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2018/03/14

活動写真フィルム検閲時報/映画検閲時報における木村白山リスト(稿)

Tweet ThisSend to Facebook | by huzimoto
 戦前のアニメーションについては近年、研究がかなり進んでいるものと思っていたが、木村白山の正体については未だ五里霧中の中にあると聞き、意外の感にうたれた。検閲時報に製作者として名前が出ていることからすれば、個人作家の名前というよりも会社の屋号に相当するものであり、少なからぬ関係者がそこにはいたはずである。関係者の誰かが何かを書き残していそうなところではないか。
 とはいうものの、確かに通り一遍の調査では、その経歴につながるような情報は全く見当たらない。
 そこで大雑把ではあるが、基本資料になるかと活動写真フィルム検閲時報/映画検閲時報で製作者木村白山と表記されているものをリスト化してみた。短期間にざっと流しただけなので、多数の遺漏が存在すると思われるが、それでも九十本に達しており、何かの参考になればと掲示する次第。
 中には東京木村白山、木村白山映画社という表記もあり、個人名ではなく、やはり屋号とみるべきもののようである。
 特に気になったのは「木村、白山」という表記である。なんらかのミスかとも思われるが、松竹が、白井松次郎+大谷竹次郎によって創始されたことを踏まえれば、木村某と白山某によって成立したプロダクションだったという可能性を想定したくなるところである。
 妄想を逞しくすれば、木村は背景画とプロデュースを担当、アニメーターとしてメインに立っていたのが白山で、白山の死去もしくは引退によって「木村白山」のアニメーション製作は終焉を迎え、木村はブランドイメージの確立された白山の号を使って商業画家としての活動に移行したのではあるまいか。浅草の看板画家から映画界に入ったのではなく、映画製作から離れた後に画工として活動したという見立てである。
 それが『興亜の光』(1939)や『大東亜決戦画集』(1943)への絵の提供、パノラマ画家としての活動(<朝日新聞>1942.4.14、1944.4.16*)で、そこから戦後のアメリカ博覧会(1950)**や富山産業大博覧会(1954)***につながったとみれば、一応、筋は通る…はずであるが、まあ、妄想ですね。(「森、白山」製作の「新塩原多助」というのもあったが、それは、「村」の字が崩れていて「林、」に見えたのを、上の「木」と合成して「森、」と読んでいる…と解釈すべきか)
 
*河田明久「戦争「絵画」の隘路について―挿絵・パノラマ・戦争画」<美術フォーラム21>12号,2005
**橋爪紳也『人生は博覧会日本ランカイ屋列伝』2001
***『富山産業大博覧会誌』1957
 
 
 
