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2019/07/25

偽中国語と変体漢文は何が違うか?

Tweet ThisSend to Facebook | by SoTANAKA
 このごろインターネット上で「偽中国語」が流行しているそうで、これと前近代の日本で用いられた「変体漢文」との類似性を指摘する声もあるようです。私は現在、平安鎌倉時代の変体漢文を主な研究対象にしているので、これは興味を引かれる考えです。
 両者の具体例を見てみましょう。Aが現代の偽中国語、Bが鎌倉時代の変体漢文の例です。Aの例は中国情報サイト「Record China」の2019年7月17日の記事
[注1]から引用しました。

 A:我等、滅龍也!日本之書店也!本日微博運営開始!諸君追跡宜願! [注2]
 B:糸惜思食之間、重所被仰遣也。(吾妻鏡・文治4(1188)年4月12日条所収文書)

 こうして見ると、確かに偽中国語と変体漢文とには共通するところがあります。具体的には、(1)日本語の知識に基づいて(2)中国語的な表記を行っている、という点で両者は共通しています。なおこの(1)と(2)は一般に変体漢文の定義(つまり変体漢文が持つ最も重要な特質)と見られているものですので、この2点で両者が通ずるということは、もはや偽中国語は変体漢文とだいたい同じだと言ってしまって良いようにも思えます。
 しかし一方で、両者には看過できない相違も存するようです。勿論、両者が使われている場にはかなりの違いがありますが(偽中国語は現在のところ言語遊戯の枠を出ていませんが、変体漢文は長きにわたり公文書・私文書・日記などに常用されました)、それを除いて、純粋に表記法という観点からしても、差し当たり次の2点が両者の相違点として指摘できると思います。

 1点目は、「偽中国語は仮名を使わない」ということです。これは当たり前のことに思われるかも知れません。偽中国語の一義的な意図が「中国語らしく見せる」ことであるとすると、一目で日本語とバレてしまう仮名を使うことはあり得ないからです
  一方、変体漢文では仮名を使います。より厳密に言うと、平安鎌倉時代の変体漢文の総体を見ると仮名を使わないものが圧倒的に多いはずですが、仮名を用いた例を見つけることもそう難しくはありません。次はその例です。

 ・又云「誇たる歌になむ有る、但非宿構」者。(小右記・寛仁2(1018)年10月16日)
 ・御寺事、件人あしさまに奏之由歟。(殿暦・元永元(1118)年8月3日)

 このように、変体漢文には仮名の使用を厭わないものがあるということは、その成り立ちにおいて偽中国語と基本的相違があることを窺わせます。

 2点目は、「偽中国語は読み下せない」ということです。例えば、先掲の「諸君追跡宜願!」は、その意味するところは日本語話者には明らかながら、これを「読み下す」システムを我々は持ち合わせていません。これを敢えて読むとしたら、「ショクン ツイセキ ギガン」と音読みするしかないでしょう。
 他方、変体漢文の例として掲げた「糸惜思食之間、重所被仰遣也」は、「いとおしく思し食(め)す間、重ねて仰せ遣わさるる所なり」という完全な日本語文として読み下すことができます(返り点を付けると「
糸惜思食之間、重所仰遣」となります)。これは、現代の我々がそう読めるというだけでなく、当時の人もそのように読んでいました(少なくとも、じっくり読む時には)。これが可能なのは、各字に訓を当て、適宜補読し、また日本語の語順に合わせてひっくり返って読む、いわゆる「漢文訓読」のシステムが背景にあるからです。
 つまり、変体漢文が、漢文を「読む」ためのものである漢文訓読というシステムを言わば逆方向に用いることによって日本語を漢文式に「書いて」いるのに対して、偽中国語はそのような「読む」システムの裏付けなく書かれている、ことになります[注3]これもやはり、両者の成り立ちの違いを示す点と言えるでしょう。

