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2018/07/23

第17回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会・講演会

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第17回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会・講演会(来聴自由・無料)

日時:2018年8月4日(土) 14:00 ~ 18:00
場所:大阪大学豊中キャンパス 文学部芸術研究棟1階 芸2講義室(※待兼山会館ではではありません)

研究発表:

14:10~15:30
ホラーティウス『カルミナ』第3巻第14歌21-24行について
中村満耶(京都大学)


講演:

15:45~18:00
Cross-Cultural Adaptations of Medea in Postwar Japanese Literature: 
Mishima Yukio’s Lioness and Kurahashi Yumiko’s “The White-haired Little Girl”
(戦後日本文学における『メデイア』の文化横断的アダプテーション : 
三島由紀夫の『獅子』と倉橋由美子の「白い髪の童女」)
Luciana Cardi(大阪大学)

(※講演言語は英語、質疑応答は英語・日本語いずれも可)

懇親会
時間:18:30 ~
場所:イシバシテラス 大阪府池田市石橋1-3-15
(阪急石橋駅西口(商店街側)出てすぐ)
 
要旨

「ホラーティウス『カルミナ』第3巻第1421-24行について」

発表要旨

中村満耶

 

 本発表では、まずホラーティウス『カルミナ』第3巻第1421-24行が先行する『エポーディー』第15歌を想起させるものであることを示したい。

『カルミナ』第3巻第14歌は、前27年にヒスパニアへ遠征したアウグストゥスの帰還を題材として書かれた詩である。詩人は詩の前半で民衆に対して凱旋を祝う祭儀への参加を呼びかけた後、給仕の奴隷に酒宴の支度をするよう命じる。その一環としてネアエラを連れて来るように言うが、「もし門番が引き留めるようなら去れ」と付け加える。

 ネアエラという名前の女性は『エポーディー』第15歌にも登場する。そこでのネアエラは、コメンタリー等でも指摘されているように、恋愛エレゲイア詩的な性格を帯びている。この詩が『カルミナ』第3巻第14歌を解釈するにあたって引き合いに出されることはほとんどない。しかし、『エポーディー』第15歌の提示する女性に対して強硬な態度を貫くことのできない詩人の無力さは、『カルミナ』第3巻第14歌において呼び起こされることで、ヘラクレスと重ねられたアウグストゥスの力強いイメージと対をなす。

 また、恋愛による詩人自身の懊悩と為政者の凱旋がもたらす喜びとの対比は、ガッルスの断片(fr.145 Hollis)にすでに見られる構図である。前者はさらにローマの内戦やホラーティウス個人の過去と結びつけられ、現在の事柄である後者を際立たせる。こうした過去と現在の関係は、『エポーディー』第15歌の結末がほのめかす負の循環とは対照的である。

 以上の点から、『カルミナ』第3巻第14歌が『エポーディー』第15歌の持つ恋愛エレゲイア詩やイアンボス詩の要素を巧みに取り入れながらローマの政治的主題に触れた詩であることを示唆したい。


Luciana Cardi先生の講演要旨のPDF版はこちら。

Cross-Cultural Adaptations of Medea in Postwar Japanese Literature: Mishima Yukio’s Lionessand Kurahashi Yumiko’s “White-HairedLittle Girl”

 

In the period spanning from the 1940s to the 1960s, a combination of several factors led to a renewed interest in the ancient Greek Classics among Japanese intellectuals. The extensive translation work carried out by scholars such as Doi Bansui, Kure Shigeichi, and Kōzu Harushige played an important role, as did the influence exerted by Modernists’ rewritings of the Classical repertoire and French playwrights’ adaptations of Greek myths between the 1920s and the 1950s. Greek antiquity, perceived as a canonical part of the Euro-American cultural system, became a reservoir of stories that provided alternative models in a period when Japan was facing a post-war cultural crisis and when writers were exploring new ways to overcome the sense of loss, challenge literary tradition, and negotiate the position of Japan vis-à-vis the West, creating cross-cultural bridges.

Moving from these considerations, my paper explores the adaptations of Medea in postwar Japanese literature, focusing on Mishima Yukio’s novella Lioness (Shishi, 1948) and Kurahashi Yumiko’s “White-Haired Little Girl” (Shiroi kami no dōjo, 1969), included in the short-story collection Anti-tragedies (Hanhigeki). In light of Itamar Even Zohar’s polysistem theory (1990) and Homi Bhabha’s concept of cultural translation (1994), I regard these adaptations of Greek mythological narratives as metaphorical translations of a cultural discourse relocated from the West to the East, from a Euro-American ‘source system’ to a different sociocultural ‘target system’. From this perspective, Mishima’s and Kurahashi’s literary adaptations provide an interesting case study to investigate how the power relations between the Euro-American source system and the Japanese target system have affected the Japanese reception of Greek mythology and have determined its shifting function in modern Japanese literature.