検閲年月日「タイトル」(尺)申請者
1926/1/21「松チヤンの剛勇」(217)小林房次郎
1926/3/13「松チヤンの定九郎」(245)松兼隼人
1926/3/30「なまくら刀」(93)三峯神社
1926/4/5「夜討曾我」(330)松竹キネマ株式会社
1926/4/9「夜討曾我」(329)木村白山
1926/5/14「夜討曾我」(323)木村白山
1926/6/3「天下の豪傑」(143)東京木村白山
1926/6/30「夜討曾我」(327)連合映画交換所
1926/8/16「夜討曾我」(325)連合映画交換所
1926/9/3「夜討曾我」(329)作田常治
1926/9/3「玉川児童園」(125)木村白山
1926/11/16「松ちやんの高田馬場」(204)岡田高二
1927/1/18「松ちやんの剛勇」(206)東京朝日新聞社
1927/1/18「公衆衛生を守れ」(465)木村白山
1927/1/18「公衆衛生を守れ」(465)木村白山
1927/1/18「高田の馬場」(177)中谷菊蔵
1927/1/28「松ちやんの剛勇」(210)日本活動写真株式会社
1927/2/4「公衆衛生を守れ」(464)中外活動写真協会
1927/5/28「公衆衛生」(466)大阪市
1927/6/21「松チヤンの剛勇」(214)田添良治
1927/6/21「松チヤンの剛勇」(201)山口良吉
1927/6/22「新塩原多助」(588)東本願寺
1927/7/1「松ちやんの剛勇」(152)寺尾勇次
1927/8/10「貧乏神と金」(271)岡本洋行
1927/8/13「貧乏神と金」(267)加納豊
1927/10/12「貧乏神と金」(274)岡本洋行
1928/3/10「松チヤンの剛勇」(199)駒田万次郎
1928/3/20「松チヤンの剛勇」(215)駒田万次郎
1928/4/12「福の神と貧乏神」(272)中外活動写真協会
1928/4/28「赤ちやんのお願ひ」(285)駒田万次郎
1928/6/25「公衆衛生」(470)名古屋市長
1929/1/10「松ちやんの剛勇」(197)木村白山
1929/4/11「努力」(214)木村白山
1929/5/24「夜討曾我」(326)中村義明
1929/6/15「日の丸は輝く」(247)木村白山
1929/6/26「弥次喜多旅日記」(260)寺尾勇次
1929/7/6「日の丸は輝く」(251)大日本蚕糸会
1929/7/6「日の丸は輝く」(251)大日本蚕糸会
1929/7/8「日の丸は輝く」(247)帝国在郷軍人会本部
1929/7/22「日の丸は輝く」(247)アクメ商会
1929/7/26「忠臣蔵」(522)アクメ商会
1929/8/7「モダン蛙の歎き」(263)木村白山
1929/9/17「松ちやんの剛勇」(242)谷三治郎
1929/10/10「日の丸は輝く」(254)大日本蚕糸会
1929/11/25「モダーン蛙の嘆き」(258)木村白山
1930/1/23「モダーン蛙の嘆き」(267)中外活動写真協会
1930/2/4「日の丸は輝く」(252)在郷軍人会佐倉支部
1930/2/14「松チヤンの剛勇」(179)東京朝合(ママ)新聞社
1930/2/25「或る夏の夜の川端」(235)工藤程
1930/3/5「モダン蛙の嘆き」(259)内田伝蔵
1930/3/8「日の丸は輝く」(251)津連隊司令部
1930/3/28「日の丸は輝く」(251)静岡連隊司令部
1930/4/25「モダン蛙の嘆き」(266)青森営林局
1930/6/19「松チヤンの定九郎」(243)福岡県八女農学校
1930/12/20「新塩原多助」(684)在郷軍人会
1931/1/22「日の丸は輝く」(251)岡山県農会長
1931/2/17「日の丸は輝く」(254)池田猪之助
1931/3/18「日の丸は輝く」(252)中外活動写真協会
1931/3/26「日の丸は輝く」(256)東郷軍人会岐阜支部
1931/4/17「公衆衛生を守れ」(513)長崎県知事
1931/4/18「モダン蛙の嘆き」(264)千葉県衛生協会
1931/7/23「松チヤンの剛勇」(201)中島才吉
1931/9/16「努力」(138)広島県立商船学校長
1931/11/13「日の丸は輝く」(253)敦賀連隊区司令部
1931/12/9「日の丸は輝く」(252)在郷軍人会高崎支部
1932/2/19「公衆衛生を守れ」(441)社会局
1932/2/19「公衆衛生を守れ」(411)社会局
1932/4/18「夜討曾我」(309)安部長吉
1932/7/5「改訂 日の丸は輝く」(251)愛国婦人会静岡支部
1932/7/21「日の丸は輝く」(246)帝国在郷軍人会
1932/12/21「弥次喜多旅日記」(235)京原菊雄
1933/1/20「モダーン蛙の嘆き」(259)伊藤秀雄
1933/1/24「日の丸は輝く」(252)山形連隊区
1933/3/24「松ちやん高田の馬場」(201)岡本洋行
1933/4/14「日の丸は輝く」(250)アクメ商会
1933/6/9「松チヤンの定九郎」(236)八女農学校
1933/8/1「或る夏の夜の川端」(229)桑野商会
1933/9/13「或る夏の夜の川端」(230)中村六郎
1934/9/27「松ちや(ママ)の剛勇」(190)産業組合中央会
1935/3/1「赤ちやんの御願ひ」(280)セカイフイルム社
1935/6/12「松チヤンの剛勇」(181)帝国在郷軍人会本部
1935/7/3「努力」(214)木村白山
1935/9/5「新塩原多助」(696)岡本洋行
1935/10/29「日の丸は輝く」(208)帝国在郷軍人会本部
1935/11/14「高田の馬場の巻」(184)中村六郎
1935/11/15「日の丸は輝く」(247)佐藤秀一
1936/3/26「新塩原多助」(602)蚕糸会
1936/4/13「弥次喜多旅日記」(224)市原菊松
1939/1/18「日の丸は輝く 第一号」(245)蚕糸会
1942/1/28「荒鷲」(107)愛知県映画教育会長
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