研究ブログ

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The Compassionate Engagement and Action Scalesについて

さて、Neffのセルフ・コンパッション尺度については、その概念や構造についていろんな議論が持ち上がっています。

一つの意見として、多くの要素を包含しすぎているという点があります。

Prof. Paul Gilbertはよりシンプルなコンパッションの尺度を作りました。

それが上記の尺度ですが、この雑誌の出版社は大手のBMCなんですが、この雑誌自体はPubmedにもPsycinfoにも?Indexされていないようです。

そもそもhomeに移動してもジャーナルの情報がなんもないという新規のジャーナルのようです。まぁそれはさておき、コンパッションの定義についてです。

Paulはコンパッションを“sensitivity to suffering in self and others 2. with a commitment to try to alleviate and prevent it”と定義しています。Neffのそれはあくまで自己に対するコンパッションに限定していますが、それにしてもシンプルな定義をPaulは用いています。

この尺度の特徴は、コンパッションをEngagementとActionの2側面から測定することと、コンパッションを他者へ、他者から、自己への3つの方向性があるものとして測定できることです。

Engagementはsensitivity to sufferingを反映していると思われます。つまり、自分や他者の苦しみに敏感であること。Actionはそれに基づいて行動や関わりを起こすことができること。

3つの方向性については、他人に対して思いやりを持つこと、他人からの思いやりを受け取っていること、自分に対して思いやりとなりますが、当然ながらこれらは違いますよね。


ちなみに、最初はEngagementではなく、Attributeと表現をしていましたが、作成過程でEngagementと表記を変えたようです。

また、名称もCompassion Scaleという言い方を最初はしていました。すごくシンプルな名称ですが、本当にコンパッションの要素のみを測定したいという意思が見えていたのかもしれません。

この尺度の日本語版は2019年3月に開催されるACT JAPANの年次ミーティングでポスター発表する予定です。

次回は(まだまだ少ないけど)、この尺度(CEAS)を使った研究をレビューしたいと思います。

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Dr. Neffによる反論論文:The Self-Compassion Scale is a Valid and Theoretically Coherent Measure of Self-Compassion

さて、Dr. Neffも非常に力強いタイトルで反論をします。

Abstractが完全にMuris&Petrocchi論文へのアンサーソングとなっています。

そもそもの開発過程で確認的因子分析を行っていることや、その因子構造が再現もされている。信頼性、妥当性もあり、社会的望ましさも除去できている。自己批判やネガティブ感情を統制しても、SCSが不安やうつと負の相関を持つことが示された先行研究もある。

6因子構造もしっかりと数多くの研究で(Arimitsu, 2014 を含む)支持されている。一方で、高次因子については研究によって支持されたりされなかったり(ここはポジティブとネガティブで分けるべきというMuris論文への反論か?)。

こうした背景を踏まえ、Dr. Neffはbi-factorモデルを提示します。bi-factorモデルは簡単に言うと、複数の因子を持つ尺度について、general factor とspecific factorを持つことを想定したモデルです(Fears of Compassion Scale日本語版もこのモデルを採用しています)。このモデルの利点は、下位因子毎の得点も妥当だし、因子得点を足しあげたものも妥当だよ、と言える点だと勝手に思っています。

ですので、SCSの因子構造と理論を考えれば、bi-factorモデルの方が望ましいはずです。

この論文の中では5つの異なる集団に対して行った調査で、SCSでは6因子モデルが高次因子モデル、bi-factorモデルよりも高い適合度を示したとされています。

※上記の主張はsubmittedの論文を引用しているのだが、実際に出版された論文「Examining the Factor Structure of the Self-Compassion Scale in Four Distinct Populations」ではbi-factorの方が適合度が高く、そもそも集団数が5から4に減っているという怪現象が起きている。何があったのか!→Communityのサンプルを健康な集団、不健康な集団と分けていたのをまとめた様子。でもなぜだろう。。。望ましい適合度が得られなかった?という邪推もしてしまいます。

↓はExamining the Factor Structure of the Self-Compassion Scale in Four Distinct Populationsからの引用https://www.tandfonline.com/doi/full/10.1080/00223891.2016.1269334

ね。bi-factorの方が適合度指標の値が良い。理論的にもbi-factorの方が良いと思うので、ここは疑問が残る(bi-factorモデルへの理解の仕方がちょっと違った段階で書いた反論だったのかな?)。

いずれにせよ、結論としては因子構造としては6つの下位尺度を想定することは妥当であるということ。

ただ、この比較に使っているモデルがMurisからの指摘を反映しているかというとどうだろうかとも思う。この研究は6因子の妥当性を示してはいるが、Murisからの疑問には応えられていないのではないだろうか。

と思いきや、今年に入って、さらなる反論論文が!