The analysis of Lioness draws a parallel between the mythical method theorised by T.S. Eliot and Mishima’s adaptation of Medea, regarded as a means to order the post-war chaotic reality inside a mythological framework.  Pointing out the gap between past and present, Mishima sets Euripides’ tragedy in Tokyo, during the American occupation, and transforms the witch of Colchis into a Japanese woman who refuses to come to terms with the moral corruption of modern society. By setting Medea in postwar Japan, Mishima appropriates the foundational narratives of Western culture in order to reconfigure the representation of Japan.

As for Kurahashi, her writing reveals influences similar to those that inform Mishima’s adaptations on ancient Greece and her innovative retelling of Medea mirrors the ambivalent role of a generation of Japanese intellectuals between avant-garde, Western literature, and Japanese tradition. In Anti-tragedies, a collection of stories hitherto rarely discussed by scholars, she rewrites tragedies such as The Women of Trachis, Oedipus at ColonusHeracles, and Electra, by combining them with elements from Noh theatre and from Kafka’s narrative world. In this regard, retelling Medea becomes a way to experiment cross-cultural narrative forms and create an “anti-world” that questions both Western and Japanese literary canons, moving across multiple genres.

* An expanded version of this paper is going to be published in the volume Receptions of Greek and Roman Antiquity in East Asia (Brill, 2018)



15:22 | Impressed! | Voted(0) | Comment(0)
2017/07/14

第16回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会・講演会

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第16回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会・講演会(来聴自由・無料)


日時:2017年7月29日(土) 14:00 ~ 18:00
場所:大阪大学豊中キャンパス待兼山会館 1階特別室(※2階会議室ではありません)


研究発表:

14:10~15:30
「ホメロスにおける崇高―ロンギノス『崇高について』より―」
戸高和弘(大阪大学)

 

講演:

15:45~18:00
「『オリュンポスの神々の歴史』を批判的に読む」
西村賀子(和歌山県立医科大学)


懇親会
時間:18:30 ~
場所:イシバシテラス 大阪府池田市石橋1-3-15
(阪急石橋駅西口(商店街側)出てすぐ)
 
※懇親会に参加予定の方は、事前に西井奨に連絡を頂けると助かります。当日参加も可能です。懇親会参加費は2500円程度となります。


要旨:


ホメロスにおける崇高――ロンギノス『崇高について』より
戸高和弘

 ロンギノスの著作ΠΕΡΙ ΨΟΥΣ(ペリ・ヒュプスース)は『崇高について』ないし『崇高論』と訳されるが、抽象的な崇高概念を論じた著作ではなく、どのようにすれば文芸における崇高を実現できるのかを論じた著作である。そのため、崇高の「源泉」が検討され、どのようにして崇高が形成されるのかは詳述されているが、崇高そのものが何であるのかについては、必ずしも明確に定義されていない。また、崇高の具体例となる章句は数多く上げられ、そのおよぼす効果についても考察されているが、その効果の根拠は「自然本性」との一致とされているだけである。
 本発表は、『崇高について』において引用されているホメロスの章句、およびロンギノスのホメロスについての評言を検討することで、崇高とは何かについてあらためて検討するものである。この検討を通して、ロンギノスの崇高論がプラトンの「詩人追放論」への応答となっていることを確認し、さらに『崇高について』が書かれたと推定されている紀元後一世紀のローマ社会において、この著作がどのような目的で書かれたのかについての仮説を提示する。著者ロンギノスがいかなる人物か不明であるかぎり、あくまでも仮説に留まらざるをえないが、目的を検討することは『崇高について』という著作を理解する一助となるはずである。

 

『オリュンポスの神々の歴史』を批判的に読む
西村 賀子

 本講演は二つのことを目指している。一つは、最近刊行した訳書のグラツィオージ『オリュンポスの神々の歴史』(白水社 2017年)を簡潔に紹介することである。二つ目の目的は、本書を批判的に読むことによって議論のきっかけを作ることである。
 本書の基本姿勢は「旅」と「サバイバル」という二つの点に集約される。まず、暗黒時代からポリス社会へとギリシアが移行する時期に盛んであった「旅」、これが全体を貫く中心的概念になっている。本書は古代からルネサンスさらに現代までのオリュンポスの神々の「時間的」に持続する旅を語るとともに、ギリシアから新世界までの神々の「空間的」に拡大する旅も描いている。第二の基本姿勢であるサバイバルとは、オリュンポスの神々は一度も死なずに現代まで生き延びてきたという主張のことである。ただしその意味内容は変容していて、神々は古代には崇拝・儀礼の対象であったが、ルネサンス以降は人間の想像力および創造力を象徴する存在として生きているという。
 本書は全6部構成で、それぞれ3章からなる各部はアルカイック期のギリシア、古典期アテナイ、ヘレニズム期エジプト、ローマ帝国、キリスト教とイスラム教、ルネサンスを扱っている。啓発的で刺激的な本ではあるが、批判的な読みをとおして議論すべき点も多々ある。たとえば、古典期アテナイでは政治参加する民衆が自己決定権を行使することによって人間の力に自信をいだき、神々への懐疑が大衆化したと説かれているが、本当にそうなのだろうか。扱う資料が偏っているせいでそう見えるだけではないのだろうか。
 本書後半は、神々が後世どのように受容されたかを扱う。受容研究は英米ではすでに市民権を得ているが、わが国ではまだあまり研究が進んでいない分野だ。受容研究の一端を垣間見るという点でわが国の古典研究に刺激を与えるという点にも、本書の意義がある。


