論文

査読有り 筆頭著者 最終著者 責任著者
2011年9月20日

F.ウェーランド Elements of Moral Science と阿部泰蔵訳『修身論』:明治初期の翻訳教科書をめぐって

【博士論文】
  • ミヤン マルティン アルベルト
  • ,
  • Millán Martín Alberto

記述言語
日本語
掲載種別
学位論文(博士)
出版者・発行元
大阪大学

明治初期の日本では、米国のバプテスト派牧師F・ウェーランド(1796-1865)の著Elements of Moral Science縮約版(1835年)を翻訳または翻案した本が何種類か出版された。ウェーランドは、学術都市プロビデンスのブラウン大学で学長を務めていたので、当時すべての教科の上位と認められる「道徳哲学」の科目を担当していた。その授業で自分の教科書を使用する志を持ったことが、倫理の理論と実践を論じるElements of Moral Scienceを著した理由である。この書の前編は、キリスト教の教義に基づく道徳法を扱い、道徳的行為を規定する最大の基準として、因果関係の自然法に類似する道徳法、人間だけが持つ良心、および権威ある聖書の三つを挙げている。後編は、平等的・相互的な人間関係、個人の自由、所有と商取引、真実性、親子の義務と権利、政治の本質および形態、慈悲などを扱っており、同書の主要部分である。さらに、後編で述べられた倫理思想を広めることがElements of Moral Scienceの究極目的であった。ちなみに、その思想は、ウェーランドの最も影響力を持った教科書Elements of Political Economy(1837年)の基礎となった。倫理と経済を論じるウェーランドの二書は、現在は忘れ去られたものの、当時は広く読まれ、南北戦争前にアメリカ民主主義と資本主義の発展に大きな影響を与えたことは確かである。

ウェーランドの二冊の著書が日本に導入されるのは、明治維新後の文明開化と近代化の時代である。「英学」学校などで教材として使われるほか、欧米の民主主義的価値観や政治経済システムを知るための手段と考えられた。福沢諭吉は、慶應義塾で西洋文明を講義するために両書を用いたが、特にElements of Moral Scienceに感銘を受け、その思想を『学問のすゝめ』に取り入れた。ほぼ同時の1871年に新しく設置された文部省は、翌年に近代的な教育制度を定める「学制」を公布したときに、小学教育の二学年前期でElements of Moral Science縮約版の日本語版を「修身」の標準教科書として推薦した。そこで、文部省は、当時編輯寮に勤めていた福沢諭吉の門下生・阿部泰蔵(1849-1924)に翻訳教科書『修身論』(三巻)の作成を担当させた。1873年2月にキリシタン禁制の高札が撤去されると、ようやく本書は刊行された。1874年1月のことである。やがて『修身論』は各地域に広範に普及し、小学校で使用されるだけでなく、一般の読み物としても広く読まれた。しかしながら、欧米の文明国の制度に倣って誕生した「学制」は1879年に廃止された。さらに、1880年代になると、自由民権運動に対する反動として伝統的な儒教的倫理の復古が促進され始めた。これらによって、西洋倫理思想を翻訳的に紹介する『修身論』とその原著は、ウェーランドの名と共に急速に歴史から姿を消してしまう。

学制期(1872-79年)にウェーランドの両書は大人気を得たので、同時期に日本で「ウェーランド・ブーム」が起こったと言われている。Elements of Moral ScienceおよびElements of Political Economyが福沢諭吉や明治日本に与えた影響については、先行研究が既に存在する。さらに、約十種類が現存するElements of Moral Science縮約版の翻訳書は、先行研究において言及されており、阿部泰蔵訳『修身論』の顕著な特徴として、前編の終わりならびに後編の始めの数章を訳出しなかった事実が紹介されている。聖書の権威や宗教的な義務を扱う数章であるため、その削除の決定的な理由としてキリスト教禁教のあることが、先行研究の中で指摘されてきた。ところが、筆者は阿部がキリスト教関係の箇所を翻訳しなかったもう一つの理由があると考える。それは、阿部が独自の翻訳方針を打ち立てていた事実である。

それを確証するために、本論では、阿部泰蔵が訳出した章節の中においては、キリスト教関連の内容をどのように扱っているかを実証した。『修身論』(1874年1月)をウェーランドの原著ならびに山本義俊訳『泰西 修身論』(1873年6月)と平野久太郎訳『米人淮蘭徳著 修身学』(1875年6月)との対照比較を行うことによって、阿部泰蔵訳の特徴が対照的に見え、より明瞭に把握することができた。なお、本論の比較分析調査でわかった主要な点は、次の通りである。

まず、山本と平野の翻訳書は、両方ともキリスト教を紹介する翻訳書である。平野は、日本的な用語を使ってキリスト教関連用語の訳を試み、逐語的な翻訳を行っている。理解不能な直訳が多すぎて、キリスト教を知らない日本人にとって非常にわかりにくい翻訳書であろう。一方、山本は、主に仏教の用語を借りて、意味が難解な箇所に簡単な解説を補足している。たまには仏教などと比較対照をしながらキリスト教を紹介しており、不正確な情報を伝えることもある。日本人の持っている知識を利用してキリスト教を厳密かつ丁寧に紹介しようとする意図が窺えるが、あまり成功していない。例えば、キリスト教において積極的である黄金律を、論語の言葉を借りて消極的に訳出してしまっている部分がある。神やキリストに関する神学的な理論の訳も、正確とは言えない。