(勢いを感じますし、Dr. Neffは怒っているのではないかなどと想像してしまいます)

20の集団からのデータ!しかもMuris論文への反論になっていないのではないか?という上記の私の疑問に応えるモデルの比較をしています。

ポジネガを足しあげていいんだよというbi-factorモデルと、ポジとネガを分けて想定しているtwo bi-factorモデルの比較です。

が!two bi-factorの方が適合度は高い!!!Murisの指摘を支持する結果です。

ですがこの論文ではESEMの因子負荷量がtwo bi-factorではいまいちで、single bi-factorの方が分散を説明しているので、Murisの指摘はあたらないよという結論に至っています。

CFAやbi-factorモデルについては勉強したのですが、ESEMは全く知らないのでここら辺はどうなんでしょうね。どなたか詳しければ教えてください。少なくともRMSEAの比較ではMurisの指摘を支持した結果ではないでしょうか。

いずれにせよ、今後もこれらの議論は注目です。


また、もう一つ気になったのはそもそものセルフ・コンパッションの定義です。Dr. Neffはコンパッションはもともと自己に対するものを包含していないという立場から、それを自己に向けることをセルフ・コンパッションとしたようです(Neff, 2003)。その際に、もともとのコンパッションの概念を拡張してセルフ・コンパッションの3つの要素、6つの下位尺度を提唱しています。

MurisらはGilbertの考えに近く、それはコンパッションの概念を拡張しすぎているのでは?と考えているようです。

This critical point has to do with Neff’s (2003a, 2003b) definition of self- compassion, which is rather unusual and unique. Most Buddhist, secular and dictionary definitions of compas- sion are linked to the capacities of being attentive to suf- fering and being motivated to do something to relieve or prevent it (Gilbert, 2009; Goetz, Keltner, & Simon-Thomas, 2010). 

とあるように、Dr. Neffのセルフ・コンパッションはコンパッションではないものを含みすぎているのです。

これは私がコンパッションやコンパッション・フォーカスト・セラピーに関心はあるが、セルフ・コンパッションには懐疑的である理由です。いろんな側面が入り込みすぎていると感じます。

コンパッションを高めるとDr. Neffのセルフ・コンパッションが高い状態になると思います。一方で、ごちゃっとした定義になっているせいで、操作可能な独立変数としては成立しないのではないかと感じています。従属変数としてその人の状態を把握するのにSCSは優れているけど、セルフ・コンパッションを高めるといったときに、難しさが生じる方も(おそらくは健康度が高ければ難しくないが)一定数おられるのではないでしょうか?

セルフ・コンパッションを高めるということを自己訓練で出来れば、本当に素晴らしいです。ただ、自分一人でそれが難しい時には、セルフ・コンパッションではなく、コンパッションを高めるための支援(コンパッション・フォーカスト・セラピーやコンパッショネイト・マインド・トレーニング)が役に立つのではないかと考えます。

 ↑ これはあくまで私の考えで、いろんな考えの方がいていいし、そうであるべきだと思います。

いやー、しかし、長い文章になりました。でも勉強になった。


+++ ちょっと気になったこと +++

Neffはこの論文でSCSが世界中で使われていると述べていますが、日本もその中に含まれています。しかし、引用されているのは以下の論文です。(Arimitsu (2014) は別の個所で引用されている)

私が知る範囲でもSCSは3つのバージョン(有光先生、宮川先生、石村先生のもの)が出回っていますが、上記の論文ではそのいずれも引用されていません。おそらく尺度作成はせず、翻訳したものをそのまま実施して、解析したものと推測します。

コンパッションやCFTの研究成果を日本語で発表すべきという意見をたまにいただきますが、こういう例を見ると、やはり得られた成果を英語で紹介することは重要だなと思いました。

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Self-Compassion Scale(セルフ・コンパッション尺度)についての議論(19/2/24追記)