19:18 | Impressed! | Voted(2) | Comment(0)
2016/11/08

第15回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会

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15回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会 (来聴自由・無料)

 

日時:20161224日(土) 14:00 18:00

場所:大阪大学豊中キャンパス待兼山会館 2階会議室

 

発表題目(発表時間は質疑応答の時間も含めた大まかなもの)

※全研究発表で、司会は西井奨(大阪大学)が担当します。

 

14:1015:20

「死後の物語から見たアキレウスに対するイメージについて」

佐野馨(名古屋大学大学院博士後期課程

 

アキレウスの死後の物語にはいくつかのバリエーションが存在している。それらに対しては様々な点から分析、分類することができると思われるが、その一つとしてアキレウスが死後どこに行ったのかという点が挙げられる。『オデュッセイア』ではアキレウスは死後他のトロイア戦争で死亡した戦士たちと同じく冥界に行ったことになっており、実際に作中でオデュッセウスと会話している。しかし、それ以外の多くの作品においては、それぞれ多少の差異はありつつも、アキレウスが特別な島に行ったということになっており、作品によってはそこで不死の存在となったとも言われる。

不死の存在と言うのは『オデュッセイア』におけるメネラオスのように字義通りの不死であり、実際にメネラオスは死ぬことなく島に行ったとされていた。同様の例は『仕事と日』にも見られる。そうだとすれば、死すべき人間であるはずのアキレウスがメネラオスと同じように島に行くというのは不自然に感じられる。しかし、アキレウスが死ぬのは、岡道男氏が言うように、『イリアス』以前から存在する伝承である。また岡氏は不死の伝承の有無に関しては、それを持つ例としてメネラオスを挙げる一方で、アキレウスに関してはその証左はないとしている。

それが正しいとすれば、おそらく当初のアキレウスに対する一般的なイメージはトロイア戦争において死亡し、普通の人間と同じように冥界に行くというものであったが、ある時期から(『アイティオピス』が成立した頃から)アキレウスの不死というモチーフが現れて、アキレウスも冥界以外の快適な場所で暮らしていると言われ始めたのだろう。それが後世にまで語り継がれ、ギリシア神話におけるアキレウスのよくある物語の一つにまでなったと思われる。

優れた英雄にいい目を見せてやりたいというのはよくある話であるが、ここまではっきりとした変化が起きているのはおそらくアキレウスくらいだろう。彼自身にも不死化失敗のエピソードがあるように、死の定めが決まっている人間が不死になるというのは困難なのである。ではなぜアキレウスにはそれが許されたのか、アキレウスがそれを成しえたことにどんな意味があるのか、そんなアキレウスを人々がどう見ていたのか、それを考えてみたい。


15:30 16:40

「トーマス・マンのアポロンとアポロン的なもの -トーマス・マンのニーチェ受容研究より-

別府陽子(大阪大学大学院博士後期課程 単位取得退学)

 ドイツの作家トーマス・マン(1875-1955) は、エッセイや作品に、ギリシア神話の神アポロンや、アポロン的なものとディオニュソス的なものとその特性をしばしば用いている。これらの受容の源は、主として子供の頃に愛読した母親が所有するネッセルトのギリシア神話の本と、10代後半から生涯影響を受け続けた哲学者フリードリヒ・ニーチェの『悲劇の誕生』である。アポロンはギリシア神話では遠矢の神、ローマ神話では太陽神といわれているが、マンは、アポロンのみを使用する場合はギリシア神話の「遠矢の神」という特性を用い、アポロン的なものの場合は、『悲劇の誕生』の光、美、秩序、調和という、ローマ神話の太陽神の特性を用いている。
 また、マンは自己の多くの作品にライトモティーフのように「基本動機」を使用していると語っている。「基本動機」とは、フロイトの抑圧理論に似た、抑圧された感情の再来であり、それが主人公を破滅させるというモティーフである。マンがこの「基本動機」を「エロス・ディオニュソス」と言い換えていることから、ディールクスは「基本動機」を『悲劇の誕生』のアポロン的なものとディオニュソス的なものの受容と解釈して、『ヴェニスに死す』における「基本動機」を論じている。その際にディールクスは、『ブッデンブローク家の人々』にも「基本動機」が用いられていることを示唆するのみで、具体的に論じてはいない。 

