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2015/09/26

ダメット「実在論」(1963)について

Tweet ThisSend to Facebook | by begriffymd

[2019/04/29 3節に修正を加えた。]

1.文献情報


表題に掲げた文献は以下である:

Michael Dummett, "Realism", in his Truth and Other Enigmas (Cambridge, Mass.: Harvard University Press, 1978), pp.145--165.
(邦訳:「実在論」,マイケル・ダメット『真理という謎』藤田晋吾訳(勁草書房,1986年),pp.93--127所収.)

これは1963年5月8日にOxford University Philosophical Societyで読み上げられた講演の原稿なので,以下では1963年講演と呼ぶことにする(ただし,1978年にTruth and Other Enigmasに収録されるまでは未公刊であった).内容的には,ダメットが提起したいわゆる「実在論‐反実在論論争の意味論的特徴づけ」についての最も読みやすい文献であり,ダメットを読むならまずこれを読むのがよいと思う.

ただし,ダメット本人はこの講演に対し不満を持っていた.そして1982年になってもう一本,同じタイトルを持つ論文を書いており,ここでは,1963年講演で提起した実在論‐反実在論の特徴づけを撤回して,別の特徴づけを提起している.
Michael Dummett, "Realism", Synthese 52 (1982), 55--112. Reprinted in his The Seas of Language (Oxford: Oxford University Press, 1993), pp.230--76.
しかし,この論文は非常に長く,話が複雑になっており,そのくせ肝心のところが説明不足である.むしろ,ほぼ同様の立場が彼の退官記念講演(1992年)において分かりやすく展開されているので,こちらを1963年の講演と比較しながら読むのが有益であると思う.
Michael Dummett, "Realism and Anti-Realism", in his The Seas of Language, pp.462--78.

2.実在論‐反実在論論争の特徴づけ


ダメットの議論は,実在論‐反実在論論争が,ある種類の言明(数学言明,過去時制言明,等々)の解釈に関する論争である,ということを前提している(この前提は1963年講演以外でも保持されている).問題となる種類の言明のクラスは「係争クラス」と呼ばれる.その上で,1963年講演では次のように実在論と反実在論が特徴づけられる(p.146, 邦訳pp.95--96).

私は実在論をつぎのように規定する.すなわち,係争クラスの言明は,われわれがそれを知る手段から独立に,客観的な真理値を持つという信念として,つまり,それらの言明はわれわれから独立に存在する実在によって真か偽かなのである,という信念として規定する.[…]これに対して反実在論者はこう力説する.[…]係争クラスのある言明は,もしそれが真なら,その言明が真であることの証拠と見做すような,われわれに知り得る何ものかによってのみ真であり得る,という仕方で,そうなっているのだ,と.こうしてその論争は,係争クラスの言明に相応しい真理概念とはいかなるものか,という問にかかわることになる.ということは,その論争は,それらの言明がいかなる種類の意味をもつかをめぐる論争だ,ということである.


つまり,係争クラスの言明の真偽が我々に入手可能な証拠から独立に決まっているかどうか,という点が実在論と反実在論の争点だとされている.同様の論点はこの講演前半の最後(p.155, 邦訳p.110)でも繰り返されている.

ここで少しややこしいのは,この対立が同時に係争クラスの言明の意味に関する対立だ,とされている点である.これは上の引用の最後に明言されているが,上の引用で私が省略した部分にも,係争クラスの言明の意味に関して,実在論者と反実在論者がどう対立するかが書かれている.このように意味に関する対立と真理概念に関する対立があたかも同じであるかのように書かれているのは,ダメットが意味と真理が密接に関連し合う,フレーゲの意味理論を前提にして考えているからである.(ダメットがそう明言しているわけではないが,そう考えると辻褄が合う.)

真理概念をめぐる対立の重要性は次の点にある.この対立は,それ自体として見ると非常に抽象的で,解釈の余地が非常に大きいものに見える.しかし,係争クラスの言明に「実効的に決定可能でない言明」――その言明が真であるという証拠か偽であるという証拠が我々に必ず入手できるとは言えないような言明――が含まれていた場合,この対立は,係争クラスにおける「二値原理」の妥当性――係争クラスのすべての言明が真ないし偽に確定している――を認めるか否かという,論理法則の妥当性を左右するような実質的な対立をもたらす.いわば対立が可視化できるのである.この点が,1963年講演に出てくる「勇敢さ」をめぐる論争の例(pp.148--50,邦訳pp.98--102)によって,ダメットが言わんとしていることであると思われる.

