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2012/08/15

ロベルト・シュトルツ「ザロメ」の変容

Tweet ThisSend to Facebook | by Boccaccio '15
以前バートン・クレーンを取り上げた際にもご紹介したCD『日本のジャズ・ソング~戦前篇・創生期のジャズ~』には、天野喜久代・柳田貞一の歌う「サロメ」(1929年録音)なる楽曲が入っています。

日本のジャズ・ソング~戦前篇・創生期のジャズ~
オムニバス, 天野喜久代+コロムビア・ジャズ・バンド(デキシー・ミンストレル・オーケストラ), 天野喜久代, 沢智子, 井上起久子+プリンシパル・ジャズ・バンド, バートン・クレーン+コロムビア・オーケストラ, バートン・クレーン+コロムビア・ジャズ・バンド, 二村定一, 三輪慎一+コスモポリタン・ノベルティー・オーケストラ, 深沢五郎+コスモポリタン・ノベルティー・オーケストラ, 天野喜久代+カアイ・ジャズ・バンド
ブリッジ(2006/10/05)
値段:¥ 2,100

原盤SPからの音源はインターネット・アーカイブにも上がっていて、フルコーラスを聴くことができます。

Kikuyo Amano & Teiichi Yanagida - Salome 1928 [Internet Archive > Audio Archive]

『日本のジャズ・ソング』ブックレットの解説によると、「昭和4年1月浅草電気館レビューの「サロメはジャズる」というコメディの主題歌」として世に出た楽曲だそうです。タイトルを見る限り、その演し物が〈まとも〉なサロメ劇だったとは考えにくく、おそらく大正7、8年頃から浅草で多数演じられた「原作とはかなりへだたった、いわばエロチックなオリエント・ダンスを見せる際物」[井村君江『「サロメ」の変容──翻訳・舞台』(新書館、1990年)、128ページ]の系譜に連なるものだろうと想像されます。

「サロメ」の変容―翻訳・舞台
井村 君江
新書館(1990/04)
値段:¥ 2,447


とはいえ堀内敬三訳とクレジットの付いたこの曲の歌詞は、「うばだまの黒髪、花の唇/情けの露浮かべて輝くまなこ」[筆者の聞き取りによる。以下同じ]といった調子で、詩語を多用した格調高い(というよりは、ほとんど大時代と言っていい)ものです。

さて、この曲は、ウィーンのオペレッタ作曲家/指揮者のロベルト・シュトルツが書いた「ザロメ」(1920年)[Robert Stolz “Salome”]のメロディーを借用しています。

Salome,” Robert Stolz: Songs from Great Viennese Operetta[リンク先で一部を試聴可]

アルトゥル・レブナー[Arthur Rebner]によるドイツ語歌詞は、ウィーンからサハラ砂漠にやって来た若い研究者が、サロメを連想させる女性の虜になるという物語を描いています。そうとはっきり書かれてはいないけれど、この女性はおそらく生身の存在ではなく、砂漠の蜃気楼(と、男性主人公の古代への憧れ)が描き出した幻にすぎないように読めます。

同じ曲にバートリー・コステロ[Bartley Costello]が英語の歌詞をつけた楽譜(1920年)も現存し、米ベイラー大学図書館が全ページを公開しています。こちらはアラブの馬を駆る若い族長が、胸に秘めた理想の女性への憧れを吐露する内容。

Sal-O-May (Salome): Song of the Orient and Fox-trot [Frances G. Spencer Collection of American Popular Sheet Music, Baylor University Libraries Digital Collections]

この時代のニューヨークでの録音が、米国議会図書館ナショナル・ジュークボックスで聴けます。ただしインスツルメンタルで、歌詞は入っていません。

Sal-O-May: Fox Trot by Joseph C. Smith’s Orchestra, 1921-09-20 [The Library of Congress > National Jukebox]

独英どちらのバージョンも、聖書の登場人物であるサロメその人を歌ったものではありません。サロメという名前は、いずれも男性主人公が憧れる架空の女性への呼びかけに使われています。