 本発表ではまずエッセイ等から、マンが用いるアポロン、そしてアポロン的なものとディオニュソス的なものの特性を見究め、次に、「基本動機」が最初に用いられた『小男フリーデマン氏』と、その次の作品である『ブッデンブローク家の人々』において、「基本動機」がどのように用いられているか、また、アポロン的なものとディオニュソス的なものとどのように関係しているかを考察する。


16:50 18:00

「ピンダロスのピューティア第9番におけるキューレーネーとアポローンの結婚」

阿部達哉京都大学大学院博士後期課程 満期退学

 

 ピンダロスのピューティア第9番は北アフリカのリビアのキューレーネー市のテレシクラテースがピューティア祭の武装競走で優勝したことを称讃するために作られた詩である。この詩の中でニンフのキューレーネーとアポローンの神話が語られている。このキューレーネーはそれまではあたかも男性と同様の生活をしているように表現されているとはいうものの、アルテミスと同様に狩りや動物退治をして、男性との交際を避けていたと思われる。しかしキューレーネーがライオンと戦っている様子をアポローンが見て一目ぼれしたあとは、キューレーネーはアポローンと交わり、さらにケンタウロスのケイローンの予言によれば、将来子供を生み、その子供は神アリスタイオスになるというように、一転して女性らしい生活をするように述べられている。この詩の結末でアンタイオスがその娘の求婚者を集めて競走させたことが語られていて、さらにダナオスが48人の娘をアイギュプトスの息子と結婚させた神話も語られている。このためこの詩の全体を結び付けている重要な題材は男女の結婚である。またキューレーネーはアポローンによってテッサリアからリビアに運ばれていき、そこに同名の植民都市が築かれる。しかしキューレーネーの胸中の恋愛感情の描写はなく、単に神話の一面だけを語ることがピンダロスの叙述の技法である。そこで特にキューレーネーが男性のような生活をしていることからあくまで女性らしい女性に変貌する経緯であるアポローンとの結婚に着目してこの作品の一部分の解釈について論ずるが、アポローンにとってもキューレーネーとの関係が初恋であるとされている。さらにこの作品から影響を受けたヘレニズム時代のカリマコスとアポローニオス•ロディオスによるキューレーネーの叙述との比較を行ない、結論としてピンダロスの神話における女性像の一端を提示する。


 

 

 

懇親会

時間:18:30

場所:Artistプリック        大阪府豊中市待兼山町21-5

(阪大坂下りてすぐ)

 

懇親会に参加予定の方は、事前に西井奨にまで連絡を頂けると助かります。当日参加も可能です。懇親会参加費は2500円程度となります。


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2016/07/21

第14回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会

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14回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会 (聴講自由・無料)

 

日時:2016730日(土) 14:00 18:00

場所:大阪大学豊中キャンパス待兼山会館 2階会議室

 

発表題目(発表時間は質疑応答の時間も含めた大まかなもの)

※全研究発表で、司会は西井奨(大阪大学)が担当します。

 

14:1015:20

「ローマ恋愛詩におけるfurorの変遷」

服部桃子(名古屋大学大学院博士前期課程2年)

 

15:30 16:40

「ホラーティウス『カルミナ』第3巻第4歌における詩人と詩の女神

――5行のauditisを中心に――

中村満耶(京都大学大学院博士後期課程1年)

 

16:50 18:00

Vida叙事詩の構造」

上月翔太(大阪大学大学院博士後期課程1年)

 

懇親会

時間:18:30

場所:Cafe+Bar Ludzie(カフェバールジェ)大阪府豊中市待兼山町21-5-103

(阪大坂下りてすぐ)

 

※懇親会に参加予定の方は、事前に西井奨にまで連絡を頂けると助かります。当日参加も可能です。懇親会参加費は2500円程度となります。

 

 

 

 

発表要旨

 

ローマ恋愛詩におけるfurorの変遷

服部桃子

 

 カトゥッルスが共和政末期に恋人レスビアへ宛てた詩を綴り、ローマ恋愛詩というジャンルは黎明を迎えた。その後、ガッルスによってエレゲイア韻律の形式が確立され、ティブッルス、プロペルティウス、オウィディウスなどの詩人がこのジャンルに挑んだ。彼らを含めローマ文学では、恋をfuror(狂気)と表現することがある。この表現はカトゥッルスの作品から見られるものであり、恋愛詩ではオウィディウスまで引き継がれていく。「恋は狂気だ」という考えも窺えるこの表現は、書き手の恋愛観を大いに反映すると思われる。