3.還元主義と反実在論


1963年講演は前半(pp.145--56,邦訳pp.93--112)と後半(pp.156--65,邦訳pp.112--27)に分かれている.前半は上記の実在論‐反実在論論争の特徴づけの説明と,事例への適用を与えている.後半は,さしあたり大まかには,還元主義(※1)と反実在論との関係について論じていると言ってよいが,具体的に何をしようとしているのかは明確でない.

※1 以下では説明の簡略化のため,ダメットが「還元クラスが存在する」と言うところを単純に「還元主義を採る」と言い換える.

実在論‐反実在論論争を論じる際に,ダメットはしばしば還元主義の話をするのだが,なぜそうしているかというと,彼自身の実在論‐反実在論論争の特徴づけが,伝統的な還元主義者と実在論者の対立の本質的な部分を取り出したものになっていて,それゆえ自分の特徴づけた論争は伝統的な論争と無関係ではない,と言いたかったようだ.この点は,1963年講演では明言されていない(むしろ,反実在論にとって還元主義は必要でも十分でもない,と述べることに労力が費やされている)が,例えば退官記念講演(特にpp.468--71)ではかなり露骨に書いてある.(ただややこしいことに,1982年以降は還元主義が丸ごと含まれる程度にまで,「反実在論」の意味が拡張されることになる.)

とりあえず1963年講演の後半をまとめてみよう.まず,還元主義の一例である現象主義を例にとって,ここから還元主義的要素を取り除くことによって,より強力な反実在論的立場が得られる,ということが言われている(pp.156--60,邦訳pp.112--9).

現象主義者は物的対象言明をセンスデータ言明に還元しようとするが,その際,直接的に観察によって真偽を確かめられていない物的対象言明は,仮定的条件法に還元されると考えた.つまり,「隣室にテーブルがある」は,(1)「もし私が隣室に入ったならば,テーブルを見ることだろう」という仮定的条件法に還元され,(2)この前件は運動感覚的センスデータに関する言明に,後件は視覚的センスデータに関する言明に還元される,と考えた(p.158,邦訳p.116).現象主義に対するよくある批判は,この第二のステップに当たる物的対象言明のセンスデータ言明への還元がうまくゆかない,という点にあった.しかし,この第二ステップの還元がうまくゆかないとしても,第一ステップの還元に基いて実在論を批判することができる.つまりこうである.仮定的条件法が「端的に真」ではない,言い換えると仮定的条件法を真にする条件的な事実なるものはない,と考えるならば,仮定的条件法が真ないし偽に決まっているとは言えないとするのが自然であり,これによって,還元前の物的対象言明の真偽も決まっていない,ということが言える.(もちろん,例えば可能世界のあり方について実在論的態度を取った上で,ルイス‐ストルネイカー流の意味論を与えるならば,仮定的条件法の真偽は可能世界のあり方によって予め決まっていると考えることになるが,ダメットの世代ではまだそのような考え方は一般的ではなかった.)

そこで,次のような立場が考えられることになる.物的対象言明には,観察という直接的証拠によって真偽の定められている言明と,仮定的条件法に還元された上で,仮定的条件法に対する(例えば帰納的な)証拠という間接的証拠によって真偽が定められている言明の二種類があり,いずれもセンスデータ言明に還元されはしないが,後者の種類の言明は我々の認識可能性から独立に真ないし偽に決まっているとは言えない,という立場である.(もちろん,我々が新たな観察を行うことによって,後者の種類の言明だったものが徐々に前者の種類の言明に組み込まれていくことになる.)この立場は物的対象言明を係争クラスとする反実在論となるが,伝統的な現象主義批判(物的対象言明をセンスデータに翻訳することはできない,という批判)によっては論駁できない,現象主義よりも強力な反実在論である.

この後の部分(pp.160--5,邦訳pp.119--27)は,何が言いたいのかさらにはっきりしない.しかし私としては,以上の議論を利用しつつ,証拠に関する実在論(つまり,係争クラスの言明に対する証拠の存在を述べるような言明についての実在論)を採る余地がどの程度あるか,ということが論じられていると解釈したい.

