアリ(奥村康祐)以外の部下はほとんど黒だし、船上の仲間たちの中には、バレエ的には「スペイン」「ナポリ」な衣装の男女も混じっていて、この人たちの衣装には赤系も使われていた。たぶん、オスマン軍が統率のとれた軍隊なのに対して海賊側は自由な雰囲気で、かつ出身地もさまざまな混成部隊である、ということを示していたのだろうけど、色分けの分かりやすさは損なわれてしまった。

色彩の話のついでに書いておくと、背景の海の青がどの場面も実に鮮やかで、特に悲劇を経た最終場では、それが救いのように感じられた。

さて、海賊の一味で、オスマン軍に寝返ることになるビルバンド(大森康正)にも、同情に足る物語が付け加えられている。久保版では、オスマン軍が海賊船を制圧した時、ザイードが「コンラッドを殺した者は見逃してやる」と呼びかけて、ビルバンドが応じたという話になっていた。ザイードの冷酷さも増す、ドラマチックな改変だ(このエピソードはバイロン版にはない)。

プログラム冊子によると、ビルバンドはただその場の成り行きでコンラッドを裏切ったのではなく、日頃からコンラッドとは方向性の違いを感じていて、有能なのに評価されない不満も募っていたらしい。ただ、わたしは1幕の時点ではプログラム冊子を読まずに見ていたので、その辺はいまいち伝わってこなかった。日頃から不満があった、というのはそれまでの場面で描かれていたっけ? ザイードが海賊たちに条件を出すマイムもあんまりよく分からなかった。そしてビルバンドは、2幕でザイードのハレムに乗り込んだコンラッドとアリに報復されるのだけど、「これが『ONE PIECE』だったらビルバンドは許されて改心するよな……」とちょっと思ってしまった。

ザイードの描かれ方も一般的な『海賊』の場合とは大きく異なる。たいがいは好色な老人で、太っていたり間抜けだったりするのだけど、久保版のパシャ・ザイードは「オスマン軍高級軍人」で、武勇にすぐれて冷酷な独裁者だ。1幕の奴隷のPDDは、この版では女性群舞を従えてザイードとギュルナーレが踊るのだけど、ちょっと目を離した隙に群舞の女性が1人、ザイードの足元に突き倒されていて、「こいつヤバい……」と思った。

ちなみにこの奴隷のPDD、ギュルナーレはアントレの間はずっとザイードを拒む仕草をしているのだけど、アダージョ以降は普通に笑顔で踊っていて、ちょっと混乱した。2幕でメドーラがザイードと踊るときには徹頭徹尾拒絶しっぱなしだったので、たぶん、女性2人の性格の違いを示そうとしてギュルナーレはああいう芝居にしたのかな、と思う。

奴隷のPDDは、通常の版では奴隷商人が女性の奴隷を競りにかける様子を描いた踊りだから、男性ダンサーが踊りの合間に指で値段交渉をするのがゲスで楽しいのだけど、久保版ではそういう設定じゃないので、その振付はカットされている。その一方で男性バリエーションは、特徴的な振付(跳躍から深ーい5番プリエに降りて、そこからすぐ次の跳躍に移る)がそのまま残されていた。後から考えたら、これは久保版のザイードのキャラクターには合ってなかったと思う。あれはやっぱり、奴隷商人の抜け目のなさやトリッキーさを示した振付でしょう。

ただ、古典の『海賊』でザイードを、間抜けで好色な大金持ちの老人として描くのが、イスラム世界への偏見に基づいていると言うのなら、久保版のザイードの、強くて残酷な独裁者(捕虜に殺し合いをさせたり女性に暴力を振るったり性奴隷にしたりする)という描き方だって、イスラム世界へのまた別の偏見に基づくものと言われる危険はあるだろう。じゃあどうすれば良かったのか、わたしには分からないけど(もう架空の地域と時代に置き換えるしかないのかな、『ONE PIECE』とか『スター・ウォーズ』くらいに)。

この日にザイードを踊った宝満直也は「振付助手」としてクレジットされているのだけど、プログラム冊子の中で久保紘一が語るところによると、ほとんどの振付は宝満によるものであるらしい。新国立劇場バレエ団からシーズン途中でNBAに移籍したのも、「最初から彼には振付をしてもらうつもりで」久保が「猛アタック」したのだとか。新天地での活躍に期待したい、と書いてしまうといかにも決まり文句だけど、心からそう思う。古典全幕の新制作での振付機会なんてそんなにあるものじゃないし、今回のパシャ・ザイードという役柄も、新国での宝満のレパートリーにはちょっとないタイプだったから。

イスラム表象の問題は残るし、もう少し工夫がほしいと思う箇所もあったけど、ともあれ、過去に見たどの『海賊』よりも、わたしとしては物語に納得できたし、楽しかった。登場人物1人1人のドラマをしっかり描きつつ、華やかな舞踊の場面と血湧き肉躍る戦闘シーンもきっちり入れて、それで休憩込み2時間というコンパクトさも素晴らしい。ぜひまた近いうちに、もう少し手を入れた形での再演が見られれば良いと思う。

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