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Curz, et. al. (2014). "Talking Diversity with Teachers and Teacher Educatoers: Exercises and Critical Conversations Across the Curriculum" の輪読会

●2018年8月28日,Curz, et. al. (2014). "Talking Diversity with Teachers and Teacher Educatoers: Exercises and Critical Conversations Across the Curriculum" の輪読会を行いました。

●それぞれの章の簡単な日本語版レジュメ資料を公開しています。読む際のガイドラインとしてご利用ください。

書籍情報
書名:Talking Diversity with Teachers and Teacher Educatoers: Exercises and Critical Conversations Across the Curriculum
(教師と教師教育者でダイバシティについて語ろう―カリキュラムを見通した批判的対話と教育活動)
編者:Barbara C. Cruz, Cheryl R. Ellerbrock, Anete Vasquez, Elaine V. Howes
出版社:Teachers College Press

第1部 Laying the Foundation: Diversity Education in Colleges of Education
(基本原則:大学教育におけるダイバシティ教育)
1. A Vision of Diveristy in Teacher Education
(教師教育におけるダイバシティの視点)
ELlerbrock, C. R. and Cruz, B.C.

2. Cultivatig Positive Learning Environments
(大学の教室内で肯定的な学習環境を醸成する)
Ellerbrock, C. R.

3. Critical Media Literacy: Edutaining Popular Culture
(批判的メディアリテラシー:ポップカルチャーを楽しみながら教育する)
Agosto, V. Karanxha, Z. Cobb-Roberts, D. and Williams, E.

第2部 Content-Specific Diversity Education(教科の中のダイバシティ)
4. English Language Arts Education: Valuing All Voices
(国語教育:すべての声に価値を)
Vasquez, A.

5. Social Studies Education: Promoting and Developing Inclusive Perspectives
(社会科教育:インクルーシヴな目を鍛え,拡張する)
Cruz, B. C.

6. Mathmatics Education: Challenging Beliefs and Developing Teacher Knowledge Related to English Language Learners
(算数・数学教育:教育観への挑戦,英語を母語としない子どもたちにかかわる教師の知識を広げること)
Vomvoridi-Lvanovic, E. and Chval, K. B.

7. Science Education: Exploring Diverce Visions of Science and Scientists
(理科教育:科学と科学者のダイバシティな見方を探求する)
Howes, E. V. and Lim, M

8. ESOL Education: Empowering Preservice Teachers to Acvocate for English Language Learners
(第二言語の教育:英語以外の母語をもつ子どもへの教育:教員志望学生の英語学習者に対する指導力を高める)
Kim, D. and Celedon-Pattichis, S.

9. (Foreign) Language Education: Lessons from a Journey in Rethinking "Diversity" and Thinking About Privilege
(「外」国語教育:「ダイバシティ」について捉えなおし,特権性について考える探求のレッスン)
Schwartz, A.

10. Exceptional Student Education: Utilizing the Arts to Facilitate Inclusive Environments
(特別支援教育」:インクルーシヴな環境を生み出すためのアート)
McHatton, P. A., and Vallice, R. K.

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オンライン狂騒曲から交響曲へ─学生と安心した学びを確保するために─

(元記事はこちら〈note〉)
長く苦しいオンライン授業の3ヶ月でした。


最後の日は,ほんとうに学生と喝采を上げたいくらいの気持ちで終えました。
 
5月開始当初,長い休校期間(特に1年生は長かったと思う)から開けて,「オンラインであっても授業が受けられる喜び」のようなものを学生たちからも感じていて,「慣れてないけどなんとかやっていこう」という期待と希望がそこにはありました。

ところが6月に入ったころから,学生の背負う空気に変化が見られるようになりました。数々の授業で「課題がどんどん出される」「急に成績管理される」ことによる悲鳴が上がりはじめました。教員側が遠隔授業になれていないのもあって,大学側から「例えば課題を出してそれを学生に課すことを中心でやってもよい」という当初のアドバイスを先生たちが守った結果かも知れません。とくに1年生は横のつながりも薄く(というかほとんどなく),相談先もないままひたすら個別でこれに追われはじめるようになりました。

7月に入ると学年問わず(わりと授業のない4年生は元気だった笑)疲弊するようになり,課題,管理に追われる姿を毎日見るようになりました。

期末になるとレポートの数は更に倍増し,「何の気なしに出される」(と少なくとも学生は受け取る)課題をこなすだけ,思考する隙間も,ゼミなどで+αの学びをする余裕も見受けられない状況になってきました。

 

先日,秋学期も基本的にオンラインの形態で動いていくことが決定しました。

そんな中,少なくとも教員の側の「課題提示感覚」と「成績管理感覚」は少し検討し直していく必要がないか,と心から思います。


自分がこの3ヶ月の中で,「学生たちを学びに少しでも向かわせる方法」「安心して学べるために」ということで気づいたことを少し(自分の記録のためにも)書いておきたいと思います。「当たり前のこと」なのかも知れないのですが…

