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2016/03/07

【評伝】ニコラウス・アーノンクールさん――「帝王」が恐れた指揮者

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

現地時間の3月5日(土)、オーストリアの指揮者、チェロ奏者で音楽学者のニコラウス・アーノンクールさんが死去しました。享年86歳でした。


1929年にベルリンで生まれたアーノンクールさんは、オーストリア・ハンガリー帝国のラ・フォンテーヌ及びド・アーノンクール=ウンフェルツァークト伯爵家の長男で、母のメラン伯爵令嬢ラディスラヤ殿下は神聖ローマ皇帝レオポルト2世の第13子ヨハン・バプティスト・フォン・エスターライヒの孫に当たりました。


第一次世界大戦によってオーストリア・ハンガリー帝国は滅んだものの、叔父のルネが米国のグッゲンハイム美術館長を務め、ルネの娘のアンネもフィラデルフィア美術館長となり、実弟のフィリップも典礼学を専攻して神父となるなど、アーノンクール家はオーストリアでも名立たる名家でした。


ウィーン国立音楽院でパウル・グリュンマーにチェロの指導を受け、1952年から1969年までウィーン交響楽団のチェロ奏者を務めたアーノンクールさんの名声を高めたのは、1953年に結成し、1957年から公開演奏会を開始した古楽器による楽団ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスでの活動でした。


ヨーロッパの音楽は19世紀に入ると担い手が王侯貴族や教会から市民に移行し、それに伴い従来よりもより大きな音量と外面的な力強さを求めるようになりました。そのため、楽器の性能も主な聴衆である市民層の需要に応えるために改良が施され、今日に至っています。


音楽史、演奏史の変遷を踏まえ、アーノンクールさんは古い時代の音楽や古楽器の収集と研究に取り組みました。そして、作品が生み出された当時の演奏のあり方を現代に生かすための手段として、アーノンクールさんは原典に忠実であることを目指すとともに、改造を経ない楽器、いわゆるピリオド楽器を使用し18世紀当時の音楽が備えていた様式美や生気、あるいは語り口を粘り強く再現してきました。


こうしたアーノンクールさんの古楽への取り組みは『古楽とは何か――言語としての音楽』(原題:Musik als Klangrede : Wege zu einem neuen Musikverständnis、1997年)、『音楽は対話である』(原題:The Musical Dialogue: Thoughts on Monteverdi, Bach, and Mozart、2006年)などの自著や、モニーカ・メルトルの『ニコラウス・アーノンクール――未踏の領域への探求者』(原題:Nikolaus Harnoncourt: Vom Denken des Herzens jetzt kaufen、2002年)などを通して知ることが出来ます。


一方、1969年から指揮活動に専念すると、1970年代以降は歌劇や古典派以後の音楽の指揮でも高い評価を獲得し、「原典で十分な想像力をかぎ分け、楽譜にかかった圧力を解き放った」、「一見過激だが、最も純粋で傑出した音楽家」(ギドン・クレーメル)として、ブルックナーやシュトラウス2世の作品も積極的に演奏しました。


1972-1993年にはザルツブルク・モーツァルテウム音楽院の教授も務め、「現代最高のモーツァルト指揮者」という評価を確立するなど、アーノンクールさんは現在の音楽界で独自の地位を築きました。


しかし、時差を嫌ったためにヨーロッパ以外での演奏活動に消極的であったことや、「アジア人は機械的演奏に陥りがち」としばしば率直な発言を行ったことで、アーノンクールさんには「頑固者」、「辛辣」といった評価が下されましたし、2003年3月にニューヨークでウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏会を指揮した際に現地の演奏会評で解釈に対する批判的な意見が出されたことが示すように、アーノンクールさんの活動が全面的に支持されたわけではありません。


それでも、モーツァルトの交響曲第40番について「死を意味する調性のト短調で書かれているにもかかわらず、多くの指揮者がただ流麗に振り、聴衆は心地よく体を揺らす。その間でチェロを奏でる自分に耐えられなくなり、独立という“いばらの道”を選んだ」と語ったアーノンクールさん1は、「世界全体が精神より物質の価値を重んじ、教育の現場でも実務が芸術を圧倒、皆が小さな幸せに安住する。音楽というより、芸術全般が危機に瀕している」という危機感1を抱いて音楽活動を行った結果、遂には「古典音楽解釈の規範」という名を手に入れたのでした。


ヘルベルト・フォン・カラヤンがベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との共演を禁ずる指揮者の一人としてアーノンクールさんの名前挙げたことは、晩年になるほど猜疑心を強めたカラヤンの姿を浮き彫りにするとともに、アーノンクールさんの存在が世界の楽壇に君臨した「帝王」をも脅かしたことを伝える象徴的な逸話でもあるのです。


1 アーノンクールが語る「わが音楽」. 日本経済新聞, 2005年11月26日朝刊33面.


<Executive Summary>
Critical Biography: Professor Dr. Nikolaus Harnoncourt--A Life of a Fighting Conductor (Yusuke Suzumura)


Professor Dr. Nikolaus Harnoncourt, a conductor, had passed away at the age of 86 on 5th March 2016. He is well-known for his historically informed performances of music from the Classical era and earlier.


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