講演・口頭発表等

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2020年12月12日

第一次世界大戦下のドイツと空襲 ―「新奇」な戦争と銃後(Heimatfront)との関係をめぐって―

日本西洋史学会 第70回大会
  • 柳原伸洋

記述言語
日本語
会議種別
口頭発表(一般)
主催者
日本西洋史学会
開催地
オンライン
国・地域
日本

1911年に始まった動力飛行機からの爆弾投下(空爆)は、1914年夏から約4年半続いた第一次世界大戦(世界戦争)で実験と試行が繰り返され、その成果が実戦で使用され、さらなる発展をみせた。
本報告では、ドイツが被った空襲被害と新たに計画されていく防空を扱うことで、「新奇」な攻撃手段として登場した空爆への政軍民の対応を分析する。概して、空襲には、戦争の経過にしたがい、場当たり的な対策がなされていったといえ、体系的な民間防空措置が実行されたわけではない。しかし、この時期の民間防空をめぐる行政・軍事・民間を考察することで、20世紀に空爆・空襲がどのように捉えられていたのかという空襲認識の「原型」を見てとれるだろう。
本報告ではまず、第一次世界大戦から100周年を迎えた2014~2018年頃に公刊された第一次世界大戦に関わる研究文献内の「空襲」の扱いを概観する。そして、それらの空襲叙述に含まれている同時代性への閑却を衝きながら、いくつかの研究で示されている新視点も紹介する。つまり、「第二次」世界大戦を経たことを前提として、第一次を把握する史観を批判に付し、同時代的に空襲がどのように捉えられていたのかを歴史学として考えたい。
次に、一次史料を参照しつつ、都市住民が空爆を「新奇」に捉えていた様を活写する。ここでのキーワードは「美しさ・恐怖」と「哀悼・報復」などである。具体的な史料として、ドイツ都市のカールスルーエ、フライブルク、ミュンヒェンなどの研究文献・公文書・雑誌・新聞資料を用いる。
以上により、第一次世界大戦下に不徹底に終わった空襲対策・措置を通じて、「新奇」な攻撃手段である空襲と「銃後(Heimatfront)」との関係性について、換言すれば、空襲の脅威に晒される都市・都市住民の空襲観から「前線と銃後社会の境界の揺らぎ」について批判・考察する。

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URL
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