とはいえこれらの憧れの女性の姿には、ワイルド[Oscar Wilde]を通して一般的になったファム・ファタールとしてのサロメのイメージが、明確に投影されています。どちらのテクストの場合も、そこに描かれる女性は非西洋人であり、踊る姿で男性主人公を魅了します。ドイツ語版には“deine Küsse sind süßer Tod”(そなたの口づけは甘美な死)という表現さえ出てきます。英語版にはワイルドのサロメへのそこまで直接的な言及はないけれど、たとえば“There’s a lance in your ev’ry glance”(お前の眼差しには槍が潜む)といった表現は、この女性の抗いがたい魅力が血や死と隣り合わせのものであることを、それとなく仄めかしているでしょう。

一方、堀内版の「サロメ」は曲の冒頭に「ユダヤの王女サロメ、ヘロデの前に/花の冠かざして踊り狂えば」とあり、聖書のサロメのエピソードを描いたものです。ただしそこに登場するのはサロメとヘロデのみ。サロメが執着したヨカナーンはそもそも登場せず、従ってその首への接吻も描かれません。一応、「悩ましい心を/語る君が麗しさよ」との表現はあるので、サロメが誰かに恋している設定ではあるらしいけど。

堀内版が描くのは、踊るサロメに魅了されたヘロデの恋情のみです。ヘロデがサロメの継父であることの説明もないので(むろん、サロメは浅草の人気演目だったので、別のところでその知識を得ていた聴衆も少なくなかったでしょうが)、そのへんに背徳感を見いだすことも難しい。むしろヘロデは、サロメに魅了されたすべての聴衆を代表する存在として、聴衆のサロメへの賞賛を代弁させられているにすぎない印象です。

このあたり、この曲が主題歌となっていた「サロメはジャズる」なるショーがどういう内容だったのか、非常に気になります。ヨカナーンとその斬首は描かれているのか、ヘロデの描かれ方はどうか。

さて、シュトルツの「ザロメ」は上に挙げたように器楽のみの録音も多いので、正直わたしは最初、堀内が元歌の歌詞の内容を知らずに新しく日本語詞をつけたのではないかと疑っていました。でもそうとも言えないようです。

まず、上にも引いた「うばだまの黒髪、花の唇」という歌詞。これは2番の歌いだしなのですが、同じ箇所のコステロのテクストはこうなっています。“Dark as the wing of a raven, her hair, Roses a bloom [sic] on her cheeks”(烏の羽のように黒いその髪、頬には薔薇が咲く)。

「うばたま」の表記の1つが「烏羽玉」であることを考えると、完璧すぎるほどイメージのはまった翻訳です。頬が唇に変わってはいますが、堀内版がコステロ版と違ってサロメその人を描いていることを考えると、(曲中に描かれてはいないものの)やがてヨカナーンの首に接吻する、その唇を強調したかったのかもしれません。

もう1点、歌詞の全体的な構成も、堀内版はコステロ版に近いです。

この曲は1番2番とある有節歌曲で、それぞれの節はA-A′-B-B′の形式をとります。

レブナーのドイツ語版の場合、1番と2番のいずれも、A-A′の部分では3人称による叙述で出来事が描かれ、B-B′の部分(サビ)では女性に対して2人称で呼びかけながらその魅力を讃える、という構成をとります。

これに対しコステロの英語版と堀内版は、出来事は作品の冒頭に、ごくわずかに描かれるだけです。3人称による叙述が登場するのは、コステロ版では1番のAのみ、堀内版も1番のA-A′まで。続く1番のサビ、それから2番の全編にわたって、どちらの版もひたすら、女性への2人称での呼びかけが続きます。

レブナーのドイツ語版がどちらかと言えば、出来事を伝えることに重きを置いているのに対し、コステロ版と堀内版は、最低限の状況説明をしてしまったら、後は女性への讃美をうわごとのように繰り返すばかりで、客観性のある叙述には戻ってきません。

上記の2点から、おそらく堀内はコステロの英語版の歌詞を見てはいただろうと考えるようになりました。それでも「ユダヤの王女サロメ」を主人公とするショーの主題歌として使う、という要請のために、堀内はコステロ版の内容をそのまま訳して使うわけにはいかなかった。こうして誕生したのが、戦前浅草のジャズ・ソング「サロメ」ということになります。

さて、シュトルツのこのメロディーは、1960年代のヨーロッパで再びヒットすることになります[この項つづく]。
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