 本発表では、オウィディウスの『恋の歌』『恋の技法』『恋の治療』に登場するfurorの分析と、オウィディウスのfuror観の考察を目標とする。そのために、まずオウィディウスが恋愛詩を書く上で手本にしたであろう、カトゥッルス、ティブッルス、プロペルティウスといった先人たちの詩を取り上げ、それぞれの詩人のfurorの扱い方を分析していく。また、詩の中のfuror分析を通じて、詩人が恋人との関係をどのように捉えていたかを考えていきたい。さらに今回は、オウィディウスが詩作の上で大きく影響されたと思われるウェルギリウスの作品群も見ていく。ウェルギリウスは叙事詩人だが、『牧歌』第10歌でガッルスの、『農耕詩』第4歌でオルフェウスの、『アエネーイス』第4歌でディードーのfurorについて書いている。ウェルギリウスがエピクロス派の思想に影響を受けたという経歴も踏まえつつ、先述した恋愛詩人たちの作品と同様に分析していく。彼らの作ったfuror表現の流れを受けて、オウィディウスがfurorとみなした恋はどのようなものであったかを考察し、最終的に『変身物語』において、題材となる神話と彼のfuror観をどのように融合させたかを知ることが、本研究の目標である。

 

 

ホラーティウス『カルミナ』第3巻第4歌における詩人と詩の女神

――5行のauditisを中心に――

中村満耶

 ホラーティウス『カルミナ』第3巻第4歌の5行目に位置するauditisは、一見して誰に宛てられた呼びかけであるかが曖昧である。近年のコメンタリーではこれを「歌の聴衆」に向けられたものとする見方が強いが、古代の注釈者に依る「詩の女神」とする見解も一部では見直されている。また、この箇所を含む冒頭の2スタンザは、詩の中で大きな位置を占めている詩の女神の顕現にまつわる重要な部分であるにもかかわらず、その性質を看過されている。本発表ではauditisの問題を皮切りに、随所で示される詩人と詩の女神の関係性を改めて注視することで、ホラーティウスが抒情詩の詩人(lyricus vates)として為そうとしたことの一端を提示したい。

 発表者は、以下の手順によって当該の問題について検討するつもりである。まずは第3巻冒頭の6編の詩(所謂Roman Odes)における詩人の立ち位置を確認する。次いで第3巻第4歌の中での詩人と詩の女神との関わりが、アウグストゥスを交えることでどのようなものになっているかをみる。そして、主に冒頭2スタンザにおいて示される聴覚的イメージと視覚的イメージに焦点を当て、それらが抒情詩の性質を理解する上で重要であることを示唆したい。

 

 

Vida叙事詩の構造

上月翔太

 1535年、イタリアの人文学者Vidaによる全6巻のラテン語叙事詩「キリスト物語」が発表される。福音書におけるイエスの記述を古典ラテン叙事詩の韻律で歌った本作は、ヨーロッパで広く読者を獲得し、また同時代の文学者にとっても、大きな範となる作品であったと言われている。しかしながら、本作そのものについての学的考察は、今日まで充分になされておらず、僅かながら行われている研究は、「キリスト物語」とVida自身が愛読し、深く通じていたウェルギリウスとの関連を指摘するものが主である。

 本発表はこうした先行研究に対し、作品の全体構造もちろん、その点でもウェルギリウスが大いに参照されるのだが、を『「言葉の力」の叙事詩』という観点から説明する。すなわち、「キリスト物語」は福音書の単なるパラフレーズではなく、その物語を「聴く/語る」ことの効力を表現した、『「言葉の力」の叙事詩』であるという見解である。

 本発表ではまず捕らえられたイエスの処刑を決定するローマ人ピラトの描写に着目する。全6巻の作品で2巻末尾に登場する彼は、5巻冒頭まで作品の登場人物として設定されている。福音書の記述自体が簡素であるのとは対照的な分量である。このピラトが上述の「聴く/語る」主体としてどのように描かれているかに言及する。そして、このピラト像の分析を踏まえ、改めて「聴く/語る」行為の諸相を示すことで、作品全体の「言葉の力」の働きを概観する。


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2016/03/08

待兼山芸術学会 第26回総会・研究発表会

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待兼山芸術学会 第26回総会・研究発表会


日時:2016年3月26日(土) 13時〜17時30分
場所:大阪大学豊中キャンパス 501講義室(豊中総合学館)


13時〜 総会

13時10分〜 朝鮮映画『迷夢』から見る朝鮮新女性に対する考察 ―映像分析を中心に―  
 閔 スラ(美学)

14時10分〜 カンディンスキーと革命後のロシア美術界  
 笹野 摩耶(美術史学)

《休憩》

15時30分〜 子どもとベートーヴェン  ―近代日本の教育現場における逸話「月光の曲」―    
 山本 耕平(音楽学)

16時30分〜 テアトロクラシーとその敵たち  
 田中 均(美学)


18時〜 懇親会(生協3階食堂にて)


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2015/11/16

【シンポジウム「文芸学再考」】

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【シンポジウム「文芸学再考」】
日時:12/12(土)14-18時
場所:京都大学 人文科学研究所本館1F セミナー室2

講演:森谷宇一「岡崎義恵の日本文芸学」
         中村三春「文芸学理論の現代的展開」(仮)
司会:大浦康介


主催:科研基盤(B)「日本近代における文学理論的言説の総合的研究
                                ――西洋理論の移入と伝統的文学観の変容」
         文芸学研究会