 * * * * * 
 
 さて、上で挙げた2つの相違点は、実は共通して、変体漢文と偽中国語のある重要な違いを示唆しています。まず上記の2つの相違点をまとめると次のようになります。

 偽中国語... 仮名は用いない。訓読できない。
 変体漢文... 仮名を用い得る。訓読できる。

 これらのことから窺えるのは、「変体漢文は日本語を志向するのに対して、偽中国語は日本語を志向しない」ということです。変体漢文は日本語文として読み得るものとして書かれています。それを原理的に可能にしているのは訓読というシステムであり、仮名の使用はそれをサポートしています。一方、偽中国語は日本語を発想のベースとしながら、日本語文として読み得るものとして書かれてはいませんし、それをサポートする仮名の使用も行いません 。元の日本語に復帰するシステムを持たないという点で、変体漢文よりも偽中国語の方が一般的な「翻訳」に近いと言えます。
 このことを別の角度から言うと、本質的に中国語に近いのは変体漢文よりも偽中国語だということになります。偽中国語は、実は「偽」の中国語というよりも、「めちゃめちゃ下手」な中国語と言った方が実態に近い。それに対して変体漢文はそもそも日本語文を書こうとしている点で、言語としての中国語からは隔絶していると言えます。その意味で変体漢文は、現在私たちが使う漢字仮名交り文と本質的に変わりません。ただある程度「漢文式」を目指すということから表記上の制約が比較的大きいというだけのことです。

 現代日本語は漢語(これは言い換えれば中国語からの外来語です)を多く含み、それらは「登山」(=山に登る)、「卒業」(=業を卒(お)える)のようにVO式の、つまり中国語と同じ文法構造を持つものが沢山あります。このような日本語の文が、漢語を更に多用し且つ仮名を削除する形で整えられたものが「偽中国語」です。よって、結果的にかなり中国語らしさを示すことになる一方、もちろん本来の中国語にはない要素を多く含んでもいます(漢語の中にも和製のものが少なくないことが知られています)。これにより、偽中国語は一種のピジン(混合言語)と言うべき様相を呈していると言えるでしょう(実はこれも既にネット上で指摘されています)。なお変体漢文も、漢文の要素と日本語の要素とが混在しているということでピジンと見なされることがありますが、上記のようにあくまで「書き方」として漢文式を借りているだけであって、先の「いとおしく思し食す間…」のように、読み下した結果は紛う方なき日本語文ですので、変体漢文をピジンと見ることは適切ではありません。

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 以上、半ば戯れに両者の比較検討を行った次第ですが、実際に較べてみると、変体漢文を先掲の(1)「日本語の知識に基づく」と(2)「中国語的な表記を行う」という2点(のみ)で規定するのは実は不十分であるということが分かる等、思いの外に有益でした。

 変体漢文は一見すると他に類例のない異様な現象と思えるのですが、実際には朝鮮の「吏読文」や、中国語とモンゴル語の混淆した「漢児言語」など、共通する特徴を持つ言語事象は他にも存します[注4]。こうしたものとの共通点と相違点を検討することが、日本の変体漢文の普遍性と独自性それぞれを炙り出す上で必要だとは思っていましたが、嬉しいことに偽中国語もそうした対照資料の一つとなりそうです。偽中国語の今後の展開にも注目したいと思います。此雑文御高覧大変感謝!



[1]「日本の大手漫画専門書店が偽中国語連投、中国人も偽中国語で応答「君偽中国語素晴」「運営苦労様追跡用意」」(https://www.recordchina.co.jp/b729668-s0-c30-d0054.html)。2019年7月25日最終閲覧。
[2] 「滅龍」は書店名(メロンブックス)の音訳。「微博」は中国のソーシャルメディア。 
[3]   但し「日本之書店也!」は恐らく「日本シ書店ヤ!」ではなく「日本の書店なり!」と読む人が多いだろうと想定されます。この部分は、実は偽中国語の生成法としては例外的に、訓読に依拠して作られた部分と見なすことができます。訓読がいかに日本人に染みついているかを物語るものと感じます。 
[4] ご関心の向きは、金文京氏の名著『漢文と東アジア―訓読の文化圏―』(岩波新書、2010年)をご参照下さい。日本の変体漢文についても言及があります。

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