研究ブログ

研究ブログ >> 記事詳細

2012/07/11

すれ違う佐田啓二

Tweet ThisSend to Facebook | by stakane
 雨の匂いがうっすらと漂う梅雨も後退し、気がつけば青空が頭上に広がる7月となりました。毎年、もう一年も半分を過ぎたのかと軽く驚くことがこの時期の習性になっていますが、今年は新しい環境に移ったことも重なって、青空を仰ぐ時の感慨もひとしおです。理系の学問を専門とする学生たちに、文学を教養科目として教えることの意義とはなんだろう、また、どういう講義が望ましいのだろう、と手探りで進めてきた前期も、今週でおしまいです。どこか心が軽くなったのか、久しぶりに神保町シアターへ足を運び、シアター開館5周年企画「ニュープリントで蘇った名画たち」を観に行きました。特にお目当ての作品があったわけではないのですが、上映スケジュールを見ると、6時からの「雲がちぎれる時」(1961)に間に合います。キャスティングに好きな俳優、佐田啓二の名前を見付け、これは嬉しいとひとりごちながらシアターに入りました。

 佐田啓二、と言っても、今の人にはピンとこないことでしょう。戦後大衆文化史の巻頭を飾る大ヒットメロドラマ「君の名は」(1952)で、戦後民主主義を象徴するかのようなヒーロー、後宮春樹を演じた俳優ですが、むしろ中井貴一の父君だと言ったほうが通じるでしょうか。顔立ちは中井貴一よりもずっと彫の深い、いわゆる昭和の美男子です。それでも、最近の中井貴一を見ると、ふとした表情がずいぶんと佐田啓二に似ていて、不思議な気持ちになることがあります。佐田啓二は不幸にも交通事故で30代半ばにしてこの世を去っています。もし天寿を全うしていたなら、こんな顔立ちになっていたのだろうか、と思わせる何かを中井貴一の風貌は垣間見せるのかもしれません。 

 「雲がちぎれる時」は五所平之助が監督を務めた作品で、原作は1950年代のベストセラー『足摺岬』を書いた田宮虎彦。当時の週刊誌に連載された「赤い椿の花」を映画化したメロドラマ。足摺岬のある高知県南端を舞台に、カメラは戦後復興に向かう地方風景をカラーで色鮮やかに追っていきます。佐田啓二は、足摺岬を観光名所に走るバスの運転手、『君の名は』で定着したイメージでしょうか、端正な顔立ちで誠実な男性の心理を、繊細な演技でこなしていきます。きれいに分けた七三の髪型で、うつむくときにはらりと前髪が額に落ちる。優男ならではの仕草が心憎いほどスクリーンに映える表情です。

 佐田啓二演じるバスの運転手、三崎は、朗らかなバスガール、加江子(まだ少女の面影があどけない倍賞千恵子が演じます)との結婚を控えています。風光明美な風景とシンクロするかのように、三崎は彼女に対して穏やかな愛情を持っていますが、彼の心の中には三年前、突如として姿を消してしまった幼馴染にして初恋の女性、市枝に対する情熱が燻り続けています。永遠に変わることのないかのような、南国の自然に溢れた風景も、あと一月でトンネルが竣工し、徐々に「戦後」から「高度経済成長」へとシフトしようというそのとき、彼の前に再び市枝が現れたことによって、心中の調和は乱れ、市枝との過去に逆行しようと苦しみます。

 これぞ色気ね、と思わせる、全身から不幸な美女オーラを発する市枝を有馬稲子がこれまたお見事! と声をかけたくなるほど絶妙に演じていきますが、この作品が発表された1961年という時期を背景に考えると、どうやら彼女は「戦争」がもたらした悲劇を一身に背負う表象でもあり、また「戦後」の混乱が与えた傷跡を癒すことのできないまま、戦後復興の時代を生きる、いわば「時が止まってしまった女性」です。
 一方の明るい笑顔が愛くるしい、倍賞千恵子演ずる加江子は、戦後の混乱から「日常」と「私生活」へ、人々の意識がシフトしていく高度経済成長の表象でしょう。それはまた、「戦争」の記憶を後景化していくことで、意図的に忘却せんとする時代の心性とシンクロしていたとも考えられます。