後援:京都大学人文科学研究所
         大阪大学大学院文学研究科文芸学研究室


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2015/07/21

第13回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会

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13回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会 (聴講自由・無料)

 

日時:201581日(土) 14:00 18:00

場所:大阪大学豊中キャンパス待兼山会館 2階会議室

 

発表題目・要旨:

 

14:1015:20

マルクス・マーニーリウス『アストロノミカ』(1. 1 - 24――詩と題材の共鳴――

竹下哲文(京都大学大学院修士課程)

 

マルクス・マーニーリウスの名で伝わる『アストロノミカ』(Astronomica)は,天文学・占星術を叙事詩の形式で綴った作品であり,いわゆる「教訓詩」の伝統に属するもののひとつである.アウグストゥス帝およびティベリウス帝の治世下に書かれたとされるこの詩は,古代の天文学・占星術に関する知識をわれわれに伝える点において重要であるのみならず,文学作品としても,Scaligerをして「オウィディウスに等しく甘美,それ以上に荘重」(Ovidio suavitate par, maiestate superior)と言わしめるほどの内容を持っている.またPoggio Braccioliniによる写本の発見(1417年)以来,BentleyHousmanといった文献学者がその本文の研究に取り組んでいることなどからも大変興味深い作品であると言える.

本発表では,『アストロノミカ』全5巻中,第1巻に附された序歌の冒頭部分(1 - 24)を取り上げる.全巻の導入にあたるこの箇所は,詩人の扱う題材(res)が天文学・占星術であること,それに取り組む手段として詩(carmen)が選ばれたことが語られる点でとりわけ重要である.また,すでにこれまでの研究によって指摘されているように,序歌の内容は大変に凝縮されており,ひとつひとつの表現がその表面上の意味だけでなく,先行する諸作品を踏まえた重層的な含みを有している.したがって今回の発表では,こうした多作品との関係にも注目しつつ,『アストロノミカ』のなかで詩と題材というふたつの間にどのような関係が想定されているのか,言い換えるならば,この難解な題材を扱うにあたり敢えて詩という表現手段を選んだ狙いはどのようなところにあるのか,という問題に焦点を当てて分析を行ってみたい.

 

 

15:30 16:40

ピロストラトス『テュアナのアポッローニオス』における語り手の情報の取り扱いについて

勝又泰洋(京都大学非常勤講師)

 

本発表の目的は、ローマ帝政期の知識人ピロストラトス(後170250頃)が著した『テュアナのアポッローニオス』における一人称の語り手(=「私」)が、自らが処理すべき情報群について何を述べているか観察し、それらの言葉が語り手の語りの戦略のなかでどのように機能していると考えられるか分析を試みることである。

アポッローニオスの「正確な像を提示する」(ἐξακριβῶσαι1.2)ことを目標に設定するこの語り手は、自らの語りの中で、「情報源」や「情報伝達経路」、また、「情報の価値」や「情報の信頼度」にしばしば言及し、こうすることによって、自らを一種の「情報編集者」として提示する。これら「情報の取り扱い」に関する発言の中で最も重要と思われるのは、「ダミス文書」についてのそれ(1.3)である。語り手が言うには、アポッローニオスの世界旅行に同行し、この人物の言行を逐一記録したダミスという男が作成した文書を「書き換える」(μεταγράψαι)よう、彼は王妃ユリア・ドムナに命じられたという。

「ダミス文書」には、アポッローニオスについての「真実」のみが書かれていると考えてよいように思われるが、彼のさまざまな「情報の取り扱い」に関する説明を眺めていくと、話はそう単純ではないことがわかる。彼は、そもそもこの「ダミス文書」の作成方針や作成手順について明確なことを述べておらず、この文書の内実が読者に知らされることはない。ダミスはアポッローニオスについての「すべて」を記録することを欲したようだが、事情によりそれが叶わなかったこともあったことを語り手はところどころで示唆する。また、語り手自身も、基本的には「ダミス文書」の記述にしたがってはいるようだが、ある部分に関しては情報の取捨選択を行っている。

語り手の「情報の取り扱い」についての言葉遣いが明らかにしているのは、さまざまなレベルで情報操作が行われている、ということである。語り手は、「正確」な話を伝えることを目標に掲げながら、話の根拠となる情報の処理方法の基準については曖昧にしたままである。彼は、真剣な目標設定の言葉とは裏腹に、アポッローニオスについて「正確」なことを述べることは不可能であることをわかっている。要するに彼は真面目に仕事をしておらず、そのことに読者の意識を向けようとしている。彼の「情報の取り扱い」に関するしつこいくらいの言及は、「真実」への到達不可能性についての、語り手の自意識ないしメタ視点を読者に通知する機能を有していると言える。

 

 

16:50 18:00

媒体から見るウェルギリウス受容――C. Kallendorf The ProteanVirgil紹介――

西井 奨(日本学術振興会特別研究員/大阪大学)

 

