太田雅子

J-GLOBALへ         更新日: 18/10/18 13:29
 
アバター
研究者氏名
太田雅子
 
オオタ マサコ
eメール
mskphil0161gmail.com
学位
博士(人文科学)(お茶の水女子大学)

プロフィール

心の哲学(特に「心的因果」の問題)、道徳的責任への動機面からのアプローチを研究しています。

研究分野

 
 

経歴

 
2002年10月
 - 
2014年3月
お茶の水女子大学文教育学部人文科学科 非常勤講師
 
2005年4月
 - 
2006年3月
お茶の水女子大学大学院人間文化創成科学研究科附属人間文化創成科学研究所 研究員
 
2003年4月
 - 
2005年3月
お茶の水女子大学大学院人間文化研究科附属人間文化研究所 研究員
 

論文

 
自己欺瞞に責任を問えるか
太田雅子
法哲学年報 2013   270-281   2014年10月   [査読有り]
自己欺瞞的な信念は通常は非難の対象とされやすく、非難には責任が結びついていると考えられる。N・リーヴィは、自己欺瞞の内実が自分で自分を騙すのではないこと、および、自己欺瞞者は自らの信念を誘導するコントロール能力をもてないがゆえに責任を課すのは誤りであると主張する。しかし、自己欺瞞者は自らの信念を証拠づけようとあらゆる操作を行う点で冷静であり、間接的な意図性からも責任を問うのは可能である。また、他者に及ぼされる害によっては、意図の有無や信念メカニズムの理解の有無を問わず責任を課すことが可能である。
太田雅子
科学哲学   44(1) 75-90   2011年8月   [査読有り][招待有り]
著者はデカルトが心身問題の機械論的説明と同時に主体的/能動的な意識による説明を与えていたことを評価しながら、意識による説明は科学には吸収されず、現代の物理主義的な心の哲学はこのような意識の存在を捉えきれていないと批判する。しかし著者およびデカルトの立場では、そのような意識への科学的探究への道は閉ざされているがゆえに物理主義的立場と議論の基盤を共有しえず、著者のデカルト擁護は成功しているとは言いがたい。
太田雅子
人間文化創成科学論叢   10 153-160   2008年3月   [査読有り]
これまで普遍的とされていた「性質」を、トロープという個別的対象と見なすことから形成される「トロープ理論」によれば、心的性質トロープを物理的トロープと同一であるとすることで心的因果の問題の解決にも応用できるとされる。しかし、トロープ自身に原因性の根源を見出すことが困難である上に、トロープの因果性はそれが属するタイプに左右される。トロープ理論は心的因果の問題解決には不十分である。
太田雅子
思想   (982) 35-52   2006年2月
キムは、物理主義をとりながら心の因果性を擁護する立場は破綻することを示し、心の機能を物理的性質に還元することによって心的因果を理解すべきだと提案する。しかし、意図や欲求のように、内容を伴う心的状態は、その機能自体が内容に左右されるが故に、機能的還元は成功しない。一方、キムが斥けた立場のうち、日常的な説明実践による批判は不十分であり、それにより心的因果を擁護する余地は残っている。
太田雅子
科学哲学   38(1) 17-29   2005年7月   [査読有り]
我々が持つ他の信念全体と不整合な信念がなぜ発生するのかを、デイヴィドソンは「心の分割」によって説明している。しかし、心の分割は、信念の真理を他の信念全体との整合性に求めるデイヴィドソンの全体論との間に齟齬をきたす。「動機」の役割に着目することにより、信念の全体論を保持しなおかつ信念の不合理を説明することが可能となる。
太田雅子
科学哲学   37(1) 15-27   2004年7月   [査読有り]
自己欺瞞とは、一人の人間が矛盾した相反する信念を持ち続けることだという考え方に対して、一方の信念は無意識の信念である、あるいは、自己欺瞞の際に心は分割されているのだとして、信念の矛盾はありえないという主張がなされる。それに対して、相反する信念を持つことは自己欺瞞の重要な条件であることを指摘し、希望的観測や悲観主義も自己欺瞞の一種に含めるような条件を提示した。
因果的説明の物理主義的基礎づけをめぐって
太田雅子
   2002年3月
博士学位論文(お茶の水女子大学)
あらゆる因果的説明は、究極的にはそれが表す因果関係が依拠するところの物理的因果過程によって決定されるという考え方がある。しかし、説明においてはそれがなされる場面での規則や文脈の役割が不可欠であり、物理的因果過程のみでは限界がある。そして、心的因果の場合にも同様のことが成り立つ以上、物理主義は修正を余儀なくされる。
太田雅子
科学哲学   32(1) 45-54   1999年7月   [査読有り]
高次の現象の説明が、それが付随する低次の現象の説明によって与えられるという考え方をH・キンケイドは「付随性説明」と呼ぶ。低次の説明が高次の現象を完全に把握しきれないがゆえに、キンケイドは付随説明を「妥当ではあるが十分ではない」と評価する。しかし、高次の現象が起こるしくみを明らかにし、想定される複数の説明のうちどれが妥当であるかを判断する基準を与えるという意味で、付随性は説明に貢献しうる。
太田雅子
科学基礎論研究   26(2) 57-62   1999年2月   [査読有り]
説明の対比的モデルでは、説明は「なぜQでなくPか?」という対比的形式を持つ問いへの答えである。対比的問いの答えが、Pの持つ因果的歴史とQのそれとの相違点であるとするルイスの見解に対し、リプトンは、Pとnot-Qの因果的歴史の違いに注目する。「なぜ?」の問いの対比的解釈が成り立つかどうか、ルイスやリプトンによる説明の方法が、異なる因果概念枠からくる説明の相違を調停できるのかどうかを考察した。
物理的説明は非物理的説明より優先されるのか?―説明のレベルについて―
太田雅子
お茶の水女子大学人間文化研究科篇 人間文化研究年報   (20) 109-115   1998年3月
物理主義によれば、物事の完全かつ十分な説明は全て物理的語彙によって与えられる。けれども現実には、物質的存在者に言及しなくても結果を完全かつ十分に説明が存在すると見なされている(心的状態による行為の説明など)。ここでは、物理的説明の優位を否定する立場を考察し、いずれの種類の説明が優位であるかはやはり説明の行われる文脈や状況により様々であるので一概には決定できないという結論に達している。
太田雅子
科学基礎論研究   24(2) 39-44   1998年2月   [査読有り]
デイヴィドソンは因果関係の問題と因果的説明のそれとを区別して扱うよう提案している。因果関係は「出来事」間の関係であるが、因果的説明は出来事の記述や法則に関わる。この立場に対し、「事実」や「性質」をも因果関係を持ちうることを示唆する様々な論証をもとに、「因果的説明とは原因と結果の因果関係によって成立するのであり、前者の問題は決して後者のそれとは別個のものではない」という素朴な見解を擁護した。
因果的説明について
太田雅子
お茶の水女子大学人間文化研究科篇 人間文化研究年報   (19) 135-142   1997年3月
ある出来事について、客観的に正しい唯一の説明があるという実在論的主張が妥当であるか否かを、J.キムの「説明排除の原則」の考察を通じて検討する。この原則は「出来事の独立した完全な説明はひとつだけである」と主張しており、複数の説明がある場合にはそれらの間に何らかの依存関係があるとしているが、実際には説明の完全性は文脈や状況に左右されるので、説明排除の原則のみならず説明の実在論を擁護するのは困難である。
コミュニケーションと実在論
太田雅子
   1994年3月
修士論文(お茶の水女子大学)

