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2014/01/18

邦訳歌曲史トリビア:「汝が碧き眼を開け」は「マノンの寝室PDDの曲」

Tweet ThisSend to Facebook | by Boccaccio '15
どのくらい需要があるんだかさっぱり分からないけど、大正ロマンとか好きで現代のバレエもよく見ます、という人ならびっくりしそうな話。要するにわたしが最近このことに気づいてびっくりした、って話です(トリビア記事を書くのは「わたしも最近まで知りませんでした」と白状することでもあり、ちょっと怖い)。

2010年冬に松濤美術館で開催された「大正イマジュリィの世界」展は、ポスターと図録の表紙に、竹久夢二「汝が碧き眼を開け」を使っていました。同名の歌曲の、セノオ楽譜から出たピース譜の表紙として書かれた作品です。

会期中に会場内で開催された鼎談「大正 唄うイマジュリィ、踊るイマジュリィ」に登壇した竹久夢二美術館学芸員の谷口朋子氏が、この作品を原作歌曲の内容と対照して論じていました。これについてはわたし、以前よそにレポートを書いているのですが、

谷口氏はまず、本展覧会のポスター等に使われている「汝が碧き眼を開け」(cat. TY-6)について、マスネの同名の楽曲だけでなく、組曲の他の2曲の内容も踏まえて小道具があしらわれていることを指摘します。
伊藤由紀「[寸評]「大正イマジュリィの世界」展」(東大比較文學會ウェブサイト)

怠惰なわたくしは、「マスネの同名の楽曲」の楽譜を見てみようとは、その時思いませんでした。

で、時は流れてこのたび、かつて日本コロムビアから没後50年を記念して出た『三浦環全集』(絶版)を中古で入手したのですが、そのDisc 4の最後に入っていたのが「汝が青き眼を開きてよ」と題された曲でした。

三浦環全集
三浦環
コロムビアミュージックエンタテインメント(1995/04/21)
値段:¥ 12,233


おお、微妙にタイトルは違うものの(「碧き」と書くだけで中2っぽさ3割増)、おそらくこれがあの……と思ってポチったところ、すごくよく知ってるメロディーだったので驚きました。先に結論を書いてしまうと、マスネの組曲『愛の詩』に含まれる、邦訳そのまんまのタイトルの曲(Jules Massenet, “Ouvre tes yeux bleus,” Poème d'amour. 1878-80)なのですが、この旋律はバレエファンの間では『マノン』の寝室のパドドゥの曲(より正確には、その後半部)として知られています。

ここで慌てて補足1: 微妙にタイトルが違うのはなぜかというと、セノオ楽譜のピース譜と三浦環の録音では、それぞれのクレジットによると、訳者が違うので、どうやら別の版であるらしいのです。

CiNiiに収録されているセノオ楽譜版の書誌情報によると、こちらの訳者は二見孝平。なんと、この時代に(1917年初版、CiNiiの記述の典拠は1924年5版)フランス語原詞を併記してあるそうです。本当ならかなり珍しいと思います。

対する『三浦環全集』の録音は、付属のブックレット(これだけで昔のCDケース1枚分くらいの厚み)によると、門馬直衛の訳。コロムビア35513B、1938年11月発売。原題として“Pourquoi me réveiller, ô souffle du printemps?”と書かれているのだけど、これは同じマスネのオペラ『ウェルテル』(Jules Massenet, Werther. Premier: Wiener Hofoper, 1892)の、いわゆる「オシアンの歌」。まあこういう取り違いは、この時代よくあります。

この時代には訳詞者の名前がいつの間にか取り違えられて伝えられる、ということも珍しくないので(上田敏訳「花の少女(をとめ)」“Du bist wie eine Blume”は、『海潮音』にも収録されているのに、竹久夢二が表紙絵を書いているセノオ楽譜版では「近藤朔風詩」となっています。今でもこの誤りを踏襲している楽譜は少なくありません)、実際にテクストを見ないことには、この2つが本当に別の版なのかどうかは確認できません。そしてセノオ楽譜版はまだ確認の機会がありません。

でもとりあえず、三浦環の録音のほうは、伸びやかな旋律に詩語を多用した大時代な歌詞がついていて、歌ってみるとすごく気持ちが良いです。フランス語原曲は前半を「彼」(Lui)、後半を「彼女」(Elle)が歌う相聞歌なのですが、三浦環はこれを最初から最後まで独唱しており、その関係なのか、曲の後半は原詞を無視した自由な歌詞がついてます(最後「わが胸よ」が字余りなのは残念)。前半も直訳ではないですが、原詞のモチーフはきっちり残されていて、こちらは訳として見ても悪くないです。

慌てて補足2: マクミラン振付『マノン』(Kenneth MacMillan, Manon. Premiere: The Royal Ballet, Royal Opera House, Covent Garden, London, 1974)は、20世紀の物語バレエの最高傑作のひとつと言ってよいと思いますが、その音楽はすごくややこしいことになってます。

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『マノン・レスコー』を題材にしたオペラは、プッチーニのもの(Giacomo Puccini, Manon Lescaut. Premiere: Teatro Regio, Torino, 1893)が有名ですが、マスネも書いてます(Jules Massenet, Manon. Premiere: Opéra-Comique, Paris, 1884)。で、マクミランのバレエ『マノン』の音楽は、そのマスネの、『マノン』以外のオペラと歌曲からのさまざまな曲を、レイトン・ルーカス(Leighton Lucas)が再構成したものです。アメリカン・バレエ・シアター(ABT)のサイトとかWikipediaとかに使用楽曲の出典が書かれてますが、オペラの『マノン』の曲は本当に1曲も使ってません。

話を戻して、『三浦環全集』ではもう1曲、Disc 3に収録されている「悲歌」も、バレエファンにとっては『マノン』でお馴染みの旋律です。こちらはいわゆる中庭のパドドゥの曲(Jules Massenet, “Élégie.” ca. 1872)。

三浦環の録音は、ブックレットによると、訳詞が二見孝平で、コロムビア35320B、1932年9月発売。なんと、伴奏のうちオルガンが山田耕筰だそうです(もう、名前に竹かんむりがついてる時期です)。

[この段落のみ、2013/2/4追記]この二見孝平訳の「悲歌」も、セノオ楽譜で出版されていました。CiNiiの書誌データはこちら。音楽関係に強い古書店・風船舎さんのサイトで表紙の画像を見られます(売約済みのためにサムネイルは見づらくなっていますが、クリックすると大きな画像は普通に表示されます)。いかにも海外の雑誌からトレースしましたという雰囲気なのに、背景の花の枝が微妙に和風なのが、何とも味わい深いです。

同じ曲には堀内敬三の訳詞もあり(タイトルは「哀歌」)、これはロームミュージックファンデーションの『日本SP名盤復刻選集IV』Disc 2で、徳山縺(たまき)による歌唱を聴くことができます。日本ビクター51518、1930年録音。こちらはバイオリン伴奏が橋本國彦。聞き比べると確かに違う歌詞です。

……ここまで書いてから気づいたのだけど、これってもしかして「バレエトリビア:『マノン』の中庭のパドドゥと寝室のパドドゥの曲はそれぞれ、戦前に日本語の歌詞で歌われていた」という形で紹介したほうがキャッチーだった?

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