 『君の名は』ではヒロインの真知子が「戦前」と「戦後」の狭間で苦しみ、その苦しみが春樹との「すれ違い」によって象徴化されていましたが、この作品では、春樹を演じた佐田啓二が、過去を引きずる女性への愛で苦しむことで、「戦後」から「高度経済成長」への移行に対する葛藤――「戦争」の記憶を忘却しない限り、生きている人たちは前に進めなかったという葛藤――を一身に背負っているかのよう。忘れたくても忘れることのできない慕情に苦しむ佐田啓二の表情は、戦争を生き抜いた人々たちが語ることはなくとも抱え続けたトラウマの反映ではなかったでしょうか。
 思えば、佐田啓二は1920年代半ばに生まれた戦中派に属します。青年期を戦争の最中で過ごした彼等は、戦後、突如として社会が「民主主義」の明るさで彩られていくことに、戸惑いと抵抗を感じざるを得ない世代でもありました。戦後映画のスクリーンに登場する俳優たちは、こうした世代のトラウマを表情のどこかに隠しもっているからこそ、半世紀もの時を経た現在でも色あせない存在として、観る者の心に過去の楔を残していくのではないでしょうか。

 かつて、学徒兵として前線に立った詩人、鮎川信夫は晩年、経済大国となった日本の象徴を「高層ビル」が林立する風景に見ました。技術の粋を集めた高層ビルやアスファルトが敷き詰められた都市風景は、「戦争」の傷跡を隠蔽するエネルギーの形象化ではないかと鮎川は言います。「雲がちぎれる時」では、物語の中で重要な意味を持つ「トンネル」の竣工がまさに該当するのでしょう。砂利道の自然を貫通する「トンネル」は、戦争の記憶を粉砕していく科学技術の象徴に他なりません。三崎の運転するバスは、はたして無事に竣工間近のトンネルを、明るい未来の象徴、加江子と通過することができるのか。

 映画のラストを語ることは、「それを言っちゃあおしめえよ」と寅さんに怒られそうです。なので、ここでは触れません。ただ、映画が終わったあと、怪優にして名脇役の伊藤雄之助が、過去を忘れることのできない三崎に向かって、「人はな、前を向いて生きないとならないんだよ、過去を断ち切る勇気を持たないとならないんだよ」と諭したセリフが、21世紀に生きる実感を持つことができない私の脳裏に焼きついたのでした。さて、今回の写真はもちろん佐田啓二。この、きちっとした髪型から、前髪がはらりと落ちるところが、昭和の色気だなあとしみじみ。

22:02 | 投票する | 投票数(2) | コメント(2)
コメント
mizutani2012/07/21 16:23:16
おお、息子さんとお父さんがそっくりですね。昭和って、今からだともう振り返ることが可能なくらい距離があるようにも思えるし、まだまだ曖昧なままにされている部分もあるし、で、時間軸で近くても難しいですねえ。でも、映画レビューは分析つきなので、すごく興味わきます。ありがとう!
stakane2012/07/24 19:23:35
でしょでしょ、本当に似てきてるのよ。自分はいくつなんだ、と思うけど、テレビで中井貴一を見るたびに「あらまあ、お父さんにそっくりで(涙ぐむ)」と、感無量になります。昭和という時代は、とかく「戦争」が大きく取り上げられてしまうけれど、それだけでは語ることのできない何か、を含んでいるように思うの。赤坂真理さんの新刊『東京プリズン』も、たぶん、そういうことをどこかで感じて書かれたのではないかなあ。それはともあれ、佐田啓二。交通事故で死んじゃうんだけど、映画の中でも交通事故に遭う役が多かった・・・。