1 目的と目標をどちらも明示して,自分たちで学びを調整できるようにする
2 遠くにいる学生に対して,語りかける
3 マニュアルをつくる:「自律」という名の「丸投げ」の罠
4 「管理」ではなく
5 「選ぶ」余地をつくる
6 学生同士の対話の場をつくる

1 目的と目標をどちらも明示して,自分たちで学びを調整できるようにする
目的(方向として何をめざしているのか)と目標(この課題はどういう水準でできればいいのか)を教員の側もわけて明示する。教員も混ぜがちだけれど,学生も混ぜがち。その中で,「目標」(水準)ばかりが学生も意識してしまうようになり,「この課題をどうクリアするか」「できない」「しんどい」になりがちです。
僕としては教員が伝えるべきは「目標を明示する以上に目的を共有する」ことを大事にしたい。
「僕としてはこの活動で,こういう方向のことが身についてほしいと思います」ということをしっかり伝え,活動の意図と意義を学生と共有する。その上で「自分たちが抱えている課題の量などから考えて,今はどのくらいのことができるかは自分で選んで考えてください」「ただ,方向として進んでほしいところは,理解してほしい」ということを伝えていく。目的が共有されれば,目標に達成できなくても,いいんです。

 

2 遠くにいる学生に対して,語りかける
双方向であろうが,一方向であろうが,口頭であろうが,文章であろうが,大事なのは「相手に語りかける」こと。同僚もどこかで言ってたけれど,文章であれば指示文と箇条書きだけではなくて,できるだけ,語り口調で伝える。何なら最初は日常の話から入ってもいい。口頭であれば,共感モード。自分のうまくなさも併せて伝えていく。

「〜してはだめ」「〜というようなことを過去にした学生がいましたが,こういうのはあってはなりません」のような管理口調は基本的に避ける(案外多いらしい)。

3 マニュアルをつくる:「自律」という名の「丸投げ」の罠
課題を出すにしても,できるだけマニュアルを作る。どういう形のものが想定されるのか。どういう形で文書にしたらいいのか,こちらが描いていることを「わかるだろう」で済ませるのではないし,「学生が苦闘する中で自主的になる」という「自律性育成」は意識の高い教員がはまり込む大きな罠だと思います。個別の部屋の中で1人でいる中では,多くの場合それは難しく,そこには手がかりもヒントもありません。多くの場合それは「自律」ではなく「丸投げ」として受け止められていきます。
サンプルとして極力内容も含めて可視化していく。できればそのマニュアルは「パターン」をつくって,いろいろな方法もあることを示す。

 

4 「管理」ではなく
目の前にいない人を,当たり前だけれど縛り付けようとしたってできるわけがない。ということを前提にする。「これができないとだめ」「量はこのくらいないと」と,量(文字数や動画視聴時間はシステム上設定できても)で縛り付けるのは,疲弊を生むだけ。ただ,この「管理」モードになりやすいのは「評価」発想ともつながっている。
 
しかしここで「評価とは何か」ということをよく考えていけば,数値的,指標的な評価水準を厳密につくって判定していくことは,この情勢下では逆効果を生みやすい。本来「評価」は人を成長させる材にもなるものだとするなら,1にあるように「目的」を共有させていくことがまず重要で,その上でゆるやかに「課題への関わりと水準」を選んでいくだけでも十分に評価は機能する。

5 「選ぶ」余地をつくる
画面の向こうにはいろいろな状況に置かれている学生がいることを理解する。宿題を抱えている量,関心のむき,生活状況,さまざまな人の存在を理解して「必ずしも自分の授業だけを受けているわけではない」ことを想定する。その上で,学び方に選択肢をつくる。
 
僕は今回,授業によっては「履修方法」を選択制にして「文献発表中心コース」「オンラインインタビュー中心コース」に分けてそれぞれが授業の中で絡み合っていく方法をつくったり。
 
教科書の読解も,「基本コース」「じっくりコース」「お急ぎコース」をつくって「基本」を選んだら○ページから○ページを読みましょう。「じっくり」の人はさらにここも。「お急ぎ」の場合はせめて○ページは読もう。のようにも。それでも十分に授業は機能します。

 

 

6 学生同士の対話の場をつくる

たとえば省察のところを学生も見える場所にする。その上で,「授業の感想」じゃないことも書けるようにする。
 
例えば,「①授業で扱った○○についての考え②私の今週のグチor希望な話③クラスのみなさんへ一言!」などの「ごきげんよう」方式でお題を選んで書いてもらって,みんなと共有する。これだけでも,本来合ったはずの「クラス」の空気は生まれる。
もちろん,miroなどでホワイトボードなどで対話をすることが可能であれば,それもいい。

 


うーん,まだまだあるのかもしれません。
けれど,こういう,「学生とのむきあいかた」を教員でもっと共有していきたい。今こそFDの時機なのでは思っています。
 
少なくとも秋学期,「課題にまみれて疲弊して,結果学びを深められなくなる」状況を避けることは,大学教育すべてにとって,とても大事です。
オンライン狂騒曲を奏でる賞味期限はすでに切れ始め,次に探っていくのは,交響曲のかなで方,なのだと,思っています。

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