"The Development and Validation of a Scale to Measure Self-Compassion" (Neff, 2004)で発表されたSCS尺度

上記のよう有光先生が日本語版を開発してくださっています。

自分へのやさしさ(5 項目),自己批判(5 項目),共通の人間性(4 項目),孤独感(4 項目),マインドフルネ
ス(4 項目),過剰同一化(4 項目)の 6 下位尺度から構成され、合計得点をセルフ・コンパッションの得点として使います。


しかし、2016年になりイタリアのPetrocchiらが、ポジティブな下位尺度とネガティブな下位尺度で異なる特徴を持っているのではないか、ネガティブな下位尺度を逆転させて合計得点を算出していることが、精神的健康との関連を過剰に示すことにつながっているのではないかと指摘しました。

"Protection or Vulnerability? A Meta-Analysis of the Relations Between the Positive and Negative Components of Self-Compassion and Psychopathology"という論文(Muris and Petrocchi, 2016)で、

こうしてみると、赤いポジティブな要素と、青のネガティブな要素で相関の大きさが結構違います。つまり、精神的健康への影響は「自己へのやさしさ」<「自己批判」となっており、セルフ・コンパッションの概念をちゃんと反映していないのではないか?という指摘です。

「自分にやさしい」ことよりも、「自分に厳しくない」ことの方が精神的健康を予測することになります。そうなるとネガティブでないことの方が重要となり、セルフ・コンパッションの魅力として語られることの多いポジティブな要素が実際以上にもられてない?という指摘が成立するわけです。

これに対して、Neffはそれはもう結構な勢いで反論論文を書いていますが、それは次回以降の投稿で紹介していきたいと思います。

以下、追記

上記の論文で参照された研究18のうち、6つはSCSをより細かく検証している。そして、下記のようにネガティブな下位尺度の方が精神病理性との関連が一貫して示されているとしている。

”For the positive indicators of self-compassion, unique contributions were found for mindfulness (in 4 out of 6 studies) and self-kindness (in 2 out of 6 studies), whereas common humanity never emerged as an independent predictor (in 0 out of 6 studies). 

For the negative indicators, unique predictive value was found to be remarkably better: self- judgment, isolation and over-identification each showed unique significant contributions in 4 out of 6 studies. ”

果たして、SCSを単純加算してよいのだろうかと思いますし、実際にこの論文ではポジとネガを分けて分析すること、ネガティブな下位尺度を外して使用することも選択肢であるとしています。

As a result, the three dimensions of self-kindness, common humanity and mindfulness as rep- resented in the SCS/SCS-SF are not necessarily distinctive of compassion, but seem to tap a number of already known protective factors.

上記の文とかけっこう過激ですね。別の個所でも、そもそもの定義について踏み込んだ発言をしています。

どおりでDr. Neffもこのあと、反論論文を連発するわけです。

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Compassionに対する誤解


Paul Gilbert教授がCompassionに対する誤解について述べています。

http://www.huffingtonpost.co.uk/professor-paul-gilbert-obe/compassion-universally-misunderstood_b_8028276.html

要約しますと、

・コンパッションとは言うと、やさしさととらえられることが多いが、その中核は「勇気」である。
・優しさはむしろコンパッションな状態になるための一手段である
・優しい人がいつもCompassionateにふるまう勇気をいつも持っているわけではない

Compassionは2つの特徴を持つ。














1.痛みや苦しみに立ち向かい関わり、触れる勇気(避けたり無視するのではない)。

2.苦しみに直面したときに適切にふるまうための知恵を獲得する準備性。

Compassionateであろうとする勇気とは、自他の中にある苦しみの起源と原因を理解しようとする意志である。
我々の身体や脳は危うい存在でもあり、それは我々が望んでそうなっているわけではない。けが、病気、廊下、突然の死を経験する存在である。


我々が今の我々であることは、様々な社会的な養育であったり文脈の結果、たった1つのバージョンとしてここにいる。他者もそうである。

This is the basis of compassionate wisdom.

様々な病気に対して遺伝的要因を考慮するのと同様に、
私たちはどのように社会的で支持的な自分にとって最善の環境を構築するかを学ばなければならない。
それを邪魔するものはたくさんある、だからこそ努力と勇気が必要になる。


コンパッションはただのやさしさや柔らかさではないし、弱さでもない。
強さや勇気の最も重要な宣言の一つである。


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