本発表は、最近のウェルギリウス研究動向の一つとして、テキサスAM大学Craig Kallendorf教授の近著The Protean Virgil : Marerial Form and theReception of the Classics, Oxford 2015の内容を紹介するものである。著者はウェルギリウス受容に関してこれまで数多くの論考を発表してきており、通時的にウェルギリウス受容を辿る本書では、著者のこれまでの研究成果が遺憾無く発揮されている。本書のタイトル「プロテウスのようなウェルギリウス」とは、海神プロテウスが様々な姿に変身するように、ウェルギリウスのテクストが各時代の媒体に応じて様々な受容のされ方をしてきたことを示唆している。本著では、現代のコンピュータ時代でのウェルギリウス受容のあり方も視野に収めてはいるが、中心的に議論されるのは、中世に写本形式で教会で受容されてきた様相(神学との共存が意図される)と、ルネサンス期以降に印刷本形式で受容されてきた様相(名文句集としてウェルギリウスのテクストが再編集される)、および印刷本における挿絵の様相(当時のイデオロギーが反映される)である。各々の時期・媒体において、ウェルギリウスのテクストはそれを扱う者の目的に応じて活用され続け、決してテクストの固定化や権威的な解釈を生じさせることはなかったということが全体として著者の主張するところである。このKallendorfの主張は、著書『印刷革命』で知られるElizabeth Eisensteinが唱えたような「印刷技術がテクストを固定化・標準化させていく」という考えが幻想に過ぎないものであるということを提起するものでもある。

 

 

 

 

懇親会

時間:18:30

場所:Cafe+Bar Ludzie(カフェバールジェ)大阪府豊中市待兼山町21-5-103

 

※懇親会に参加予定の方は、事前に西井奨(nishii.shogmail.com)にまでメールを頂けると助かります(★印は@に変えてください)。当日参加も可能です。


18:54 | Impressed! | Voted(0) | Comment(0)
2013/11/26

文芸学研究会 第53回研究発表会

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文芸学研究会 第53回研究発表会
12月21日 13:00~  於大阪大学

山本 哲哉  
Can Globalists read Nietzsche “well”?--or the possibility of “Alter Globalism” suggested by Nietzsche.


角谷 由美子 
D. H. Lawrenceの民主主義論にみる優生学思想へ傾倒と反発


中村 真   
歌で描かれた国境--レオシュ・ヤナーチェクのシレジアを扱った合唱作品とその周辺--

発表要旨


18:23 | Impressed! | Voted(0) | Comment(0)
2013/11/13

第11回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会

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第11回 ギリシア・ローマ神話学研究会 研究発表会 ※来聴自由・無料
日時:11月30日(土) 13:00〜18:00
場所:大阪大学豊中キャンパス 待兼山会館2階会議室(地図中の80番の建物)

≪研究発表≫

「プラトン『国家』におけるムーシケー教育の意義」
            里中俊介(大阪大学)


「ルーキアーノス・アナカルシス・「ギリシア」アイデンティティ」
            勝又泰洋(京都大学)


「民間語源とマルス神」
            西村周浩(京都大学)

≪発表要旨≫

プラトン『国家』におけるムーシケー教育の意義
                   
里中俊介(大阪大学)

 プラトン『国家』の第2巻、及び第3巻においては、理想国家における守護者のための教育がどうあるべきかという問題が取り上げられ、対話が交わされる。そこで提示されるのは、詩と音楽を中心とするムーシケーとギュムナスティケー(体育)による魂の養育である。このムーシケーおよびギュムナスティケーによる教育によって、守護者となるべき者の魂の二つの部分、つまり「愛知的部分」と「気概的部分」が育まれるといわれる。その際、ムーシケーは「愛知的部分」に、ギュムナスティケーは「気概的部分」の育成に割り当てられ、それぞれが調和した仕方で育まれる必要性が説かれている。
 この初等教育論に関して、Goslingをはじめ、最近ではDestréeなどが、その主眼は「気概的部分」の育成におかれているという主張をなしている。そのような議論は、「気概」という言葉で表される意志や感情の働きとその教育の重要性を明らかにしているが、「愛知的部分」に関する教育という点は注視されていない。初等教育において「気概」の育成が肝要であるとしても、同時に「愛知」の育成について言及されていることの意味はどこにあるのか。本発表はこのことを問題として取り上げ、検証することで、ムーシケー教育が魂に与える影響と、国家教育において有する意義の一端を明らかにすることを目指すものである。


ルーキアーノス・アナカルシス・「ギリシア」アイデンティティ
 
勝又泰洋(京都大学) 

