講演・口頭発表等

2020年3月

インド北東部におけるインパール作戦時の日本兵に関する記憶と影響の聞き書き

日本地理学会2020年春季学術大会
  • 遠藤 仁
  • ,
  • 村上 由佳
  • ,
  • 渡邊 三津子
  • ,
  • 小磯 学

開催年月日
2020年3月27日 - 2020年
記述言語
日本語
会議種別
ポスター発表
主催者
公益社団法人 日本地理学会

<p>アジア・太平洋戦争(1941〜1945年)時のビルマ戦線において実施された所謂インパール作戦(日本側作戦名:ウ号作戦,1944年3〜7月)は,日本帝国陸軍およびインド国民軍がインパール攻略を目指し,イギリス軍を中心とした連合国と戦闘を行い,日本側が敗退したものである。戦闘は当時の英領インド帝国の北東部(現在のインド北東部のナガランド(Nagaland)州およびマニプル(Manipur)州,ミャンマー西部のザガイン(Sagaing)管区を中心とした地域)で行われ,日本側に約3万人と甚大な戦死者が出た(NHKスペシャル取材班 2018)ことで,現在でも日本だけでなく戦闘の舞台となったインド北東部でも多くの人の記憶に残っている。本発表は,筆者らがインド北東部のナガランド州およびマニプル州を別の目的(伝統的な装身具の実態および流通に関する調査)で2011〜2016年の間に複数回訪れた際に,我々が日本人であると知った現地の人々が,自発的に語ってくれた戦争の記憶を中心に構成したものである。</p><p></p><p> 筆者らが得たインパール作戦の聞き書きは,意図しない「雑談」の一環として語られた記録である。記憶を語ってくれた(自称)80〜90歳の人々は日本兵と直接交流をもった最後の世代でもあり,きわめて貴重な記録といえる。網羅的な聞取り調査を行ったわけではないため,日本帝国陸軍や連合国軍の作戦行動領域を広く押さえていないが,両軍の激戦地であるコヒマ(Kohima)周辺や日本帝国陸軍の中継拠点の1つであったウクルール(Ukhrul)などで聞き取ることができた。それら聞き取れた情報を地図上に落とし,公刊されているインパール作戦の情報(防衛庁防衛研修所戦史室 1968)と重ねることで,戦時の日本兵の足跡を追いたい。</p><p></p><p> 筆者らに日本兵の記憶を語ってくれたのは,インパール作戦時も現在も現地に居住している民族集団ナガである。彼らは現在のインドとミャンマーの国境を跨ぎ,峻険な山岳地帯(ナガ丘陵)に広く居住している。ナガというのは約70の諸集団の総称で,各々独自の言語や習慣をもち,かつては互いに敵対していた。日本帝国陸軍では,軍事機密情報を見るとすでにナガという民族を認識していたことがわかる。筆者らは民族集団ナガの内,南部のコヒマやインパール近郊に居住するアンガミ・ナガ(Angami Naga),タンクール・ナガ(Tangkhul Naga),ポチュリ・ナガ(Pochury Naga)の人々から情報を得ることができた。それらの内,特に興味深いのが以下の3つである。</p><p></p><p>■「日本の将校が村に学校をつくった。それはこの村にとっての初めての学校だ。」</p><p></p><p>コヒマの南約8kmに位置するジャカマ(Jakhama)村で,日本兵が学校をつくり,日本語を教えたと語ってくれた人が複数おり,村内にはそのことを記念する碑も建立されていた(図1)。彼らが記憶している日本兵はSHIROKIという人物で,おそらくコヒマ侵攻に先駆け,現地に潜入していた諜報部隊(光機関)の関係者であると思われる。</p><p></p><p>■「日本人は何でも食べるんだね。干し肉も全部もって行ってしまった。」</p><p></p><p>ジャカマ村では,日本兵が退却時に村内の備蓄していた食料すべて対価なしにもち去ったことも記憶されていた。</p><p></p><p>■「この草は日本兵が植えた。」</p><p></p><p>各地でキク科のハーブの一種(Mikania cordata (Burm.f.) B.L.Rob.)を日本兵が植えた,良く利用していたとの言説で,止血,解毒などの薬効のある草を示された。この野草は,現地で「日本の草」と呼ばれているが,古くから自生しており,なぜ日本兵の記憶と結びついているのか不明である。日本兵の多くの手記に,食料不足で現地の野草を食べて飢えをしのいだ記載が多く見られるため,それらを目撃した現地の人々の記憶と結びついた可能性がある。</p><p></p><p> 戦時下の日本兵は,村初の学校を築いたり,野草の名前として「日本」の名が残る比較的悪くない記憶や影響も残している一方で,食料を奪ったり現地住民を追い払ったりしたなどの悪い記憶も残している。本発表のような記録を地理情報と結びつけて語り継いでいくことは,今後の相互理解のためにも重要であると考えている。</p>

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DOI
https://doi.org/10.14866/ajg.2020s.0_149