拙稿の訂正

拙稿の訂正

『戦国武将列伝7 畿内編【上】』の訂正

「伊勢貞宗・貞陸」

29頁10~11行目 門の上から見物する者も…〔二水記〕の一文を、「さらに…飲んだという〔後法成寺関白記〕」の後ろへ移動。

→室町殿ではなく、貞陸邸での出来事です。また〔後法成記関白記〕→〔後法成寺関白記〕

 

「畠山順光・維広」

61頁1行目 『高野山西院来迎堂勧進帳』には→『高野山西院来迎堂勧進帳』署名部分には

65頁12行目 維光の活動はこれだけで

→誤字・脱字の類ではありませんが、『後法成寺関白記』享禄4年7月20日条に近衛尚通とやりとりをする「畠山与二郎」がみえます。これも維広の活動徴証となります。

拙稿「畠山政近の動向と畠山中務少輔家の展開」の訂正

113頁6行目 前(野) 総介→前上(野)

120頁後ろから7行目 義稙(同年五月没)→義稙(同年四月没)

121頁9行目 二十条→二十日条

127頁注48 同年八月二十四日大内義興宛細川澄元書状写・細川成之書状写・山名豊重書状写→同年八月二十四日大内義興宛細川澄元書状写・細川成之書状写、同年一〇月七日大内義興宛山名豊重書状写

130頁注85 畠山次郎がみえる『細川→畠山次郎がみえる(『細川

      畠山義総の長男次郎義繁田中政行→畠山義総の長男次郎義繁 田中政行

      畠山宮内少輔→畠山宮内大輔

130頁付記 大山崎歴史資料館→大山崎町歴史資料館

拙稿「貞清流畠山氏の基礎的研究」の訂正

8頁上段7行目 『寺門事条々六十二才聞書』→『寺門事条々聞書』

8頁上段8行目 畠山将監入道→畠山将監入道六十二才

9頁上段後ろから7行目 「畠山信濃守故将監入道子子息」→「畠山 信濃守入道 故将監入道子

 23頁注50 前掲注六八七頁→前掲注(5)論文六八七頁

拙稿「細川持賢と室町幕府―幕府―地域権力間交渉と在京活動の検討から―」の訂正

8頁下段10行目 一例→事例
14頁上段2行目 開東→関東
18頁上段注3 「細川氏の同族連合体制と畿内領国化」→「細川氏の同族連合体制の解体と畿内領国化」
18頁上段注6 二〇一二年→二〇一二
20頁下段注33 「『成宗公御上洛日記写』に関する一考察」→「『成宗公御上洛之日記写』に関する一考察」
22頁上段注51 細川持之書状→細川持之書状写