平山 昇
ヒラヤマ ノボル (Noboru Hirayama)
更新日: 04/23
その他
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2022年10月平山ゼミナール、2022年夏合宿の参加記。神奈川大学国際日本学部noteにて公開。 https://note.com/kanagawa_ccj/n/nad341e11f86b
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2022年6月明治大学国際日本学部眞嶋ゼミとの合同ゼミについて記したエッセイ。神奈川大学国際日本学部noteにて公開。 https://note.com/kanagawa_ccj/n/n5d0ab53a3ca4
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2021年2月末木文美士ほか編『近代日本宗教史 第2巻 国家と信仰 明治後期』(春秋社、2021年)を紹介。拙稿に言及。 「皇室と神社の一体化という、冷静に考えると必然性がない結合がなぜできたかを、国民の心情から解き明かす第八章「明治の終わりと宗教」(平山昇氏)は、従来の「国家神道」研究では顧みられなかった民衆感情に着目しており、鋭い。」
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2021年拙著『初詣の社会史』第5章から出題。 「次の文章は、大正期以降、伊勢神宮などの皇室ゆかりの「聖地」への初詣が活発化する過程を、関西の私鉄や国鉄(現・JR)との関係に注目して検討した論考の一部である。これを読んで、後の問いに答えなさい。」
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2020年11月拙著『初詣の社会史』に言及(p.166)。 「なお、紙幅の都合で省略するが、とりわけ都市部と神社観の肥大化の関連性について歴史具体的にとらえていくには、神社とツーリズムの社会的な結びつきといった、都市大衆社会/文化状況の形成にかかわる問題をふまえる必要もあるだろう(平山、二〇一五/島薗進『明治大帝の誕生』春秋社、二〇一九)。」
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2020年10月拙稿「「体験」と「気分」の共同体――戦間期の「聖地」ツーリズム」(塩出浩之編『公論と交際の東アジア近代』東京大学出版会、2016年)に言及(p.195, p.198) https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784861106927
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2020年8月拙著『初詣の社会史』に言及(p.250)。 「現代の社会通念化した神社聖地イメージの形成過程を論じるには、社会の中で神社聖地論が広まる状況をとらえるのにより適した分析方法も試みる必要があろう。この点で、二〇世紀、大正期以降の日本で、都市の大衆社会化状況を背景とするツーリズムにおいて生み出される神社の聖地イメージに触れている平山(二〇一五)のような仕事は注目される。」
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2020年8月拙稿「「体験」と「気分」の共同体―戦間期の「聖地」ツーリズムー」(塩出浩之編『公論と交際の東アジア近代』東京大学出版会、2016年)に言及。(p.290) 「最近では、皇室ゆかりの「聖地」参拝ツーリズムの活性化という大衆社会化現象のもとで、政府の公式的なそれとはズレた神社観が広まり、そのなかで神社参拝への強制的圧力が高まるメカニズムを説明する研究もある(平山昇―二〇一六)」
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2020年7月拙稿「大正・昭和戦前期の伊勢神宮参拝の動向――娯楽とナショナリズムの両面から」、拙著『初詣の社会史』、拙著『鉄道が変えた社寺参詣』を参照。 ◆「平山昇「大正・昭和戦前期の伊勢神宮参拝の動向――娯楽とナショナリズムの両面から」は、本書と同時期の伊勢神宮参拝を対象としている研究で、参拝者層を「エリート層」「修学旅行」「実業家」、そのほかにも「個人・家族単位」「職場単位」に分類して検討している。戦間期に活性化した神宮参拝には複数の推進主体が存在し、伊勢神宮参拝の「拡散」「浸透」に影響を与えたことを明らかにした重要な研究といえる。」(序章 p.5) ◆「平山昇の研究では、初詣等の社寺参詣の文化は、鉄道網の発展と国鉄対私鉄の集客競争のなかでつくり出されたものであることが指摘されている。伊勢神宮参拝もそうした例に漏れない側面があった。〔注(18) 拙著『初詣の社会史』〕」(序章 p.9) ◆「平山昇は、明治期以降の鉄道網の発展や私鉄と国鉄との競争が社寺参詣の形態を変えたことを指摘している。とくに、初詣に関しては鉄道会社の集客競争が顕著であり、これによって普及していったことを明らかにしている。〔注(18) 拙著『鉄道が変えた社寺参詣』〕」(第二章 p.59)
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2020年5月拙稿「メディア史に鉄道は入っているか?」、同「近代の社寺参詣をめぐって」に言及(p.169)。 「社寺参詣を軸に、メディア史や鉄道史などの架橋や、時代の思潮を捉える視角を提起する平山昇「メディア史に鉄道は入っているか?」(『メディア史研究』四六)、同「近代の社寺参詣をめぐって」(『交通史研究』九四)も刺激的で、更なる展開が期待される。」