次に、これまで注目されていなかった阿部泰蔵訳『修身論』の特徴と、原著との内容上の関係を、以下のように明らかにした。

阿部の教科書は、キリスト教に基づく倫理を教えているとはいえ、平野や山本のものと違って、キリスト教の教書ではなくなっている。阿部は、数多の用語や表現を削除または翻案し、特に前編の場合はある程度まで儒教風にまたは一般的に日本風に解釈できる教科書を作成した。例えば、黄金律を訳すために論語の言葉を借りているが、正しく積極的に表現している。阿部は、善悪の因果関係などという古今東西の共通点を巧みに翻訳しているが、神学的な理論をはじめ日本の社会に合わない根本的に異質な要素を殆ど削除・翻案している。

具体的に、キリスト教関連のキーワードの翻訳は、曖昧な表現を使う傾向にある。例えば、イエス・キリストと聖書への言及を訳出する場合、それぞれ「賢人」(たまには「先賢」)、「経典」(たまには「古書」)と表現している。ウェーランドが作品中に挙げる例話や実話においては、阿部は聖書上の人物を削除または翻案をする一方、歴史上の人物を正確に訳出する強い傾向にある。割注で補足説明している場合もあり、西洋事情に関する阿部泰蔵の関心が窺える。

『修身論』では、聖書は道徳的な行為をなすための最大の基準として登場しない。ウェーランドの原著では人間が神から授かった善悪の区別の基準は、因果関係の自然法、良心と聖書の三つがあるのに対して、『修身論』では善悪の因果応報と「本心(=良心)」の二つしかない。前者は、善行が幸福や満足という善果をもたらし、悪行が後悔や心配という悪果をもたらすという法則で、仏教圏の日本では理解が容易であったであろう。後者は、齟齬する点もあるが、少なくとも儒教風に解釈できる。さらに、阿部の言う「経典」は、聖書や論語など権威ある書物ではなく、特定されない参考書として用いられている。そこで、『修身論』で展開されている論点は、特定の、権威ある書物の言葉によって裏付けられなくても、ウェーランドが文中に挙げる一定の普遍性を持つ日常生活の具体的な例示を根拠としている。

もう一つの問題点は、キリスト教の神を意味する様々な表現をすべて「天」と訳した点である。阿部泰蔵訳『修身論』における「天」は、キリスト教の神の性質を幾分帯びながら、儒教・仏教・神道・民間信仰などにおける日本的な「天」の様々な特徴を含み、いわば世界共通の漠然とした「天」であると考える。本論ではこの「天」の意味を検証し、判明した特徴を整理した。柳父章によれば、明治初期の啓蒙思想家が使っていた「天」は、統一した社会のシンボルであり、古い時代と断絶しないまま新しい近代時代に繋がる役割を果たしていた。従って、阿部はこの「天」の使用に訴えた点で、日本の読者にとって受け入れられやすい教科書を作成したと筆者は考える。

倫理教科書は、対象読者の行動を指導しようとする点で、客観的な情報の伝達を目的とする歴史や科学の教科書とは明らかに違う。それゆえ、阿部泰蔵がなした翻訳を正しく評価するためには、機能主義的翻訳の観点を持たなければならないのである。阿部が、キリスト教の教義を扱う内容を削除または翻案したのは、後編で扱われる実践倫理の導入に目的を置いたからである。こうして、特に前編を翻訳するに当たり、当時の日本の実情を考えて、受け入れられやすい教科書を作成しようとした。それで、キリスト教の神学や教義に言及する内容をさらりと切り抜けることで、後編の主題である人間関係や政治・経済に関する実践倫理の内容を際立たせることができたのである。従って、『修身論』は、阿部泰蔵が儒教の表現を中心に日本の既存概念を利用してわかりやすく翻訳したにも拘わらず、西洋倫理の教科書として性質を保っている。つまり、キリスト教の神学や教義が訳文から大幅に取り除かれたとはいえ、キリスト教思想に基づく実践倫理の思想は伝えられている。それは、平等主義・自由主義をはじめ、特に後編で扱われる人間関係・政治的経済的活動などに関する西洋の近代的な倫理思想である。アメリカ民主主義を語るこの記述内容が、学制期の1870年代に求められていたものであり、そして、儒教的倫理復古の1880年代に『修身論』が小学校での使用禁止を受けた理由でもある。

阿部泰蔵が行った翻訳は、意図的に原著者の意図および神学的なスタンスから乖離しているにも拘わらず、日本の読者に宗教的相違による抵抗感をあまり持たせずに、原著の究極目的である実践倫理の思想を日本に広く普及させることができた点で、大成功を収めたのであろう。

http://hdl.handle.net/11094/59150

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URL
https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I023432367-00
URL
https://iss.ndl.go.jp/books/R000000025-I005633341-00

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