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2019/11/02

リベラル・アーツと大学英語(「英語教育」)

Tweet ThisSend to Facebook | by EI

最近また「英語」という言葉がニュースになっていますが、本当に研究・仕事で英語を日々使っている人は、必要以上に「英語ガ~」と力んだり、他人の英語の語法・文法を批判したり、表面的な英語力(英語の試験のスコア等)が重要云々、とは騒がない(場合が多い)と思います。普通に日常的に英語を使っていれば、英語は常に身近にあるものであり、別に騒ぐようなものではないと思います。英語の教員でも本当に英語を使いこなしている人は、多文化を許容する文化的許容度、各専門領域の内容面での議論(できれば、英語圏のジャーナルでも扱っていない、もっと深みのある、例えば西山意味理論)を重視すると思います。なお、英語や英語教育を強調しておられる方々が本当に英語で書いた単著研究書等を有しているかも確認するのも参考になると思います。


英語を日常的に用いている人は英語そのものについて騒がない(場合が多い)と思います。英語が自然にできるのは当然の前提であって、それよりも(大学で言えば)リベラル・アーツの広がり、専門領域の広がりを目指すと思います。


単なる英語力を超越したところに、大学人、知識人としての見識があると思います。英語の母語話者の真似ではなく、国際的に日本を相対的に見た上で、その上で、日本という類まれなる国に対する理解、日本人としてのidentityと誇りを持ち、日本の歴史を大事にできる人材が求められていると思います。下記のブータン国王陛下の素晴らしい国会演説も参考になります。
https://www.youtube.com/watch?v=-h5CzvtJky8


この点でも表面的な英語力(何かのスコア)等ではない、広い意味でのリベラル・アーツの一環としての言語科目としての「英語」科目が重要だと思います。(なお、「リベラル・アーツ」もその内実が十分に理解されないまま言葉だけが表面的に用いられて「英語教育界」の「キーワード化」する、ということがないように望みます。)


「言語」そのものについては、来年刊行の拙著研究書でも深く論じます。それらの哲学的議論なしでの「英語教育」の議論は本質的な点から遠ざかった表面的な議論、あるいは、その時々のキーワードやキー概念に踊らされている面があるように私は思います。

また、英語教育の「改革」には保守的、慎重であってほしいと私は思います。拙速の見切り発車を避けるようにすべきだと思います。また、いかなる大学英語教育の「改革」も、日本国憲法23条の「学問の自由」、そして、それに付帯する「教授の自由」(講義・授業の方法・内容等の自由)を遵守する必要があると思います。
 

なお、リベラル・アーツと英語教育については、拙著『意味論と語用論に基づく最上級英文法理論』でも既に書きました。同書のAmazonのページはこちらです。

(なお、以上は言うまでもなく私個人の私見です。)


関連記事として下記もご覧いただけますと幸いです。

◆「学問の自由」について(キーワード:「教授の自由」, 大学の講義のidentity, 専門科目, 英語科目, 日本国憲法第23条)
https://researchmap.jp/jolq8i095-1847698/#_1847698


◆生成文法と言語哲学の研究書の進捗 / 「大学とは根本的に何か」という問い
https://researchmap.jp/jojuh9dkq-1847698/#_1847698


◆大学英語教育についての私見(キーワード:リベラル・アーツ/教養課程、教科書、多様性、英語教員の専門性、「グローバル化」と教育、「応用言語学」とTESOL)
https://researchmap.jp/joqt1qdo8-1847698/#_1847698


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