碩学の論攷、碩学への追想より

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2018/10/29

考証学者 太田晶二郎(4)

| by 慈鎮和尚
小西四郎「昭和期の維新史研究(上)」より

小西 (◯前略)平泉先生(◯澄)の講義は、その当時まではそんなにひどくない。大体、学生の右翼団体の「朱光会」が発足したぐらいの時でね。我々のクラスでも朱光会に入っているという人は一人か二人ぐらいでしてね。でも二年生の時かな、『神皇正統記』の演習みたいなことをやらされたことがありまして、一番始めに「大日本国(◯ママ)は神国なり」という言葉が出てくるわけですよ。「この神国という言葉はどういう時代から、いつから使われ始めましたか」なんて聞かれるわけです。そんなこと、こっちは知ったこっちゃないんですがね。ところが、「はいっ」と手を挙げた人がいるんですよ。誰かと思ったら、太田晶二郎君。太田晶二郎君というのは、何でも知っている男でしてね。まったくびっくりしちゃってね。あぁ、こんな人もいるのか、と。

【付記】
太田氏がどのように答えられたかは知るよしもないが、上記の試問に対する模範解答の一つは、

「『
神国といふ字が出てゐるのは、史料の上では、日本書紀の神功皇后の条に、新羅王の言葉としてあります。時代が下って、平安後期には、白河上皇、鎌倉初期には、御(◯ママ)鳥羽上皇の御告文にも見えます。さらに吾妻鏡には、源頼朝、源義経の言葉として出てをりますし、日蓮上人の書状にも見えます。』」(佐々木望「ぬかづくといふこと」

というものである。

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