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2016/06/22

【評伝】鳩山邦夫氏――ある「名門の御曹司」の一生

Tweet ThisSend to Facebook | by suzumura

昨日、元総務大臣の鳩山邦夫氏が死去しました。享年67歳でした。


無口で論理的であり、学究肌とも評される鳩山威一郎氏の次男として生まれた邦夫氏が田中角栄氏の秘書を経て政界に進出したのは1976年のことでした。


このとき、邦夫氏は自民党の後任から漏れたため新自由クラブの推薦を受けた無所属候補として第34回衆議院議員選挙に立候補し、旧東京八区で最高得票数で当選を果たしました。


その後、やはり無所属の宇都宮徳馬、麻生良方の両氏と無党派クラブを結成して1978年3月に訪中を果たすなど、当選の直後から国会議員として積極的に活動しました。


1978年12月に自民党に入党し、1979年の総選挙で落選するものの、1980年に史上初の衆参同日選挙として行われた第36回総選挙で国政に復帰すると、その後は竹下登氏が率いた創政会に所属し、竹下氏を中曽根康弘首相の後継の総裁候補とするために田中派の一本化を図るなど1、創政会の有力な若手議員として活動しました。


行政面では1983年に第2次中曽根内閣の行政管理政務次官、1984年に第2次中曽根第1次改造内閣の文部政務次官を務め、1991年に宮澤喜一内閣で文部大臣に就任するなど、竹下派では数少ない文教族の一人として存在感を発揮しました。


しかし、1993年に自民党を離党すると、新進党、民主党などを経て2000年に自民党に復党し、2010年3月に再び離党、そして、2012年に再度自民党に復党するなど複数の政党を渡り歩いたことで、鳩山氏は派閥を横断する有志の勉強会であるきさらぎ会の会長を務めたものの、ついに自民党内で一派を率いることが出来ず、実兄の鳩山由紀夫氏が射止めた首相の座を手にすることが出来ませんでした。


確かに、きさらぎ会に100名を超える国会議員が名前を連ね、しかも安倍晋三首相を支えるため結束するよう呼びかけたことが示すように2、鳩山氏には一定の支持層があり、しかも支持者を取りまとめるだけの力量があったことは疑い得ないところです。


それにもかかわらず自民党の総裁選挙への出馬に意欲を示しながらも最後まで立候補すら出来なかったことは3、一面において頻繁に所属する政党を変えた鳩山氏には、自らを最後まで応援するような支援者がいなかったことを推察させるとともに、鳩山一郎元首相の政治的な遺産を受け継ぐ機会がありながら政治家になる意欲が低く、大蔵次官を退官した後に政界に進出した父の威一郎氏4と同様、「鳩山ブランド」とも称される政治的な資産2を有効に活用できない邦夫氏の弱さを示すものといえました。


また、1987年に中曽根内閣が売上税を導入しようとした際に「売上税はエイズ同様に危険だ」という趣旨の発言をし5、あるいは福田康夫内閣で法務大臣を務めていた2007年9月には死刑執行制度について「法相が絡まなくても、自動的に客観的に進むような方法を考えたらどうか」と述べるなど6、しばしば失言と批判を受ける発言を行ったことも、鳩山氏を総理総裁の座から遠ざける遠因となったのでした。


蝶の収集や専門家並といわれた料理の腕前などは大衆政治家として知られた祖父の一郎氏の面影を髣髴とさせるとともに、政治上の資源を効果的に活用できなかった点は父の威一郎氏と同様であった邦夫氏は、学究的な側面を父から引継ぎ、「ワンマン」と呼ばれた吉田茂の退陣という政治的な巡り合せのよさによって首相となった一郎氏と同様に自民党の自滅的な敗北によって首相となった由紀夫氏とともに、最後まで「名門鳩山家の御曹司」7であったというべきでしょう。


1 田中派の51年組、30日に"融和"会合. 日本経済新聞, 1985年8月14日朝刊2面.
2 「鳩山系」109人、自民で存在感. 日本経済新聞, 2014年8月25日朝刊2面.
3 鳩山邦氏が総裁選見送り. 日本経済新聞, 2006年9月6日朝刊2面.
4 鳩山邦夫さん、人気爆発の4代目. 毎日新聞, 1976年12月6日夕刊11面.
5 造反議員に厳しい処分政府・自民. 日本経済新聞, 1987年3月3日朝刊2面.
6 鳩山法相、「署名なしで死刑執行を」. 日本経済新聞, 2007年9月25日夕刊23面.
7 文相鳩山邦夫氏、「御曹司」の殻破れるか. 日本経済新聞, 1991年11月6日朝刊4面.


<Executive Summary>
Critical Biography: MP Kunio Hatoyama, a Life of Son of Noble Family (Yusuke Suzumura)


MP Kunio Hatoyama, a former Minister of Internal Affairs and Communications, had passed away at the age of 67 on 21st June 2016. He became some ministers in five cabinets but he could not take a role of the Prime Minister of Japana.


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