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2014/11/25

中教審は「英語教育の早期化」という諮問を慎重に検討せよ

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

11月20日(木)、下村博文文部科学大臣は中央教育審議会(中教審)に対して、小中高校の学習内容を定めている学習指導要領の全面改訂を諮問しました1


下村文科相の諮問では、現在は教科外の活動として小学5年から導入されている「外国語活動」を小学3年から実施し、小学校5、6年制については正式教科に英語を加えることについて検討を求めるとともに、中学校では英語の授業は基本的に英語で実施し、高等学校では英語で「発表、討論、交渉などを行う能力を高めること」を目標とする考えを示しています。


英語の教育をいつ頃から始めるか、あるいはいかなる内容を教えるか、という問題は長年にわたって日本の教育界の大きな課題でしたし、これまでにも様々な議論がなされてきました。そして、実際に英語の教育に携わる中学校や高等学校の教員は、日々多様な努力により、生徒の興味や関心を引き出し、英語の運用能力を定着、向上させようとしています。


それにもかかわらず今回の下村文科相の中教審への諮問の類がなされるということは、一面において現在の学校教育における英語の教授法が必ずしも奏功していないことを推察させるものです。


その意味で、今回の諮問が示す、早期の英語教育の実施や討論の能力の養成は、現在の英語教育の足らざる部分を補うという点で、一定の意義を有するように思われます。


一方で、下村文科相を筆頭とする早期の英語教育を推進する人々は、討議をするためには英語の教育を早くから行うことよりも、討議を行えるだけの知識や教養を十分に身に付けることが必要であること、さらに、自国語で教育を受けられるという日本人がごく当然のように享受している現実の「有り難さ」を必ずしも十分に自覚していないようであることも、疑いえないところです。


確かに、現在の20歳代後半以降の方は会話や聞き取りを中学校、高等学校での英語の授業の中で入念に行われてきたためか、発音は大変流暢で会話もよどみなく、外国人との意思の疎通を行う上で何らの支障もないようにみえます。


しかし、こうした人たちであっても議論や討論になるととたんに沈黙する場面が増えるという現実を、われわれはどのように考えればよいのでしょうか。


会話の流暢さと討論での沈黙とを対比させるとき、われわれは、決して言葉の運用の能力が低いためではなく、話すべき内容を自分たちが持ち合わせていないためであることを知るのです。


これは、日常会話には問題のない小学生が、政治や経済、あるいは社会の問題を討論する際には少しも発話できずにうつむいたまま時間を過ごすのと同じ現象といえるでしょう。あるいは、どれほど速く走れる自動車があるとしても燃料が入っていなければ自宅の車庫から出ることすらままならないのと同じなのです。


このように考えれば、どれほど早い段階から英語の授業を開始したとしても、児童や生徒に議論を行うために必要な知識や教養がなければ、結局は日常的な会話には事欠かないものの充実した討論を行うことができな人材を生み出すことになるだけでしょう。


政策の決定に携わる者の狭隘な視野が前途有為な児童や生徒の将来に悪影響を及ぼすことは避けられなければなりませんし、英語の教育を早期から行うという計画が新たな利権を生み出すための措置となることも、断固として排除されなければなりません。


その意味でも、下村文科相による中教審への諮問は実態を伴わないものであるばかりでなく、英語を含む今後の日本の教育界に禍根を残すことになりかねないといえます。


中教審の関係者が良識と幅広い知見に基づき、拙速主義的な諮問に対する適正な答申を行うことが期待されます。


1 小3から英語の授業、指導要領改訂を諮問、中教審に. 日本経済新聞, 2014年11月20日夕刊14面.


<Executive Summary>
Early English Education, a Rough-and-ready Idea (Yusuke Suzumura)


Mr. Hakubun Shimomura, a Minister of Education, Culture, Sports, Science and Technology, consulted the Central Education Council about a possibility of conducting early English education in the elementary school. However such an inquiry is meaningless, since no one could not discuss anything without exact idea, knowledge or information.


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