例えば現象主義や,上記の脱還元主義化された反実在論において,物的対象言明は,それを証拠立てる観察が得られていない場合,仮定的条件法に還元されるのであった.この仮定的条件法は,「もし(現実には成立していない)しかじかの条件が成立していたら,元の言明を証拠立てる観察が得られたであろう」ということを述べている(cf. p.160,邦訳pp.119--20).私が考えるに,おそらく,ダメットはここでこう言いたかったのではないかと思う.すなわち,この仮定的条件法は,元の言明を証拠立てる観察が実際には得られていないが存在はしている,と述べているのだ,と.つまり,この種の間接的検証というものを認めることで,証拠が我々に入手されていないにも関わらず存在する,という可能性を認めることになり,我々は少し実在論に譲歩するのである.この仮定的条件法を支持するような証拠は,元の言明に対する間接的証拠をなすと言われている(ibid.).

ただし,この1963年講演では,証拠に関する実在論を採りうると言えるのは還元主義を採る場合だけだ,という結論に落ち着いている(p.163,邦訳pp.124--5).以上に基づいて、「間接的証拠が存在し、しかも還元主義が取りうる場合には、証拠に関する実在論を取りうるが、このいずれかが欠けている場合には証拠に関する実在論は取りえない」ということが論じられる(p.163, 邦訳124--5)。まず,そもそも数学のように間接的検証のない場合,このような立場[=証拠に関する実在論]は取りようがない.次に,例えば現象主義の場合,物的対象言明を証拠立てる観察の存在を表現する言明はセンスデータ言明であり,物的対象言明とは別の言明クラスを成しているので,証拠の存在を表現する言明について実在論を採っても,即座に係争クラスについて実在論を採ることにはならない.しかし,上記の脱還元主義化された反実在論の場合には,観察の存在は物的対象言明そのものによって表現されるので,証拠の存在を表現する言明について実在論を採ることは,即座に係争クラスについて実在論を採ることになってしまう.

しかしこの後,1973年の講演「演繹の正当化」においてこの間接的検証の問題は再論される.
Michael Dummett, "The Justification of Deduction", in his Truth and Other Enigmas, pp.290--318.
(邦訳:「演繹の正当化」,マイケル・ダメット『真理という謎』,pp.267--314所収.)

ここでは,演繹的推論というのが一般には間接的検証を含んでいると論じられ,演繹的推論を認めることは実在論への譲歩を含む,と言われることになる.

4.at_akada氏のブログエントリへの訂正


この記事は,元々at_akada氏によるブログエントリに訂正を行う予定だった.しかし,書いている内にただの研究ノートになってしまったので,ブログエントリへの訂正はまとめて以下で行う.問題のブログエントリは以下:
Michael Dummet「実在論」,うつし世はゆめ / 夜のゆめもゆめ
http://d.hatena.ne.jp/at_akada/20150920/1442736829

at_akada氏は次のように場合分けで反実在論を定式化している.

間接的証拠が存在しない場合(数学など)
    問題の領域(ex. 数学)の言明が真でありうるのは、私たちがその証拠(ex. 証明)をもつことによってのみだ。
間接的証拠が存在する場合(心に関する事実など)
    問題の領域(ex. 性格に関する語り)の言明が真でありうるのは、私たちがその直接的ないし間接的証拠(ex. ふるまいの観察)をもつことによってのみだ。 
http://d.hatena.ne.jp/at_akada/20150920/1442736829

2.から分かる通り,反実在論の定式化に数学の場合とそれ以外の場合との場合分けは不要である.ダメットが注目しているのは,真理概念を巡る対立が二値原理の妥当性を巡る対立に変換できる,という構造であって,この構造は数学の場合でも他の場合でも共通しているからである.この点を踏まえれば,at_akada氏のようにGroundingと二値原理の関係に悩む必要もなくなると思われる.

また,at_akada氏は反実在論の定式化を与える際に「間接的証拠が存在しない場合/間接的証拠が存在する場合」という場合分けを用いていた.この際at_akada氏は,(1)間接的証拠の有無,という区別と,(2)還元主義を採るかどうか,という区別を重ねてしまっているが,この区別は3.で述べた通り別ものである.むしろ場合分けは次の三つになる.
  • 間接的証拠が存在しない場合:数学
  • 間接的証拠が存在し,還元主義は採らない場合:上述の脱還元主義化された反実在論
  • 間接的証拠が存在し,還元主義を採る場合:現象主義
また,細かい点だが,at_akada氏は普遍の実在を巡る論争を実在論‐反実在論論争の中に含めているが,ダメットは上記の枠組みでは扱えない例として普遍論争を挙げている(p.147,邦訳pp.96--7).

[2019/04/29 3節に修正を加えた。]
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