 本発表では、ルーキアーノス(後120~180頃)の『スキュティア人またはプロクセノス』と『アナカルシスまたは体育について』を取り上げ、これらの作品におけるスキュティア人アナカルシスの描写のされ方を検討し、その人物像の有する意義について考える。その際、ヘーロドトス(4.75-76)以来見られる、アナカルシスの人物造形に付随する、「『ギリシア』対『非ギリシア』」の大きな枠組みを念頭に置いて議論を進めていく。とりわけ注目したい概念が、「パイデイアー」(παιδεία、「教養」)である。ルーキアーノスの生きた「第二ソフィスト時代」において、この概念は極めて重要な意味を持つものであった。というのも、これを獲得することが、「ギリシア人になる」ことを意味したからである。
  『スキュティア人』においては、アナカルシスは、「パイデイアー」に憧れ、ギリシアに足を伸ばし、その土地でギリシアの代名詞的存在ソローンと友情関係を結び、彼から「パイデイアー」を得る。一方、『アナカルシス』においては、アナカルシスは、ソローンの熱心な擁護にもかかわらず、ギリシアの「パイデイアー」の中核をなす、体育活動に徹底的に反対する。ルーキアーノスが提示する二種類のアナカルシスは、「パイデイアー」に対する姿勢の点でまったく正反対なのである。
  ルーキアーノスのアナカルシス像のこの二面性は、「非ギリシア人」でもあり「ギリシア人」でもある弁論家自身の「ギリシア」に対するアンビヴァレントな態度を映し出している。「ギリシア」のアイデンティティが揺らぎを見せていた時代に生きたルーキアーノスが創りだしたアナカルシスは、その「ギリシア」なるものを問題化する役割を果たしたのである。


 民間語源とマルス神

                  
西村周浩(京都大学)

 
 ローマの軍神マルスは、ラテン語で一般的にMārs (Mārt-)という語形で表現される一方で、微妙に異なる別形を数種もつ。その中でも、とりわけMāvors (Māvort-)が研究者の間で最も高い注目を集めてきた。そして、その歴史言語学的な背景について様々な提案が行われてきた。サンスクリット語Marút-と比定する説、ラテン語碑文に見られる別の異形MAMARTEIの2番目の-m-が-v-に異化したとする説、さらに、キケローの著作にも見られるように、Māvorsの後半要素-vorsを動詞vert- / vort- ‘turn’と関連付ける説などがある。いずれの立場をとるにせよ、伝統的にMāvorsはMārsの古形と見なされており、音変化によってMāvorsがMārsに至ったと考えられている。しかし、MāvorsタイプとMārsタイプそれぞれの語形の地理的・時間的分布を考察したWachter (Altlateinische Inschriften: Sprachliche und epigraphische Untersuchungen zu den Dokumenten bis etwa 150 v. Chr. 1987. pp. 379-380)は、Mārsタイプの語形が相対的に古い時代からイタリア半島の諸言語に定着しているのに対し、Māvorsの現れは限定的であり、こちらの方がむしろ二次的な形成であると主張している。Wachterの文献学的分析に基づく見解は妥当性が高く、Māvorsタイプの語形がどのような歴史的な背景をもつかという問題は見直しの必要がある。
  ここまでの議論は、2011年に出版した論文(“A phonological factor in Mārs’ lexical genealogy.” Rivista di glottologia 5 = Atti del Convegno Internazionale “Le lingue dell’Italia antica: iscrizioni, testi, grammatica” in memoriam Helmut Rix (1926-2004), March 7-8, 2011, Libera Università di Lingue e Comunicazione IULM, ed. G. Rocca. pp. 233-245)においても行った。本発表では、上の問題提起に基づく議論をさらに展開させ、そもそもなぜMāvorsという語形がラテン語に現れたのか、言い換えると、Mārsという語形がありながら、なぜMāvorsという別形が生じなければならなかったのか、考察を行う予定である。その際、上でも言及したvert- / vort-との関連付けが鍵となる。ラテン語話者はこれをいわゆる「民間語源」的操作によって行った可能性が高いからである。そうした操作の背景にある話者たちの心理を、Māvorsが現れる文脈を吟味することで浮き彫りにし、特定の文脈に見られる心理とその言語学的表象との間の相互作用の可能性を本発表では示すつもりである。




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2013/10/03

第12回 フィロロギカ研究集会

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第12回 フィロロギカ研究集会

2013年10月19日(土)13:00より

大阪大学 豊中キャンパス 待兼山会館・会議室

地図はこちら(80番の建物)

発表要旨

13:00~14:00
杉山 和希     欲望する身体
              ――プラトン『パイドン』とエリスのパイドン『ゾピュロス』

14:00~14:50
西井 奨      Ovidius Heroides 4. 175-176
              ――ヒッポリュトスの拒絶を危惧するパイドラー

14:50~15:10   <総会>


15:20~16:10
泰田 伊知朗    呉茂一先生の未発表原稿:『イーリアス』に関するエッセイ

16:10~17:10
逸身 喜一郎    ギリシャ悲劇の構成部分・再考


17:30~<懇親会> 
          会場:待兼山会館内 LIBRE
          会費:4,000円程度の予定、当日申込み歓迎

懇親会にご参加いただける方は、事前にこのアドレスまで
お知らせいただければ幸いですが、当日の申込みでも大歓迎です。

古典文献学研究会事務局
http://www.geocities.jp/philologica2000/
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