書籍等出版物

 
信原幸弘(編) (担当:共著, 範囲:Ⅰ−13 心的因果をめぐる諸説)
新曜社   2017年7月   ISBN:4788515253
太田 雅子
勁草書房   2010年1月   ISBN:4326154098
ジェグォン キム (担当:単訳)
勁草書房   2006年7月   ISBN:4326199490
ティム クレイン (担当:共訳, 範囲:まえがき・第2章)
勁草書房   2001年9月   ISBN:4326153563

講演・口頭発表等

 
「自己欺瞞」の哲学を考える
太田雅子
日本科学哲学会第51回大会   2018年10月14日   
無知の行為と無知による行為の責任
太田雅子
応用哲学会第10回年次大会   2018年4月8日   
正当化・弁明・そして非難 ―Erdemovićに救いはあるか―
太田雅子
応用哲学会第八回学術研究大会   2016年5月7日   
自己欺瞞に責任を問えるか
太田雅子
日本法哲学会   2014年11月8日   
自己欺瞞的な信念は通常は非難の対象とされやすく、非難には責任が結びついていると考えられる。N・リーヴィは、自己欺瞞の内実が自分で自分を騙すのではないこと、および、自己欺瞞者は自らの信念を誘導するコントロール能力をもてないがゆえに責任を課すのは誤りであると主張する。しかし、自己欺瞞者は自らの信念を証拠づけようとあらゆる操作を行う点で冷静であり、間接的な意図性からも責任を問うのは可能である。また、他者に及ぼされる害によっては、意図の有無や信念メカニズムの理解の有無を問わず責任を課すことが可能である
ねじれた自己欺瞞から信念の行方をさぐる
太田雅子
科学基礎論学会 秋の研究例会   2012年11月3日   科学基礎論学会
エリック・ファンクハウザーは、信念を対象に対する志向的状態と見なす限り自己欺瞞をめぐる様々な困難を解決するのが困難であることを指摘し、信念を「真と見なす」状態に還元し、信念の重み付けに関する「ことの真相」は存在しないと主張し素朴心理学の改変を提案するが、「真と見なす」における「真理」は究極的には他の心的状態との整合性によって保証されるのだとすれば必ずしも素朴心理学的信念観を改定する必要はないことを主張した。

担当経験のある科目

 
 

学歴

 
1994年4月
 - 
2001年3月
お茶の水女子大学 大学院人間文化研究科(博士課程) 比較文化学専攻
 
1992年4月
 - 
1994年3月
お茶の水女子大学 大学院修士課程人文科学研究科 哲学専攻
 
1988年4月
 - 
1992年3月
お茶の水女子大学 文教育学部 哲学科