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2020年3月参考文献で拙稿「大正・昭和戦前期の伊勢神宮参拝の動向―娯楽とナショナリズムの両側面から―」(高木博志編『近代天皇制と社会』思文閣出版、2018年)を明記。(p.41)
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2020年3月拙著『鉄道が変えた社寺参詣』に言及。(pp.2-3) 「西宮神社(兵庫県西宮市)の事例を考察した平山昇が強調するように、政府が官暦における旧暦の併記を廃止したのは、一九一〇年(明治四十三)からである〔注(7) 拙著『鉄道が変えた社寺参詣』〕。社寺の年中行事は旧暦に基づいて行われるものが多く、この変更に当事者たちは対応を苦慮したという。」
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2020年2月拙著『鉄道が変えた社寺参詣』を参照。(pp.145-146) https://www.kadokawa.co.jp/product/321712000263/
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2020年2月拙著『初詣の社会史』に言及(pp.428-429)。 「大正初年の鳥取で、県下神社神職の各地代表を前に、きっぱりと神社合祀政策は撤回しないとする佐上の立場は、本人にいわせれば合祀反対論を経験し、それをふまえたうえでの継続論であったわけだが、そのポイントは、神社境内の神秘的な「森厳」を維持確立することにおかれているのである。ここでたとえにひっぱりだされているのは西行の歌であるが、平山昇の指摘によれば、その歌はとりわけ第一次世界大戦後になると、大衆社会化状況のなかで神社の聖地としての神秘性という実感や体験を容易に感想として大衆が語るための決まり文句として多用されることになったとする。つまりは神社イメージにおける神秘的な宗教性の大衆化の指標ともいうべきものである。」
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2020年2月第5章「もっと観光を学び問うためのブックガイド」において拙著『鉄道が変えた社寺参詣』を紹介(鈴木涼太郎執筆)。 「交通事業者が観光において果たしている役割は、「早く遠くへ」人を運ぶだけではない。鉄道が社寺参詣を変えたように、交通事業者は、旅行のスタイルそのもの、あるいは広く文化を創造する主体でもあるのだ。そしてそれは、すべての観光事業者にも当てはまる。身近なトピックで歴史好き以外の方でも気軽に読める一冊。[鈴]」(p.171) https://www.hanmoto.com/bd/isbn/9784788517066
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2020年1月拙著『初詣の社会史』に言及(p.255)。 「平山昇『初詣の社会史――鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』(東京大学出版会)゙゙……明治以降の初詣の成立・定着過程を、鉄道利用やナショナリズムとの関係から描き出している。」
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2020年1月拙著『初詣の社会史』に言及(p.213)。 「二〇〇〇年代以降においても〔交通史の〕経済史分析は引き続き多くの研究者によって継続されているが、政治史および社会史的分析において再び交通が盛んに取り上げられるようになった点に新しさがある。〔中略〕社会史においては、平山昇『初詣の社会史――鉄道が生んだ娯楽とナショナリズム』(東京大学出版会、二〇一五年)が、初詣という風習が鉄道の普及とともに「作〔創〕られた伝統」であることを示した。鉄道史を社会史的に分析する動きは、観光史とも共鳴しながら活発化しつつある。」
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2019年6月拙著『初詣の社会史』を参照。 「その間におきた変化の大きさゆえに、明治の終わりが、同時代人にとって深い感慨をもって迎えられたことについては、山口輝臣と平山昇による研究が存在する。〔中略〕平山は、明治天皇が重態に陥った際におきた二重橋前平癒祈願の行動に着目し、ここに知識人が「感情美」を見出したことを指摘する。この出来事が〔、〕理性によって統御された行動とは異なる、感情にもとづく行動の価値化が政治指導者を含めた知識人に共有される契機となったというのである。〔注(6) 平山昇『初詣の社会史』(東京大学出版会、二〇一五年)〕」(p.15) 「ある元号の終わりを、その時代を生きた人びとが、一定の「感慨深さ」をもって迎えたということ自体は、歴史学の議論の対象となりうる(まさに、山口や平山の研究がそうであるように)。問われるべきは、人びとの「感慨深さ」が、いかなる事情によって発生するのか、である。」(p.15)
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2019年5月拙稿「「体験」と「気分」の共同体」に言及(p.184)。 「「体験」と「気分」を語る言説に注目する平山昇「体験」と「気分」の共同体」(『思想』一一三二)は、大逆事件・明治天皇の重態と死去・乃木希典殉死といった明治末の一連の事件によって醸成された国民感情が、大衆ツーリズムの勃興と重なり伊勢神宮・明治神宮の参拝体験を重視するに至った過程を論じ、身体・反知性・非同調者の排除の特徴を見出す。」
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2018年3月参考文献として拙著『鉄道が変えた社寺参詣』を明記(p.104)。 https://trc-adeac.trc.co.jp/Html/ImageView/2820305100/2820305100100170/jouka/