2018年7月1日
教師はどのようにしてCBIの教材を生み出せるようになるのか―善元幸夫のライフストーリーから
批判的言語教育国際シンポジウム 未来を創ることばの教育をめざして
- 記述言語
- 日本語
- 会議種別
- 口頭発表(一般)
- 主催者
- 批判的言語教育国際シンポジウム実行委員会
- 開催地
- 武蔵野大学
近年,日本語教育のパラダイムの多様化の中で CBI の観点による言語教育が広がりを見せる。CBIの言語教育では,教師は授業の事前や事中において,言語の側面だけではなく,何を “contents” としていくのか,それをどのように教育の材としていくのかという,教師の内容選択の視点や目的的観点が重要となる。しかしこうした視点は,長らく言語の形式的側面の教育に重きを置いてきた日本語教師にとっては馴染みも薄く,教師が視点をどのように獲得していくのかという問題もある。
本発表では,子どもたちに対する日本語教育の分野で 1970 年代から総合的探究的な教材づくりによる実践を行っている実践家の善元幸夫を対象とし,そのライフストーリーを描く。そこから,1970年代から2000年代に,なぜ善元は上のような実践やその教材研究が可能だったのかを探る。
時代的潮流に対して,善元の教材研究に対する視点とそれを可能にした状況の特質を描くことから,1)CBI の授業を教師が行う際の観点,2)そうした観点の獲得を可能にする教師の成長のための視点を考察していきたい。
本発表では,子どもたちに対する日本語教育の分野で 1970 年代から総合的探究的な教材づくりによる実践を行っている実践家の善元幸夫を対象とし,そのライフストーリーを描く。そこから,1970年代から2000年代に,なぜ善元は上のような実践やその教材研究が可能だったのかを探る。
時代的潮流に対して,善元の教材研究に対する視点とそれを可能にした状況の特質を描くことから,1)CBI の授業を教師が行う際の観点,2)そうした観点の獲得を可能にする教師の成長のための視点を考察していきたい。