Sakaguchi Taro


碩学の論攷、碩学への追想より

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2018/08/28

『御意覚書』より

| by 慈鎮和尚
楠正儀参議ニ任シタルコト、観心寺ノ文書ニ在、伝ニ可入事。
  右中村新八・鵜飼金平・佐々介三郎奉之。

【付記】
 『観心寺文書』を熟読していた「黄門さま」は、(弘和3年)12月24日付「楠木正儀国宣」(注1)を見るに及んで、正儀の官歴の好史料と判断。正儀伝への補入を、「助さん」たちに指示したのである。この「国宣」の日下には花押しかないが、これを正儀のものと判断できたあたり、「黄門さま」の南朝関係文書の読み込みの深さをよく示している(注2)。やっぱり勉強家で、史臣たちが敬服したのも当然だと感服する。
 過日、中世史サマーセミナーで、N氏の一生懸命な報告を拝聴しながら、《タイムマシンがあったら、『花押かがみ』の第5巻~第8巻を、延宝年間の「黄門さま」や「助さん」、そして
丸山可澄にプレゼントして、三人の喜ぶ顔を見たいな》などと、他愛もないことを考えていた。(注3)

(注1)『大日本古文書 観心寺文書』第42号。

(注2)ちなみに、『花押籔』では、巻之4「五位」に正儀の花押を収載している。丸山可澄も、《やっ、これは参りましたな》なんて言って、頭を搔いていたかも知れない。多分、「黄門さま」は、正儀と河野辺駿河守との関係なども、しっかりとチェックした上で、判断を下したのだろう。
【再度考察した結果、上引の逸話は『花押籔』の成立以前のことで、「黄門様」の考証が丸山可澄に伝わっていなかったということに気づいた。2018年11月29日、追記】

(注3)この話は、近く河内長野市の「くろまろ塾」で行なう講演「河内長野に来た助さん」でも、他の未刊史料も用いながら、来聴者の皆さんにお話する予定。
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