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2013/03/04

アメリカ野球愛好会2012年度2月期定例会合(2)

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

去る2月27日(水)、18時30分から20時30分まで、慶應義塾大学社中交歡萬來舍(東京・港区)において、アメリカ野球愛好会の2012年度2月期定例会合が開催されました。


今回は作家のロバート・ホワイティング氏をお迎えし、「The Chrysanthemum and the Bat: The Game Japanese Play(『菊とバット』)とその後の日本野球」と題して行われました。


ホワイティング氏によるお話の概要を、2月28日の本欄1に続いて報告します。


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【外国人選手と球団の関係――デーブ・ジョンソンの場合】
ラフィーバーの指摘が示すように、外国人選手との関係は、今なお日本の野球にとって大きな問題であると言えます。ジャイアンツ初の白人選手となったデーブ・ジョンソンも、そのような難しさを体験した一人です。


ジョンソンは、長嶋茂雄がジャイアンツの監督に就任した1975年に入団しました。このとき「50本塁打は打てる」と期待されたものの13本塁打に終わったため、ジョンソンは「ジョン損」、「害人」などと呼ばれることになりました。ボイヤーは、「ジョンソンは大リーグ流にファストボールを打とうとしているが、日本流に変化球を打てるようにならなければいけない。そして、日本の投手は、大リーグのように同じ球を二回投げることはないし、3ボール2ストライクの場面でもファストボールではなく変化球を投げてくる」と助言しました。


かつて、スペンサーは「日本で成功するためには大リーグとは逆のことを考える必要がある」と述べましたが、まさにボイヤーはその「逆のこと」を具体的に示したのです。2年目のジョンソンは、1打席目、2打席目で安打が出ないと交代させた「自分は3打席目、4打席目で調子を整える打者だから、途中で交代させないでくれ」と直訴して長嶋監督の了解を得たこともあり、8月に9本塁打、9月に8本塁打を放つとともに、最終的にベストナインとダイヤモンドグラブ賞を受賞するなど、まずまずの成績を残しました。


しかし、球団が提示した1977年の年俸は、前年比で20%減となる8万ドルでした。一方、怪我の治療のために一時帰国を希望したジョンソンと長嶋の意見が対立したため、ジョンソンが「長嶋が謝罪すれば残留する」と球団に申し出ました。しかし、野球の神様である長嶋がジョンソンに謝罪することは現実的ではないことは明らかであったため、球団側は「ジョンソンは総額20万ドルの複数年契約を希望したため条件が合わず契約更新を断念した」と事実と異なる発表をするとともに、他球団がジョンソンの獲得に動くと、ジャイアンツは阻止するような行動をとったのでした。


【独立後の活動】
1976年、Time Lifeから東京での勤務を打診されたため、再び来日することになりました。そして、1977年にはThe Chrysanthemum and the Bat: The Game Japanese Play(邦題:『菊とバット』)を日米で出版することができました。


Timeがこの本に高い評価を与えてくれたことが自信となって独立し、それ以降はサンケイスポーツやNumberなど、日本の新聞や雑誌に寄稿し、文筆家として活動することができるようになりました。1977年に王貞治が世界記録となる通算756本塁打を放ったときは、News Weekの記者として話を聞くことができました。


テレビ番組の企画でモントリオール・エクスポズのゲーリー・カーターと長嶋茂雄の自宅を訪問した際、カナダの首相と一緒に写る長嶋の写真が掲げられており、さらに、カーターがカトリック教徒であることから、ローマ法王と一緒の写真も置かれるなど、細かい配慮がなされていました。


とりわけ、ローマ法王と一緒に写る長嶋の写真はカーターに深い感銘を与えたようです。長嶋は、例えば米国人が来れば「ケネディと一緒の写真」を、キューバ人が来れば「カストロと一緒の写真」を掲げるなど、相手が何に喜ぶかをよく知った対応をしますが、これは、亜希子夫人の配慮であったということです。


「紳士たれ」と言われるジャイアンツにあって異色の選手であったのが、クライド・ライトです。ライトはジャイアンツにおける罰金を受けた回数の最多記録保持者で、「馬鹿な日本の野球」と発言したり、コーラの空き瓶を投げつけたり、赤坂のディスコで乱闘騒ぎを起こしたり、あるいは通算2700試合を達成した審判に「27000回の誤審、おめでとう」と言ったりと、記者にとっては実に面白い選手でした。


チャーリー・マニュエルが4打席連続で三振したときには「お前は左投手を打てないな」と揶揄し、激怒したマニュエルに顔を殴られ、翌日は顔を腫らして球場にやって来ました。その姿を見た記者たちは、大喜びしたものです。


ライトはいい人間なのですが、グランドの外では酒好きで、色々な逸話のある選手でした。


【その後の活動とこれから】
さて、『菊とバット』を出版したのち、15年にわたって日本の野球を調査、取材しました。


その間、1986年に『ニッポン野球は永久に不滅です』を出版してジャイアンツから2年間球場への入場を禁止され、1988年に東京ドームの観客数を実測し、「客席に42761人、立ち見が約3500人だから、公式発表の56000人も入ってはいない」という趣旨の記事を『週刊朝日』に書いたところ、「もう、二度といらしていただかなくて結構です」と、東京ドームから出入り禁止となりました。


1989年にはYou Gotta Have Wa(邦題:『和をもって日本となす』)、1991年にSlugging It Out In Japan: An American Major Leaguer in the Tokyo Outfield(邦題:『さらばサムライ野球』)を出版することができ、1993年から『東京アンダーグラウンド』の取材を開始し、2004年にはThe Meaning of Ichiro: The New Wave from Japan and the Transformation of Our National Pastime(邦題:『イチロー革命―日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代』)を上梓しました。


今の日本にも、問題のある行動をとる、あるいは日本の野球に適応しない、といった、第二、第三のペピトーンがいますから、まだまだ、野球を通して日米の相違点や類似点を考える本を書けそうです。
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1 鈴村裕輔, アメリカ野球愛好会2012年度2月期定例会合(1). 2013年2月28日, http://researchmap.jp/joq6os7xg-18602/#_18602.


<Executive Summary>
Research Meeting of Association of American Baseball Research in February 2013 (2) (Yusuke Suzumura)


Research Meeting of Association of American Baseball Research in February 2013 was held on 27th February 2013. We welcomed Mr. Robert Whiting, a journalist and author, and Mr. Whiting talked about his experimental episodes of Japanese baseball and foreign baseball players in Japan.


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